とは、言うものの。
書きたいことは結構作品の中に詰め込んだ、と言うよりも詰め込みすぎた感すらあり、少々反省しているところなのですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
今ごろですが、一話のあとがきみたいなものを書いております。
実は、あとがきって苦手なんですよね。
いや、人のを読むのは凄くすきなんですが(w
自分のとなるとそ〜はいかない。
それはなぜか?
書いてる最中はとにかく必死で書いていた記憶しかなく、書きあがったら上がったで色んな思いがあり、まとまりがなくなってしまうんですね、これがまた。
今回はいