■Urban legend −夜明けの街−■
第1話 「探す男、求める女」 ■担当:火遠理■
■――A.D. 20XX Unknown■
冬の朝焼けに照らされる街をビルの屋上から見下ろす女がいた。
いや、女と呼ぶには幼く、そして小柄だがしかし少女と呼ぶには不思議と艶があり、外見では年齢の特定が難しい。
彼女の視界には高層ビルの建ち並ぶ街が広がっていた。
朝日はビル群の窓に反射した光と谷間に出来る影によってより鮮やかに街の表情を覗かせる。
そんな街を彼女はただ静かに見下ろしている。
白で統一された服装に、長く黒い髪。.
ビルの谷間から吹き上げる風が彼女の黒髪をなびかせ、朝日で輝いていた。
それは、彼女の特有の雰囲気を神秘的に映しだしている。
彼女は、ふと空を見上げる。
そこには、ひっそりと月が雲の陰から顔を覗かせていた。
「朝焼けの月……まるで、この街のよう」
ビルの谷間からの風が彼女をおおう。
「噂の風……」
そう呟き、彼女は風を掴み、掌を開いた。
そこにはにはなぜか紙縒りが数本が握り締められていた。
彼女はうっすらと瞳を開き、それらひとつひとつに目を通す。読み終えた後、彼女はそれを放り投げた。
それは風に舞い上がり、やがてほどかれるように風の中に溶け込んで、消えた。
「そう……またこの街に誰かがくるのね。今度は……誰を呼び寄せるのかしら。この暁月市に」
彼女は目を細め、なぜか寂しそうな視線で街を眺める
街は目を覚ますかのごとく少しずつその姿をあらわにする。
その街は果てしなく広く、そしてなぜか儚かった。
「……私はいつまで待てばいいのかしらね」
誰に話し掛けるでもなく、彼女は朝焼けの月を見上げる。
しかし、月はそれに答えずただひっそりとそこにあるだけだった。
■――A.D. 20XX トーキョー某所 住宅街■
『こちら勝也(かつや)。聞こえますか、どーぞ』
神居(かむい)がつけているヘッドフォンから雑音交じりの声が聞こえた。
彼は無線機のスイッチを押し、返信する。
「感度良好、どうぞ」
『ターゲット、目標到達点に接近』
「おおむね良好ですね。それじゃ、作戦通りに行きますよ」
『了解――』
別のルートから住宅街の路地に入り込んで行く。じわじわとしかし確実にターゲットに近づく二人。
『神居さん、そろそろいいんじゃないっすか?』
「そうですね――ではカウント3で実行しますよ」
「了解……1・2……」
「3!」
先に動いたのは神居のほうだった。素早くターゲットに接近するも、相手はするりと彼の足元をかいくぐって逃げ出した。
しかし、これこそ彼らの狙いだった。
「勝也君!」
神居が叫ぶのとほぼ同時に少年はローラーブレードで相手を追いかける。
素早い相手だが勝也も負けてはいない。リストバンドのスイッチを入れジャンプし、なんと彼はブロック塀をジャンプの反動で滑走しているではないか。
そしてそのまま塀の上部をグラインドしターゲットに飛びついた!
「つーかまえーたっ!!」
ターゲットをダイビングキャッチ!そのままムーンサルトよろしく宙で華麗に回転して見事着地した。
「お見事! さすが一流の運び屋。大した腕ですね」
「嫌だなぁ、神居さん。一応俺もメッセンジャーのライセンスを持ってるんだからそう呼んで下さいよ〜……ってこら暴れるんじゃないってば」
「ははは。腕白なやつですね」
「笑い事じゃないですよ〜、あ、こら! 引っ掻くなっての!」
「あんた達ねぇ……猫一匹を相手に何やってんの?」
二人(正確には勝也だけ)が悪戦苦闘しているのを見て呆れた顔で近づく女性がいた。
服装から彼女は婦人警官らしい。
そして職業柄かそれとも彼女の地の性格なのか口調も気持ち威圧的に聞こえる。
「やあ、久扇子(くみこ)さん。お久しぶりですね」
「久しぶり……じゃないでしょう?何やってるの、神居君」
「見てわからないかよクミねぇ、仕事に決まってるじゃん」
「……勝也。あんたには聞いてないわよ!」
「ひっでーなー、実の弟に向かってさー」
「その実の弟たちが通報されたから私がわざわざ駆けつけてきてあげたんじゃないのっ!」
「え?そうなんですか?」
神居と勝也は互いの顔を見合わせ、それを見た久扇子は、ますます呆れ返った。
「怪しい二人組の男が住宅街をうろうろしてるって聞いたから駆けつけてみたら……案の定あんた達なんですもの。全く嫌になっちゃうわ」
「……そんなに怪しいですかね?」
「俺は別にそうは思わないけど……」
「はぁ……あんた達の感覚には付いていけないわ」
久扇子の言うことにも一応筋が通っていた。勝也はヘルメットにツナギ姿、手足には保護用のガーダーを身につけている。まあ、見ようによっては今時のスケーターで通らなくはないが問題は神居の姿だ。
別に葬式でもないのに上下を黒で統一したスーツ姿。ネクタイを締めていないためかどことなくしまりのない姿に見え、久扇子の同年代とはとても思えない。
その上腰には無線機、頭にはマイク付きのヘッドフォンと言ういでたちだ。恐らくは外見に無頓着なのだろうが、結構な美形なのに髪はぼさぼさでおしゃれと言うには程遠い外観だ。元がいいだけに非常にもったいない。
「それで……今回の仕事ってのがこの猫の捕獲なわけ?」
「ええ。結構苦労しましたよ。ねぇ、勝也君」
「そうっすね。すばしっこい上に行動範囲が広くて大変だったんだよなー」
どこまでもマイペースな二人のやり取りに、久扇子は思わず額に手を当てた。
「……どうでもいいけど、これ以上私に迷惑をかけるようなことだけはやめてちょうだい!」
久扇子は思わず天を仰いでしまった。
「特に勝也! あんたもいい加減神居君にくっついて迷惑ばっかりかけてるんじゃないの!!」
と、バシッと言い切った……のだが。二人はすでに姿を消していた。
いつも同じような事を言われているのであろう。逃げ方も手馴れたものになっていた。
「まぁったく……あの二人わぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
閑静な住宅街に久扇子の悲鳴にも近い叫びが空しく響き渡った。
「あ〜あ〜……神居君も探し屋を名乗るなら私の依頼を引き受けてくれればいいのに。……でも、猫探しであれだけ手間取ってるんじゃ無理、かぁ」
■――A.D. 20XX トーキョー某所 倉庫街■
二人が久扇子から逃げ出してから数十分後。依頼人に猫を渡した二人は神居の自宅兼事務所に戻っていた。
「お疲れ様でした、勝也君」
「どーいたしまして。しっかし、サーチャーが猫探しまでするとは思ってなかったっすよ」
「文句を言わないの。探し屋はなんでも探すのが仕事です」
「それはそうっすけど。GINのサーチャーが猫探しまでするなんて――」
それを聞いて、神居は不思議そうに勝也を見た。
「あれ? 言ってませんでしたっけ? あの依頼はGIN絡みじゃないですよ」
「え〜〜〜〜ーー!!???」
「少し考えれば分るでしょう。GINは一応表には出ていない組織なんだから。小学生が簡単に依頼できる訳がありません」
「小学生……ってまさか今回の依頼は」
「表の探し屋家業って事になりますね」
勝也は心底疲れたと言う表情でその場にへたり込んでしまった。まさか神居がペット探偵紛いの事までやっているとは思わなかったからだ。
その上、猫を連れて行く最中散々勝也の腕の中で猫が縦横無尽に暴れまわり、体中引っ掻き傷だらけになってしまったのだから、愚痴をこぼしたくなる気持ちもわからなくもない。
「これじゃあGINの正式サーチャーの道も遠いかもな、俺」
「ん?何か言いましたか?」
「いえいえいえ、何でもありません!何も言ってませんとも、ええ!!」
神居はそんな彼を見て思わずくすっと笑った。
その矢先、奥のデスクにあるPCから短いサウンドが鳴り響いた。勝也は立ち上がるとデスクに向かいPCの画面を確かめる。
どうやらメールが届いているらしく、サウンドはそれを告げるものだったようだ。
「神居さん、メール来てますよ」
「メール?」
神居はPCの前へ移動し、木目調の椅子に腰掛ける。彼はメールのタイトルを見てこれ以上はないと言う程の渋い表情を浮かべた。
「一体どうしたんすか、そんな青汁飲んだような表情なんかしちゃって」
神居は答える代わりにディスプレイを指差した。
「えっと……『From D・J-BILL』……って事は!」
「……そういうことです」
「GINのマスターからの直々からのメールじゃないっすか!」
「しばらくGINからの仕事はしないってビルには言っておいた筈なんですけどねぇ」
「じゃあ、これどうするんすか?」
「どうもこうも、とにかく見るしかないでしょう」
神居はメールタイトルをクリックし、中身を確認した。内容はいたってシンプルだった。
『緊急の依頼アリ。メッセンジャーは所定の場所にて連絡員と接触。サーチャーはGINにアクセスよろしく。D・J-BILL』
「……はぁ」
「何でそこでため息が出るんすか。GINからの正式な依頼なんて光栄じゃないっすか〜。しかもDJビルって言ったらホストマスターですよ!」
「こっちにはこっちのペースがあるんですけどね……とにかく、ビルに事情を聞かないと始まらないようですね」
神居は、メールに添付してあるファイルを開き、メッセンジャーへの指示とサーチ対象の資料を確認し、それをメモ帳に走り書きし、その部分を破って勝也に手渡した。
「それじゃお願いします」
「了解っす。すぐ戻りますね」
さっきの落胆はどこへやら、勝也はローラーブレードを駆り勢い良く飛び出して行った。
そのさまは今までのストレスを発散するような勢いだ。一方の神居はあまり乗り気ではないらしいが、そうも言ってはいられない。
「それでは、ビルとご対面といきますか」
彼がPC横にあるいくつかのスイッチを押すと通常のOS画面から『Garage Information Network』と表示が変わった。
ガレージ・インフォメーション・ネットワーク。
Garage Information Networkの単語からそれぞれ頭文字を一つとって通称『GIN』と呼ばれている。
情報提供及び人員派遣の質、量に置いて他の追従を許さないネットワーク。
特筆する点は、何と言ってもインターネットを使用していないことだ。いわゆるイントラネットと呼ばれる形式で運用されている。
当然その性質上ここへアクセスできるのは裏の事情に詳しいもの、もしくはGINのサイトマスター、D・J-ビルのスカウトが必須条件になる。
ここへ依頼してくるものは何かしらの噂や手順をふみGINの目にとまる方法で依頼をすると言う形を取っているため、自然とやばい仕事が舞い込む事が多いため、小学生が簡単に依頼出来るものではないと言う訳だ。
神居は、所定の場所にパスワードを入力し、GINにアクセスする。
程なくしてパスワード認証が終わりメインメニューが表示された。
見た目は通常のインターネットにあるHPと変わらないどころかむしろ洗練されたイメージすら感じられる。恐らくこのページを作っているのはセンス抜群の人物なのだろう。
彼はページの下にある『D・J-BILL』と言う部分をクリックすると再びパスワードを要請されるメッセージが表示された。指示通りにパスを入力し、ビルを呼び出した。
コール音が2,3回鳴り、画面にやたらとファンキーな風体の男が表示された。
「いよー、神居。久しぶりだなー」
「相変わらず元気ですね、ビル」
「お前もなぁ〜」
「ところで」
神居は早速本題を切り出した。
「今回の依頼、あれは一体どう言うことです?」
「あ〜……あれなぁ」
「本来GINは自分で依頼を決めるのが原則ですよね」
「……ま〜そりゃ〜そうなんだが。その事をちゃんと説明しておか ないといけねーと思ってよー」
神居は今日のビルはいつもと違い歯切れが悪いという印象を受けた。
こういうときは大抵厄介事の前触れと今までの経験が脳裏をかすめる。
「やっぱり訳ありですか」
「実はだな〜、お前の前にこの依頼を受けたやつが2人いたんだよなぁ。ところが、その依頼を受けたサーチャー2人が行方不明と来たもんだ。参ったぜぇ」
「……冗談でしょうビル? 仮にもGINに所属しているサーチャーがターゲットをロストするどころか行方不明なんて」
「俺も悪い冗談だと思いたいところなんだけどよ〜、あいにくこれが現状だ。それに加えて」
「……まだ何か?」
「実は、行方不明になったサーチャーは他にも3人いるんだよな、しかも暁月市がらみの依頼でな。そこで、だ」
「僕の出番、と言う訳ですか」
神居はやれやれと言う仕草を隠し切れないでいた。
事情はわかったがどうにも釈然としない。
それが何を意味しているのか彼自身もわかっていないようではあるのだが。
「ま、そういうことだ。こうなった以上、GINの面子にも関わることだからな〜」
「そういう事情なら仕方ないですね……と言うより、はじめから断わらせるつもりはなかったんでしょう?」
「…………………………………………ばれた?」
ビルは思いっきりお茶目な笑みを浮かべ、ぺロッと舌を出した。
その態度にはまるで悪びれた様子が見られない。
「……メッセンジャーを現地出頭させておいてばれたもないでしょうに」
「いやぁ……ほんとに申し訳ないと思ってる。俺だって心苦しいんだぜぇ?」
「まあ、緊急事態なのは確かなようですし。この依頼、受けますよ。ちょうど先の依頼も終わったところですしね」
「先の依頼つーとぉ……あー猫探しか? お前も酔狂なやつだな〜、GINの依頼じゃない上に子供の依頼つー話だろ〜?」
「気持ちがね、わかるんですよ。必死に頼むあの姿を見るとどうしても断われなくって」
「そういうところも変わってね〜なぁ。お前さんは。おまえ自身が探しているのも早く見つかるといいな」
「……そうですね」
「唯一の手掛かりは『真実は、数多の虚構からその姿を覗かせる』だったか」
「……ええ」
「お前の能力を使っても見つけられないってのは俺も信じられないんだけどよぉ」
「……どんな力でも、万能はありえないって事ですよ……できればもうこの話は……」
「OK、OK。すまなかったな、神居。じゃあ仕事の話に戻るぜ資料と触媒はメッセンジャーに渡すように手配してあるから。後は任せたぜ」
「りょーかい」
「GOOD LUCK、神居!」
ビルは右親指をビシっと神居に立てると、ログアウトした。神居も程なくしてログアウトし、スイッチを切り換え元のOS画面に戻した。
大きな吐息を一回……神居は椅子にもたれ腕組をする。
真実は数多の虚構から見ることでその姿を見せる――
先ほどのビルの一言が神居の頭の中に響く。
誰しも神居の腕前を疑うものはいない。事実、彼の仕事振りは賞賛に値するものだ。
しかし、神居は自分を認めていない。その理由は――
「ただいまー!」
軽やかにローラーブレードを駆り勝也が帰ってきたが、物思いにふける神居はしばらく彼の帰りに気付いていなかった。
「……神居さん?」
「え……ああ、お帰り勝也君」
「どうしたんですか、なんか様子が変っすよ」
「ああ……なんでもありませんよ。それで?」
「DJビルからの預かってきましたよ」
勝也の手にはビルからの預かり物らしい大き目の封筒があった。
「ありがとう。それじゃ資料を見せて下さい」
「はい、どーぞ」
「どれどれ……」
依頼の概要は簡単に言うとこうなる――
ターゲットとなるのは瑞穂(みずほ)と言う女性。年齢22歳。無類の映画好きで噂好き。
『暁月市にある映画館アムネジアに行ってくる』と友達に言い残しそのまま失踪。程なくしてGINに依頼が入り、今まで2人のサーチャーを送り込むも全員行方不明。補足事項として、別件で暁月市絡みの依頼を受けたサーチャー3人が行方不明――と、言う事だ。
「なるほど。映画ファンで噂好き……ですか」
隅々まで資料に目を通す神居を尻目に勝也は自分の準備をするべくにロッカーを開けた。
中にはセルフ・ディフェンス・ウェポン――つまり護身用の道具――がぎっしりと詰まっていた。
一般に有名なのはスタンガン辺りだろうが、それ以外にも様々な道具が合法的に手に入る。
防弾及び防刃対応のアンダージャケット、折りたたみ可能のトンファーバトン。
ナイフに切られても刃を通さないグローブ、そして殺傷能力はないが飛んでいる鳥を鳥を打ち落とす威力を誇るゴム銃、スーパーシューティングガン。そしてライアット・スティールと言う一見手榴弾に見える物騒なものまでバックパックに詰め込んだ。
「神居さん、こっちは準備できましたよ」
「そうですか。君も資料に目を通しておくようにね」
「ういっす」
神居も勝也と同様の装備を身にまとい、一つ一つ丹念にチェックする。彼が全ての準備を整えつつあるその時、勝也が素っ頓狂な声をあげた。
「えーーーーーーーーーーー!?依頼人がクミねぇ!?」
「やっぱり気付いちゃいましたか」
「それはまあ……実の姉だし」
しどろもどろになる勝也に神居はやれやれといった顔で彼に提案する。
「勝也君。今回は今回はやめといた方がいいのではないですか? 君がサーチャーをやっていることが久扇子さんにばれたら後々とんでもない事になりますよ?」
「だ……大丈夫っすよ。いやだなぁ神居さん。このくらい一流になるための試練と思えば大した障害じゃないっすよ。あはははははははははははははは…………はぁ」
勝也なりに虚勢を張ってるつもりなのだろう。しかし、端から見ると限りなく心許ない。
「まあ……いいでしょう。しかし油断は禁物ですよ」
「わ、わかってますよぉ。それで……あとは何かすることありますか?」
「そうですねぇ……資料の中で気になる事が書いてあったからそれをインターネットで検索してくれませんか?」
「わかりました」
「僕はその間に最後の仕上げをしますから」
「最後の……仕上げ?」
「ええ。触媒になるものが入ってるはずなんだけど……ああ、これですね」
神居は資料の入った袋からからビニールに入っているハンカチを取り出しそれを右手ににぎった。
「あの……神居さん?一体何するんすか?」
「口じゃ説明するのは難しいんですよ。まあ、それはおいおい説明しますから、今は君は暁月市と資料にあった映画監督の資料をピックアップしてプリントアウトして下さい」
「……わかりました」
勝也はPCに向かうと神居の指示どおりの情報を調べはじめた。暁月市に関する資料は大量にヒットした。
主なカテゴリは「都市伝説」。
いわゆる噂が一人歩きして伝説化したものだ。
使えそうな記事をピックアップしてはプリントアウトする。
その作業を繰り返し続けていた時、勝也は自分の背後から妙な感覚に襲われ、思わず後ろを振り返った。すると、神居が左手の人差し指と中指を額に当て目を閉じ集中している。
そして、勝也は見た。
神居が指を当てている部分を中心に、額が鈍く光を放ち、瞬間勝也の視界が霧に包まれるように不透明になっていく。しかし変化はそれだけでは済まなかった。
光の糸が神居を中心に渦状に纏まっている。その光は勝也が思わず両手で目を覆わなければならないくらいに眩かった。
――しばらく後、勝也が再び目を開いた時には光はすでになく神居は先ほどと同じ姿で何事もなかったようにそこにいた。
「ふう……これでよし、と」
神居は顔を上げると、自分をぽかんと見つめている勝也の姿が目に入った。
「勝也君、僕の顔に何か付いてます?」
「って、いうか……一つ聞いていいですか?」
「?」
「えっと……さっきの現象は一体……?」
神居は意外そうに勝也をまじまじと見つめた。
「君には見えたんですか、あれが」
「あれ……ってさっきの光のことですか?」
「ええ。まあ、元々隠していたわけでもないんでそれはいいんですけど……正直驚きましたよ」
「……それで……結局なんだったんですか?」
「ああ、あれはね。今回のターゲット、つまり瑞穂さんの余韻を僕のイマージュに焼き付けていたんですよ。」
「余韻? イマージュ?? 焼き付ける???」
勝也の頭は混乱の最中にあった。あまりに話が飛びすぎていると言うのもあるが、彼の知らない世界のオンパレードだ。理解しようとして出来るものではないだろう。
それは説明をした神居が一番理解していた。
「それは現地に向かいながら説明しますよ……君には僕と同じ能力があるのかも知れませんしね」
「何だかわからないけど……神居さんと同じ能力を持ってるかもしれないって言うのがなんか嬉しいっす」
少しはにかむ勝也だったが、神居はいつになく真剣なまなざしで彼に向け、少々低いトーンで「しかし、それはある意味君にとって危険なことかも知れない……気をつけたほうがいいですよ」と、意味深な一言を彼に伝え、勝也はただ「はぁ……」としか答える事ができなかった。
「それよりも、さっき頼んだ資料は揃いましたか?」
「あ、はい。暁月市のことはネットでも結構な有名だから探すのは難しくなかったんですけど例の監督のことは大した資料はなかったっすね」
勝也は、プリントアウトした資料を神居に手渡した。
「さて……勝也君。そろそろ行きましょうか」
「……あ、了解っす。でも、どこへ?」
「彼女をより強く感じる方向を考えると……恐らく行き着く場所はここでしょうね」
神居が指した場所は流行の発信地と呼ばれる場所――シブヤだった。
■――A.D. 20XX トーキョー シブヤ区■
二人は若者情報発信地と呼ばれる街、シブヤにやって来ていた。
ここシブヤに限らず大都市には大小を問わず怪しげな都市伝説が転がっている。
例えば、昔流行した「不幸の手紙」。これはチェーンメールと言う形で今も尚つづいている。
他に有名なのは「トイレの花子さん」、「コックリさんの呪い」等に代表される「七不思議」から夜中の「たぬき囃子」といったほほえましいもの。
更には高速を疾走するターボばあちゃんと言った怖いのかギャグなのかわからないものまである。
身近なものでは「コ○ラのマーチ」と言うお菓子で、眉毛が生えたコアラが入ってたらいい事があるとか新しい消しゴムに好きな人の名前を書きそれを誰にも知られずに使い切ったら恋が実ると言ったものまで多種多様な噂が存在する。
余談だが、シブヤにも「地下大空洞」という都市伝説がある。シブヤの地下は実は空洞になっており、地底に都市があると言うものだ。
勝也がネットで調べたところ、暁月市も都市伝説としてはかなり有名な部類に入るらしく、全ての資料に目を通すだけでも結構な時間がかかった。
その内容も様々で、一度入り込んだら二度と帰ってこないとか、帰ってきたはいいものの、その間の記憶を全て失っているとか、はたまた帰って来たもののあまりの恐怖体験により口を閉ざしたまま引きこもってしまった人がいると言う報告まであり、とにかく多種多様で一貫性がない。
が。神居は一つだけ共通している事に気が付いた。
それは「暁月市の印象が個々によってあまりにも食い違う」と言うことだ。
ある人は中世の都市だったと語り、とある人は自分のすんでいる街にそっくりだったという。
また、ある人は何もない荒涼としたところだという証言までもがもあった。
恐らく、その事が由来になっているのだろう。
実体の見えない都市、暁月市。
これが噂として囁かれ、都市伝説にいたる存在になった所以なのだろう。
神居が睨んだ通り、瑞穂の思念を追ってきた結果にたどり着いたのがここシブヤだった。
絶えることなく人が行き交い、坂道の多い道に立ち並ぶ街、シブヤ――この広い町からたった一人を探し出す。それが神居と勝也の仕事だ。しかし、ここに来て神居の予期せぬ大きな問題にぶつかってしまった。雑踏の中で意識を集中していた神居は大きなため息を吐いた。
「どうも参りましたね」
「どうかしたんすか?」
「見失ってしまいました」
「え……?」
「瑞穂さんの余韻は確かにここに強く残っています。だからここに訪れたのはほぼ間違いないでしょう。しかし……」
「しかし……?」
「ここでぷっつりと途切れているんですよ、余韻の痕跡が」
腕をくんでその場考え込んでしまう神居。
そんな彼を見て勝也は慌てふためき思わず大声で叫んだ。
「神居さん危ないっすよ。ここ、スクランブル交差点なんすからせめて横断して下さいよ〜!!!」
そう。瑞穂の余韻はスクランブル交差点のど真ん中ででぷっつりと途絶えており、事もあろうに神居は今まさに信号が赤になろうとしている場所で考えにふけっているのだ。余程集中力があるのかそれとも人並みはずれたマイペースの持ち主なのだろう。
勝也は仕方なく神居左腕を掴むと無理矢理歩道のほうへ滑って行った。そうまでされても神居はまだ腕をくんで考え込んでいるのだから、神経も相当太いのであろう。
これがGINトップクラスのサーチャーかと思うと、勝也の心境は相当複雑なものに違いない。
「神居さ〜ん……勘弁して下さいよ〜」
勝也は息を切らしながら神居に抗議するのだが神居は相変わらず「え? ああ。うん」と言う風に、生返事しかしない。
「神居さん!!」
「え……ああ、勝也君いたんですか」
「いたんですかじゃないっすよ〜。マジ危ないところだったんだから」
「そういえば……さっきまで交差点の真中にいたはずなんですけど……いつの間にこんな所に?」
「……俺が運んだんです」
「そうでしたか……いや、つい考え込んでしまったもので」
「いいですよ、こっちはいい加減慣れっこですから。それで……何を考えてたんすか?」
「余韻がさっき途絶えてるってのは説明しましたよね?」
「ええ」
「その途絶え方が、どうにも腑に落ちないんですよ」
「……はい?」
勝也には神居が何を言いたいのかが理解できなかった。
シブヤに来る途中、神居から自分の能力のことについて一通り説明をしてくれたのだが、それでも勝也の理解を超えた話だった。
神居曰く。
『「残留思念」を自分の「イマージュ」に登録することによってそのに人の足取り、つまり「余韻」を視覚化し、それを手掛かりに相手を探し出す』
と言うことらしいのだが、勝也には言っている意味の半分も理解出来なかった。
結果、彼は『神居さんは幽霊のようなものが見える能力を持っている』と言う至ってシンプルな結論に落ち着いた。
だが、この能力が非常に危険であると言うことは彼にも理解出来た。
相手の余韻を視覚化すると言う事は同時にそれを神居に取り込むことになるため能力の性質上、相手の思考とリンクしてしまい、よほど意志を強くもたないと相手の余韻に飲み込まれると言う事が起こり得るらしい。
「瑞穂さんがシブヤから外に出ているなら余韻は別の方向に延びているはずですし、まして死んだと言う訳でもない」
「外にでていないと言い切れるんすか?」
「ええ。余韻がすっぱりと切断されていますからね。あんな器用な芸当をできる人はそうそういません」
「はぁ」
「どちらにしても……これは少し角度を変える必要があるかも知れませんね」
「と、いうと?」
「効率が悪いですが、足を使って瑞穂さんの目撃証言を集めるしかないですね。ここは君の機動力を活かしてもう事になりますが……お願い出来ますか?」
「水臭い言い方しないで下さいよ、神居さん。任してください。それで……神居さんはどうするんすか?」
「ここら界隈の大御所にあってみようと思います。もしかしたら暁月市のことも何か知っているかも知れません」
「それだったらついでにその人にも聞いてきましょうか?」
「いや、こればかりは僕でないと無理でしょう。何しろ君の言う幽霊の類の方ですから」
「なるほど。そりゃ俺には無理っすね」
「方針が決まった所で早速行動と行きましょうか。合流は3時間後、場所はオーロラビジョンの下と言う事で」
「時間内に合流できない時は?」
「事務所で落ち合うという事でいいでしょう。緊急時は無線機で連絡を取り合いましょう」
「了解っす」
「あまり無茶な走りはしないようにしなさいよ」
「わかってますって」
勝也が右のリストバンドについているスイッチを押とローラーブレードに内蔵しているモ−ターの駆動音が鳴り始めていた。
これは勝也が自作した小型高出力モーター内蔵ローラーブレードで普通のものとは造りが違う。
右手のリストバンドで出力調整が可能で用途に分けて速度を制御が出来る勝也自慢の一品だ。
「じゃ、いってきまーーーーーす!」
勝也は後半の声がエコーがかかって聞こえるくらいの物凄いスピードでシブヤの街を滑走し、数秒後にはすでに神居の視界から消えていた。
神居は一抹の不安を覚えたが、仮にも自分のパートナーだ。それに自分には自分の役割がある。
彼は大御所がいつもいるヨヨギ公園へと向かった。
■――A.D. 20XX トーキョー シブヤ区ヨヨギ公園■
昼下がりのヨヨギ公園。
神居は辺りを見渡し目的の人物を探していたが、どうやら神居よりも先に気付いたらしい。年配の男性のほうから神居の後ろから声をかける。
「久しぶりだな、神居」
「ごぶさたしてます、おやっさん」
「お前さんがここに来たって事は……仕事絡みか?」
「ご察しの通りです。おやっさんに隠し事は出来ないですね」
神居は恥ずかしそうに頭をぽりぽりと掻いた。
「お世辞はいいわい。それで、今回はどんな仕事を?」
「人探しなんですけど、どうも妙な塩梅になってきちゃいまして」
「妙、とは?」
神居は、おやっさんに事の経緯を簡単に説明した。
「それで、ターゲットが言うのがどうも暁月市と言う所に行った可能性が高くなったんですがその場所の手掛かりが全く掴めなくて」
「暁月市、か。わしと話していると言うことは例の力を使っているんだろう?」
「ええ……途中までは余韻をを追えたんですけどシブヤ辺りでぷっつりと途絶えてしまいて」
神居は腕をくんで考え込んでしまった。おやっさんは自分のあごを右手で触る。
「それでもそこまで余韻を追跡出来たと言う訳か……サーチャーとしての腕は落ちてはいないようだな」
「腕が落ちていなければもうとっくに見つけていますよ。サーチャーとしては情けない話なんですけどね」
「それは無理もないだろうな。そんな町はこの世界にはどこにも存在せんのだからな」
「……どう言う意味ですか?」
「言った通りの意味だ。あそこはこの世には存在しない」
「奇妙な話ですね。それじゃまるで幽霊のじゃないですか」
「その通り。暁月市は別名『都市幽霊』と呼ばれているところだからな』
「『都市幽霊』!?」
神居は心底驚いたようだ。幽霊都市ならともかく、都市幽霊なんて聞いた事がない。
「その様子では聞いた事はないようだな」
「正直聞いた事があるならこんなに驚きはしませんよ」
「それもそうか。とにかく、暁月市には普通の方法では行くことは出来ない。が……」
「が……なんです?」
「お前さんはシブヤまでターゲットの余韻を追ってきたのだろう?」
「ええ」
「だったら、恐らく手掛かりはそのスクランブル交差点にある」
「……交差点に?」
「確かなことは言えないがね。余韻の周辺に違和感を感じたらその場で集中してみるといい」
確かに彼女の余韻は奇妙な事だらけだった。切れた余韻はそこから一切延びていない上にそのものまでがなくなってしまっている。まるでぷっつりと切れた糸のようだ。
確かに、もう一度当たって見る価値はありそうだ。
「手掛かりはスクランブル交差点にあり、か。おやっさん、助かりましたよ」
「いやなに、こんな姿になっても必要とされるってのも悪くない。困った事があったらまたきな。知ってることならなんでも教えてやるぞ」
「ありがとうございます。それではもう一度行ってきますよ」
「そうそう。神居」
「なんです?」
「もし、暁月市に行く事が出来たら静音(しおん)によろしく伝えてくれないか」
「シオン?」
「行く事が出来れば必ず会えるさ」
「……わかりました。伝えておきます」
神居はベンチから立ち上がると男に一礼し、再びスクランブル交差点へ向かった。
男は神居を見送ったあと、うんうんと一人納得するように頷く。
そしてまるで霧がかかったように体がかすんで消えてしまった。
それからしばらくして神居は再びシブヤのスクランブル交差点にやってきた。意識を集中し、もう一度瑞穂の余韻が途切れた場所へ歩みを進める。
「ここに何かあるに違いない……真実は……真実は数多の虚構から見ることでその姿を見せる」
歩行者信号が点滅をはじめたその時、奇妙な事が起きた。シブヤの街とは違う街がが重なって見え、そして今まで途絶えていた彼女の余韻が一本の筋となって重なって見えた。
「見えた……!これが暁月市への道しるべか!!」
刹那、信号は赤になり車が一斉に走り出した。しかし、神居は迷わず瑞穂の余韻に重なるもうひとつの都市へ足を進める。車が神居に接触しようとしたその刹那! ドライバーをはじめ、それらを目の当たりにした人々が我が目を疑う事が起こった。
神居の姿はどこかに吸い込まれるように交差点から消えてしまったのだ。
それは神居にとって瑞穂を探すための確実な一歩を踏み出した瞬間だった――
■――A.D. 20XX Unknown■
神居が踏み込んだところはただ薄暗く、だだっ広い空間だった。
瑞穂の余韻のラインは更にまっすぐ伸びている。彼は迷うことなくそれを辿るように歩みを進め視界がぐにゃりと曲がったと感じたその時――彼は街中の歩道に立っていた。
それはなんとも例え様もない奇妙な感覚だった。
普通の町並みに行き交う人々、あちこちで聞こえる喧騒は紛れもなくリアルなものだが、神居の勘が彼自身に囁いている
――ここは何かが違う。
少なくとも、彼の住むトーキョーとはどこか根本的に違う。
「いや……今はそれを追求してる時ではありませんね」
神居は再び瑞穂の余韻の後を辿り始めた。
一方――
そんな彼をはるか上空から見つめる女がいた。朝焼けの街をビルの屋上から見下ろしていたあの少女 だ。彼女は、風にのって浮かんでいる。その姿はまさに風の妖精のようだ。
「そう……今度はあの人なの。風よ……あの人の事を教えて」
彼女は右手を前に差し出し掌を広げると、風は渦を巻くように掌の中でまとまり、紙縒りへと変化した。彼女は紙縒りをほどき中身を確かめると心なしか、淡々とした表情から少しだけ感情が揺らぎを見せた。
「名前は神居……一流のサーチャー……」
彼女は紙縒りを放り投げ、それは元の風になって拡散する。
先ほど見せたかすかな感情の揺らぎ。その感情が何を意味するのか、彼女自身もまだ理解していないのだろうが、やがて彼女なりの答えを導き出した。
彼女は空を見上げ、青空に浮かぶ月に呟くように思いを漏らす。
「もしかして……私はあの人を待っていたのかもしれない」
月はやはりそれに答えずただそこにあるだけだったが、彼女は月からの囁きをもらったような気がした。
彼女はふわりと大地に舞い降りた。目の前には瑞穂の余韻を追っている神居がいた。
「こんにちは、探し屋さん」
「こんにちは、お嬢さん」
さすがは神居と言うべきなのだろうか。突然空から降ってきた彼女を目の前にして全然動揺していない。むしろ、あたり前の出来事のように受け止めているようだ。ただ、神居は微かに目を細めていた。
「あら。驚かないのね」
「驚いていますよ、これでも」
「そう?
「ええ。でも、あいにく今は仕事中でしてね」
「映画館『アムネジア』に行くんでしょ?」
神居は無表情のまま、片眉を吊り上げた。
「……どうして知っているんですか?」
「噂を読んだの。大体の噂は風が私に運んでくれるから」
「君の名前は?」
「静音」
静音……おやっさんがいっていた名前だ。やはりここは暁月市だと神居は確信を持った。
「君が静音さんですか」
「私の事を知っているの?」
静音も神居と同様、いやそれ以上に淡々とそして無表情に聞き返す。
「ええ……ヨヨギ公園のおやっさんによろしく伝えてくれとに言われましてね」
「ああ……あの人。まだ『こっち』にいるのね」
「そんな事も知っているんですか」
「ここは噂が流れてくるところだから」
「それでは……静音さん」
「静音でいいわ」
「それでは遠慮なく。静音、さっきも言ったけど今は仕事の途中でしてね。先を急がないといけないんですよ」
「邪魔をするつもりはないわ。でも、その前に私も聞きたい事があるの」
「何でしょうか?」
「あなたにはこの街と私の姿はどう言う風に見える?」
「どう見えるですって?」
「見たままを素直に言ってくれればいいの」
「街並みは違和感を感じる以外は普通の都会ですね。君の姿は身長約150センチで濡れ烏の髪。衣装は見事なほどに白で統一されている。しかし……」
「しかし……何?」
「これはあくまで僕の主観ですけどね、君は自分に違和感を感じているように見えますよ。そしてこの街自身も」
「!」
「こんな所で納得してもらえましたか?」
「ええ……」
「それじゃ、僕はこれで」
「待って……私も付いて行っていいかしら?」
「?」
「あなたの邪魔はしないわ。私のことは空気と思ってくれていいから」
神居は少し考えたが、すぐに結論を出し静音に告げた。
「いいですよ」
「ありがとう……でも、不思議ね。どうして私の事を何も知らないのに同行を簡単に許してくれるのかしら?」
「懐かしい余韻を感じたんですよ。君にね」
神居は、頭を掻きながら素直に理由を話した。
「私に?」
神居はそれ以上は何も語らず、二人は無言のまま目的地へと向かった。
■――A.D. 20XX 暁月市映画館 アムネジア入り口■
数分後、神居と静音は映画館アムネジアにやって来た。
「ここがアムネジアですか」
そこは今風の映画館とは違い、よい意味でレトロな様相を醸し出しており、何より神居の趣味に合っていた。
中に入ると様々な人が待合場所で次の上映を待っていた。子供から老人まで実に様々な年齢層の人々がごった返している。しかし、奇妙な事にこれだけの人がいながら会話をするものが一人としていなかった。不思議に思いつつも、神居は周りを見回す。
するとそこには方不明になってしまったはずのサーチャーが二人ともいるではないか。
この世界では結構有名な大男と小柄な男のコンビサーチャーだ。
「久しぶりですね」
神居は気さくに二人へ話し掛けた。
「ああ……神居か」
大男は神居の顔をろくに見もせず、ぼんやりとしたままそう答えた。
「ここで何をしてるんです?」
「映画をね……見ているんだよ」
そう答えたのは神居よりも身長の低いサーチャーだった。彼もまた、虚ろのままだ。
「……GINから依頼を受けているんですよね?」
「……そういえばそんな依頼を受けた覚えがあったかな」
大男は何かに酔いしれているようだ。
「それではターゲットがどこにいるか知りませんか?」
「ああ……彼女ならさっきここに来たよ。ほら」
と、奥を指差した。160センチくらいのショートヘアーで目がクリクリっとしたいかにも明るそうな人だ。
久扇子の友達と言うからには年齢は23、4歳くらいだろう。
「でも、一度見たら帰りたくなくなると思うよ。なあ、相棒」
「そうだな……きっとそうに違いない」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
二人は神居の質問にに答える事なく、各々がぼーっとしたまま固まってしまった。
このままでは埒があかない。神居は直接瑞穂に接触することにした。
「あなたが瑞穂さんですか?」
「ええ。そうですけど。あなたは?」
神居の読み通りやはり彼女は明るい子のようだ。そして、人見知りをしないタイプらしい。
なにしろ神居へ逆に質問を投げ返して来たのだから。
「久扇子さんからの依頼であなたを探している者で、神居といいます」
「え? クミちゃんから?」
「ええ。資料によるとかなりの日数帰っていないことになっていますが」
「え……? そんな事ない筈ですけど。私がここに来てからまだ一日しか経っていませんよ?」
「一日?」
神居は資料を読み直した。GINの資料によれば彼女の失踪期間は約2週間とある。
「尺度が違うのよ、この街では」
神居の疑問に静音が答えた。
「尺度?」
「そう。ここは個人の感覚で何もかもが変わって見える場所。ここは時間だけじゃなくありとあらゆるものが各々の感覚に委ねられるの」
これで神居の感じた違和感の正体がおぼろげにだが見えて来た。彼らが帰ってこないのは自分の意思に寄るものだと言う事。そして、この街では時間までもが個人によって異なると言う点だ。
その根拠は、彼女は二人のサーチャーより早くこの街にたどり着いた筈なのに、まだ映画を見た様子を感じられない事にある。これなら映画館内の観客と瑞穂との雰囲気の違いに説明がつく。
「……それは意志の強さに左右されるとかそう言う意味ですか?」
「そう言い換えてもいいわね」
「それでさっき君は僕に自分の容姿を尋ねた訳ですね……」
静音は静かに頷いた。
神居は瑞穂に、改めて彼女の置かれている立場を説明した。
「瑞穂さん。あなたの失踪届が提出されてもう二週間が経過しているんですよ」
「えー!? ウソでしょお?」
「本当です。これ以上友達を心配させるのもどうかと思いますよ?」
「それはそうですけど……まだ私この映画見ていないし……」
冗談ではない。ここで彼女が映画を見てしまったら更に瑞穂の時間感覚が狂ってしまう。
それどころか、帰らないと言い出す可能性だって考えられる。
「まぁまぁ、いいじゃありませんか。彼女が見たいといっている事ですし、見せてあげてもいいんじゃありませんか?」
突然、二人の話にわって入った男がいた。牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、口髭を生やした初老の男だった。
「いや、しかし」
「でも本人が観賞を希望してるんですからねぇ」
そこへ更に静音が口が挟む。
「あなたの尺度を保ったまま彼女の傍にいれば体感時間のズレを抑えることも不可能じゃないはず」
「ふむ……瑞穂さん。この映画を見たら僕と一緒に帰ってくれますか?」
「はい。約束します! ありがとう、神居さん」
程なくして待合室の客がぞろぞろと館内に入っていく。誰もが活き活きとした表情をしている。
「神居さん、一緒に見ましょ。ね?」
「いいですよ。僕も映画は好きなんですよ。特にこの監督の作品には興味があって」
「でもクミちゃんも冷たいなー。こんなハンサムが知り合いにいるのに紹介すらしてくれないなんて。ショックだな〜、私」
「は、ハンサム?」
「こんな二枚目と映画が見れるなんてまるでデートをしてる気分」
瑞穂は明るい上に、神居以上にマイペースと来ている。どんどん自分が彼女のペースに持っていかれ兼ねないと思った神居は、適当な言葉でそれをかわそうとする。
「は……はぁ。ちょっと照れちゃいますね」
「ああ、神居さんと言いましたか。ちょっといいですか?」
二人が上映室に入ろうとしたその時、神居を老人が呼び止めた。
「なんでしょう?」
「少し話をしたいのですが宜しいかな?」
「いいですよ。瑞穂さん、すいませんが先に行っておいてくれませんか?」
「ええ。神居さんの席も取っておくわね」
「ありがとう。おねがいします」
彼女は元気に劇場へ入って行った。それを見送り、神居は老人の隣に座った。
「それで、話と言うのは?」
「あなたは、ここをどう思いますか?」
「どう……とは?」
「ここに来るお客さんは皆ここで上映される映画を凄く楽しんでくれています」
「そうですね。ある種異常と言ってもいいでしょう」
「なかなか手厳しい意見ですな」
「気に障ったのなら謝ります」
「いやいや。しかしですな……もしそれで人の心が救われるのならば悪い事ではないのではないですかな?」
「……」
神居は即答できなかった。一見正論に聞こえる意見だが何かが引っかかる。
だが、それを言葉にするまでにはまだ何か材料が足りない。
「……そろそろ本題に入りませんか? そろそろ上映時間になりますし」
「そうですな……あなたにお願いがあるんですよ」
「お願い?」
「難しいことじゃありません。今から見る映画の感想を聞かせてもらいたいんですよ」
「……いいですよ。それではまた後ほど」
神居はベンチから立ち上がり、老人に一礼し館内に入って行った。
神居を見送る老人の傍に、いつからいたのか静音が近くに来て隣に座った。
「珍しいわね。あなたがあんな事を人に聞くなんて」
「これはこれは。珍しいお客さんもいたもんだ」
「いけないかしら?」
「とんでもない。どんなお客様でも大歓迎じゃよ。正直お嬢ちゃんが興味を持ってくれると思わなんだがな」
「私が興味を持ったのは、神居って人の方」
「……やはりそうか」
「それより……いいの? あの人は今までここに来た人のどのタイプとも違う。あの人の尺度は確実にあなたをも飲み込むわ」
「……それは傍観者としての勘……かね?」
「ええ……そして私の願いになり得るかも知れない予感よ」
「……」
「……」
何ともいいようのない空気が二人を包む。程なくして、静音が立ち上がる。
「私もあなたの映画を見せてもらうわ」
「どうぞ。ごゆっくりお楽しみを……」
■――A.D. 20XX 暁月市映画館 アムネジア上映室■
神居は上映室に入ると、そこは異様な熱気に包まれていた。
ここまで人々を魅了する映画とは一体どう言うものなのだろうか?
神居が考え込み始めようとした直前、瑞穂が彼に向かって手を振っていた。
「神居さ〜ん。はい、どうぞ」
「ありがとう」
「私、すっごく楽しみにしてたんですよ、この映画」
「それで、暁月市に?」
「はい」
「一つ聞きたいんですが、ここにはどうやって来たんですか?」
瑞穂は右人差し指を下唇の下に当て、考え込むような仕草をとった。
「それがよくわからないんですよね〜。噂でシブヤから暁月市に行った人がいるって話をインターネットの掲示板で見つけちゃったんですよぉ」
「なるほど」
「しかも幻の映画を見たって書いてじゃないですか。これを聞いたらもう行くっきゃないでしょう?」
「そ……相当映画が好きなんですね」
どうやら彼女の心に火をつけてしまったらしい。こうなったらもう瑞穂は止まらない。
「それで片っ端からネットで検索しまくってシブヤに入り口があるって噂を見つけてスクランブル交差点を走り抜けたら」
「ここにたどり着いたと言うわけですか……」
「ですです。チョー感激ものだと思いません? ね? ね?? ね???」
「は……はぁ」
神居にとって幸運だったのは、上映を告げるブザーが鳴り響き瑞穂の興味がそちらに向いたことだった。いよいよ幻の映画とやらにご対面と言う訳だ。
「あ……始まるみたいですよ」
場内が暗転しスクリーンを覆うカーテンが開いた。スピーカーからショウワ時代を思わせるムード音楽が鳴り響く。
「なかなかいい感じの出だしですね、瑞穂さん」
彼は小声で瑞穂に囁いたがなぜか返事がない。はじめは映画に集中していると思った神居だったがすぐに異変に気が付いた。
彼女の表情はまるでさっきあったサーチャー仲間のように目がうつろで口には柔らかい笑みを浮かべている。それは見るととても幸せそうな顔だ。
「これは……?」
反射的に銀幕に目を向けた時、それは起こった。まるでスクリーンに吸い込まれるような感触が神居を襲う。
「!?」
不意を疲れた神居は意識を集中する事が出来ず、彼の意識そのままスクリーンへと飛び……彼の意識は映画に取り込まれてしまった。
そして――彼はショウワ時代後期の町並みの中に一人そこに立っていた。
彼が映画の中に入り込んだのに気付いたのは、瑞穂の余韻をこの中で感知したからだ。
しかも、映画のヒロインの中からそれを感じ取れた。
恐らく、彼女だけではない。ここにいる観客全員が映画の中に入り込んでいるのだろう。皆思い思い共感を持った出演者の視点でそれぞれの人生を体験しているに違いない。
これは見る人を魅了するなどと言った生易しいレベルを超えていた。
見た観客にとって、ここは映画ではなくリアルな世界そのものなのだ。
『これがこの映画館がアムネジアと名付けられた所以ですか』
スクリーンの中から、神居が呟いた。声はスピーカーを通して静音へと届く。
「そうよ」
『……やはりあなたは飲み込まれていなかったんですね、静音』
神居はスクリーンへ向かって歩き出す。
スクリーンの中の登場人物になっている神居と、スクリーンの外の観客としてそこにいる静音。常識では有り得ない奇妙な光景だった。レトロな曲が流れ、それはあたかも二人の会話を演出しているようだった。
「私は傍観者。ただ、見たものをそのままの尺度で解釈しているだけ」
『……アムネジアは記憶喪失と言う意味。この映画はまさに自分を忘れられるように没頭してしまうと言う意味だったんですね。皮肉な話だ』
「そうね」
『君の尺度ではこの事をどう捉えているんですか?』
「私の興味は映画には向いていないわ」
静音は淡々とした口調ではっきりと言い切った。
『傍観者だからですか?』
「……興味がないから。それよりも映画は見なくていいの? 感想を言う約束をしてるんでしょ?」
『ああ、勿論見ますよ。ただし』
神居は更にスクリーンに向かって歩き続ける。彼の意識はスクリーンを抜け出し元の体へと戻り、目を覚ました。そして、振り向かずに答える。
「あくまで僕の尺度で、ね」
「そう……」
静音の感情がまた揺らいだ。今度は自分でもはっきりとわかる。
先ほど見せたかすかな感情の揺らぎ。
静音は、ある事をはっきりと確信した。
■――A.D. 20XX 暁月市映画館 待合室■
一時間半後、神居は上映室から待合室へと戻ってきた。そこには先ほどの老人が先ほどと同じベンチにに座っていた。
「見てきましたよ、あなたの映画」
「……私の? どう言う意味ですかな?」
神居は何も答えない。
「そういえば、まだ一本残っている筈なんですが」
「……一本見れば十分ですよ」
「そうですか……それでは聞かせていただけますかな?」
神居は老人の隣に座りやや猫背姿勢で両掌を組み、前へと力をを抜いて投げ出すようなポースを取る。神居はなぜか老人と顔をあわせようとしなかった。
「面白いと思いましたよ。だから残念でした」
「ほほう、残念ですか。それはまたどうして?」
「あれは映画の域を越えているからですよ。普通の映画は見る人を映画の中には引きずり込まないでしょう」
「感情移入できると言う意味では究極の映画と言っても過言ではないと考えられませんかな?」
彼は静かに首を横に振った。
「僕はそうは思いません。どんなに優れた映画、いや全てのメディアは一過性であるべきだと思います。でも、僕が本当に問題にしているのはそんなことじゃない」
神居は、ここで初めて老人と顔を合わせた。そのまなざしは、真剣そのものだった。
「……どうして自分の作品をそのままの形で上映しないんですか。康三郎(こうざぶろう)監督」
「……わしの事を知っておりましたか」
「捜索人に関する資料の中にあなたの名前と作品の事が同封されていましてね」
「……」
「正直に言うと、僕も映画が好きなので少なからず興味はあったんですよ」
「どうやら君の期待を大きく裏切ったようですな」
「勘違いしてしないで下さい。映画は面白かったです。でも、見せ方が問題だと言いたいんです」
「見せ方?」
「……スクリーンに吸い込まれた時、あの舞台の人々はとても活き活きしていた。あれは演技では到底出せないのないリアルなものでした。しかし、あの舞台はあくまで映画の世界。そしてそれがエンドレスで続く……それを見ている人は果たして生きていると言えるのでしょうか?」
「……」
「それにあれはあなたの描いた世界……感情移入をすることはあってもあなたの心の中に観客を飲み込み、人にその心を返さないと言うのは……」
神居は言いづらそうに、しかしはっきりと言い切る。
「あなたのエゴではないですか?」
老人は、ため息を吐き神居を諭すように語り始めた。
「……仮にあなたの言う事が全て正しいとしましょう。しかし、観客の中には現実生活に戻った途端に苦痛しかない人だっています。私の作品はそういう人の救いになっていると言う自負がある。私がここで映画を止めてしまったら……あなたにはその人たちの行く末を保証できますか?」
「……出来ませんね。しかし、ならば逆に聞きます。あなたはここに捉えてる人の帰りを待つ人達の事を考えた事はありますか?」
神居は、一呼吸つき、更に続ける。
「その人達から待ち人を奪ってまであなたの世界に留める覚悟が……あなたにありますか?」
「…………………………」
「あなたにはあなたの想いがある。でも、人々にもそれぞれ個人の想いがある。だから……あなたの作品がどんなに素晴らしいものであろうと、人々の心を捕らえ続け、人々の想いを勝手に閉じ込める のは僕に言わせれば彼らの人生を奪うのと同じことです。あなたに待つ人を無視してまで観客を引きと めておく覚悟がないのなら……彼らをあなたの中に閉じ込めるのは止めてもらえませんか?」
「何が私に足りないのか……ようやくわかったような気がしますよ………………私は今まで君に会うためにここに居続けたのかも知れませんな。」
「買いかぶらないで下さい。僕は、ただの探し屋ですよ」
「私にはそうは思えませんがね」
………………
長く静寂な時間が二人の間に流れる。
そして、沈黙を破ったのは康三郎監督の方だった。
「君のような人が私の現役の時代にいれくれればと心底思いますよ。さて……そろそろ映画が終わる時間ですな」
程なくして、館内から満足そうな顔をした客が出てきた。それほど広くない待合室に溢れている。
康三郎監督は、観客に向かって堂々とした態度で宣言した。
「お集まりの皆さん。今まで当映画館をご贔屓にしていただき、誠にありがとうございました。突然ですが当館は本日を持って閉館することになりました。今まで……本当にありがとうございました」
康三郎監督は深々と頭を垂れた。
……突然の宣言に騒然とする観客たち。
彼は……いや、映画館全体が光の粒子に包まれ始めた。
いつの間に後ろに来ていたのか、瑞穂が神居の後ろから康三郎に向かって叫んだ。
「あの! あの映画、凄く面白かったです。私……私はこの感動を絶対に忘れませんから!」
光に包まれた康三郎監督は、姿勢を正して彼女の方へ振り向くと、右手を胸に手を当て紳士よろしくとても丁寧な会釈をした。
「ありがとう……お嬢ちゃん」
彼は満天の笑みを顔中に浮かべ、康三郎監督は光になってゆっくりと天に昇って行く。
「神居君、君に会えてよかったよ」
康三郎は神居に右手を差し伸べた。神居はそれを握り返す。
「ありがとう、神居君」
「……お元気で」
それはとても堅く、そして熱い握手だった。
神居の握っている右手を離す。康三郎の体は速度を上げ天高く宙を浮いている。
それにあわるようにどこかでパァンと何かが弾ける音が響き康三郎の体は夜の空をあたかも花火のように光綸で飾り……光は四散して行った。
そして――映画館アムネジアは建物ごと暁月市から消えてしまい、そこに残るのは、神居や瑞穂をはじめとする観客達だけだった。
はじめこそ呆然としていた観客たちだったが、皆まるで夢が覚めたように一人、また一人とアムネジア跡から離れて行く。
あるものは街の奥へ、あるものは歩きながら体が透明になって消えてゆく。
あれだけいた観客は静寂の包まれる地となり、後に残ったのは神居と瑞穂、そして静音の3人だけになってしまった。
「一体何が起きたのかしら……?」
瑞穂は康三郎監督が消えた空を眺めながら呟く。
それに答えたのは、静音だった。
「天(あめ)に流れたのよ」
「あめに……ながれる?」
「多分……成仏って意味だと思いますよ」
「そっかぁ……あの人って幽霊だったのね」
「……それじゃあ瑞穂さん。そろそろトーキョーに戻りましょうか」
「ええ」
「ちょっと待って」
二人がこの地を去ろうとしたその時、静音が神居を呼び止めた。
「神居。少しだけ時間をもらえないかしら?」
「え? それは構いませんけど」
「それで、悪いんだけど彼女にはちょっと席を外してもらいたいの」
静音は悪びれる様子もなく二人にそう告げる。
「えっと……瑞穂さん、申しわけないけど少しだけ待っていてもらえませんか? 彼女が僕に話があるそうで」
「……ふーん。あの子、神居さんに惚れているのかしらね?」
「まさか。そんなことはありませんよ」
「……ま、いいわ。早く終わらせてね」
彼女は少々不機嫌な様子ながら、神居の言うことを素直に聞き入れ、少し離れた場所に行ってくれた。
「それで……話とは? できれば早く済ませてほしいのですが」
「ずっとあなたを見ていて思っていたんだけど……あなたがここに来たのは必然のようね」
あまりにも唐突な話の切り出しだった。
「まさか。俺はただの探し屋ですよ」
「全ての事象には偶然なんて有り得ないのよ。そして――私はあなたのような人を待っていたのかも知れないわ」
「正直、何がなんだか何がなんだかさっぱりですよ」
「私は導く人がいないと自分からは何も出来ないの」
「それで……?」
「だから、私はあなたに託してみたい」
「託す?」
「言葉通りの意味よ」
彼女の言葉は、いちいちと難解な事ばかりだ。暁月市に来て一番の謎はもしかすると彼女の存在ではないかと思えるくらいだ。
「勝手に託されても困りますよ。第一、僕はただの探し屋に過ぎない」
が。静音にとっては神居の意思はあまり関係がないようだ。それが証拠に神居に対して思いもよらない事を言い出した。
「そうね……あなたは探し屋だったわね。それなら、あなたに依頼するわ」
「依頼?」
「ええ。私を探して欲しいの」
静音の言葉にやれやれといった仕草で額に右手を当て頭を振る。意図がまるで掴めない。第一、探せと言う当人は目の前にいるではないか。
「意味がわかりませんね。記憶喪失というなら、それは僕の管轄じゃないですよ」
「そういう意味じゃないわ。もうあなたにもわかっているでしょ。この街の事をね」
「まあ、普通の街でないことはよくわかったつもりですよ」
「そういう意味ではないわ。この街にあるものは皆何かが欠けている。あなたは自分では気付いてはいないかも知れないけど、あなたは今までどの人も出来ないことをやってのけたのよ」
「『天に流れる』……あれがそうだと?」
「それだけではないわ。あなたはこの街で人の尺度に飲み込まれることなく自我を保つ事が出来た。私の知る限りではそれはあなたしかいない」
静音の視線は真摯に満ち、神居からそらす事は決してなかった。
刹那、一陣の風が二人の間を吹き抜ける。
彼女はその風を掴み、拳を開いた。その掌には紙縒りが握られていた。彼女は紙縒りをほぐし中を確認し神居にとって信じられない言葉を口にした。
『真実は、数多の虚構からその姿を覗かせる』
「!」
「私にはよく意味がわからないけど……これがあなたに欠けてる何かに関係あるようね」
「……何故君がその言葉を知っているんです?」
「前にも言ったでしょう? ここにはあらゆる噂が行き交う所。そして同時にここはあらゆる噂の発進地でもあるの。そして私はここの傍観者。その気になればこあなたがどうして探し屋になったのかも知る事が出来る」
「……どうにも気に入らない話ですね」
「私が知っているのはあくまで噂でのレベル。そこに悪意は存在しないわ。けど、あなたの気分を害したのは確かね。ごめんなさい」
「……そんな君でも自分の事はまるでわからないと。とても皮肉な話ですね」
「ご挨拶ね。でも、反論の余地がないわ」
「ここに来た時にかすかに感じた余韻……あなたの言う通り必然なのかも知れない。それに」
「それに?」
「……あなたには少なからず興味が湧きましたのでね。わかりました。その依頼、受けましょう」
「……契約成立ね。報酬はいかほど?」
「あなたが言う出会いの『必然』……それを頂きましょう」
「あら、随分と欲がないこと」
「僕はお金では動きませんよ」
「あなた自身の目的のため――そんなところかしら?」
「……そこは自由に想像してくれて結構ですよ」
冷たい風が再び吹きぬけ、彼女はその風に乗って流されるように浮かび上がった。
「それじゃ……また会いましょう。近い内に、この暁月市で」
彼女は文字通り風と共にその姿を消し、神居は静かにそれを見送るのだった。
「ここには僕の求める余韻がある……」
神居は夜空を眺めて思いをはせていた。星々が先ほどの光に重なってみる……そんな気がした。
「神居さん、もう用事は終わったんでしょう? そろそろ帰りましょうよー」
どうやら余韻に浸る暇はないらしい。神居は瑞穂に手を引っ張られた。
「ええ。そうしましょう」
「でも、どうやって帰るんですか?私、ここへどうやって来たのかすらわからないんですけど」
「心配無用です。自分の余韻を追って元ある場所に戻ればいいだけの話ですから」
瑞穂はきょとんとしていた。意味がさっぱりわからないが、帰れるのなら問題ないと考えを切り替えた。実にたくましい性格といえよう。
そして、帰る道すがら瑞穂がぽそりと呟いた。
「ねえ、神居さん」
「なんですか?」
「あの人の作品って殆ど評価されなかったんですってね」
「そうらしいですね」
「だとしたら……あの人は人知れず逝ってしまったのと同じなんですよ。それってなんだか……かわいそうだと思いませんか?」
「それなら」
神居は再び夜空を見上げた。
「君が忘れなければいいんですよ。そうすれば少なくとも一人は彼を覚えてる。そして……あなたが康三郎監督の生きた証となれば、彼も孤独ではなくなるでしょう」
神居は自分の右手に目線を落とす。先ほどの握手の余韻が彼の心を震わせているように瑞穂には見えたのであろうか。
「へ〜……神居さんって意外にロマンチストなんですね」
「違いますよ。仕事柄、同じようなことに出くわす事が多いだけです」
「またまた〜! 照れちゃってかわいいんだからっ」
瑞穂はどさくさに紛れて神居の左手に無理矢理組み付いてきた。ちゃっかりしてると言うか天然と言うか……神居にとって瑞穂は久扇子とは別な意味で苦手なタイプなのかも知れない。
程なくして二人はシブヤに帰り着いたのだが、そこはスクランブル交差点のど真ん中で、不運にも信号が赤になりかけで、二人は慌てて横断した事を付け加えておこう。
■――A.D. 20XX トーキョー シブヤ区■
「まあ、とにかく。無事に帰って来れましたね」
「ええ。神居さん、本当にありがとうございましたっ!」
「どういたしまして。これが仕事ですから、それよりも久扇子さんに連絡しておいたほうがいいのでは? きっと喜びますよ」
「そうですね、じゃ、ちょっと電話しますね」
瑞穂は携帯電話で久扇子に電話した。電話はちゃんと繋がっているらしく、騒々しく喋っていた彼女だったが突然、自分の携帯を神居に差し出した
「クミちゃんが神居さんに代わって欲しいって」
「僕に……ですか?」
彼は凄く嫌な予感がした。
『神居くーーーーーーーん……』
「や、やあ。久扇子さん。どうしたんですか?」
『どうした……じゃないわよ! とにかく勝也と待ってるから早く帰ってきなさい!!!』
「勝也君と一緒に???」
久扇子は一方的に電話を切ってしまった。彼の予感は、確信へと変わっていく。
■――A.D. 20XX トーキョー某所 倉庫街■
神居は慌てて自宅へ帰ってきた。そして、なぜか瑞穂がついてきていた。何度も断わったのだが何かお礼がしたいと言い張り、頑として引かないので、やむなく同行させる羽目になってしまった。そして、神居の悪い予感は今だに続いており、それは最悪の形で的中していた。
「待ってたわよ、神居くぅーん……」
部屋に入った途端、怒気をまとった久扇子が仁王立ちで神居をじろりと睨んだ。そして隣には両頬を晴らして正座をさせられている勝也の姿があるではないか。
神居は出来ることならこのまま180度ターンして外に逃げ出したくなったが、当然久扇子がそれを許すはずがない。そして、更に神居に追い討ちをかける一言が彼を襲った。
「瑞穂ちゃんを探し出してくれた事には一応お礼を言っておくわ」
「え……?」
「あなた……本当は凄腕の探し屋なんですってね、しかも裏社会の」
「な……なんのことですか?」
「しらばっくれても無駄よ! もうネタは上がってるんだから!!」
久扇子は左手で勝也の頭を思いっきりひっぱたいた。
「まさか……勝也君」
「……すんません、神居さん」
神居は思わず眩暈を覚えた。どう言う事があったのかわからないが、どうやら久扇子に全てばれてしまったらしい。
「それに、あの人からぜーんぶ事情は聞かせてもらったわよ」
と、彼女が指を指す先にはGINの表示がされたPCがあり、事もあろうにD・J-ビルがなぜかニヤニヤしてこちらを見ているではないか。万が一にと思って勝也にGINへのアクセスコードを教えていたのが裏目に出てしまったようだ。
「い……いや、これには色々と事情があってですね」
「言い訳無用!」
「勝也君を巻き込んだ事は謝りますよ。でも決して危ない仕事をさせてたわけでは……」
しどろもどろになっている神居にビルが会話に割って入って来た。
『神居、お前が想像していることと事情はちょっと違ってな〜……』
「……え?」
「神居君、どうしてこんな面白い事を私に隠してたの!?」
「……はい?」
「ずるいじゃないの、勝也とあなただけかっこいいことしちゃってさー、馬鹿にしてるわよ。ねえ、瑞穂ちゃんもそう思わない?」
「うん、思う〜!」
事情を知らない瑞穂までがなぜか会話に加わっている。もう何がなんだか訳がわからない。
『と、言う訳でな、神居。この嬢ちゃんをGINに登録することを決定したからな〜』
「なんですってぇ!!!!!????」
『事情を知られた以上、こうするしかないと思わないか?それとも、そこの嬢ちゃんに捕まって臭い飯を食いたいかぁ?」
「それは……イヤです」
「だろ?」
ビルは相変わらずニヤニヤしている。GINにとっては非常事態のはずなのにビルの態度はもの凄く不気味だ。一体この余裕はどこから出て来るのか、神居には理解不能だ。
「ビル……あんた、この状況を楽しんでるでしょ?」
「…………………………………………ばれた?」
ビルは思いっきりお茶目な笑みを浮かべ、ぺロッと舌を出した。
その態度にはまるで悪びれた様子が見られない。
――コレハ、デジャブナノカ?
神居の思考は完全に止まってしまった。もはや神居は反論する気力などこれっぽっちも残っていなかった。そんな彼にビルは更に追い討ちをかける。
「そんな訳で、その3人の面倒はお前に任せたからな〜」
「何でそうなるんですか?……ってちょっと待って下さい。どうしてそこで3人と言う単語が出て来るんですか!?」
『勝也にクミちゃん、そして瑞穂ちゃんの3人に決まってるだろ〜?』
「どう言う脈略でそうなるんですか!?」
『弟子の不始末は師匠の責任って言うだろ〜? それにクミちゃんの話だと瑞穂ちゃんも相当有能らしいじゃないか。いい人材は即取り入れる。これがGINのポリシーだろ〜?』
「……そんな話、初めて聞きましたよ」
『ま、そんなわけで2人とももう登録したからよろしくな〜』
ビルは高笑いでとっととログアウトしてしまった。さすがと言うかなんというか。ビルは神居が思っていた以上におおらかでそれ以上にアバウトなやつだと思い知らされた。
きゃあきゃあ言いながら喜ぶ女二人と正座したまま猛省している勝也の姿を見て神居は思わず一言。
「やれやれ……これからどうなるのか誰かに聞いてみたいものですね」
と、洩らし頭をかきむしりながら思わず苦笑いを浮かべるのだった――
* * *
こうして神居のとても長い一日は終わりを告げた。
しかし、それは始まりに過ぎないことも彼は知っていた。事は何も終わっていない。
静音と神居の出会いは暁月市、そして神居と静音の過去を紐解くことになる。
だが。その全てが解明されるには、しばし時を置く事になる――――。
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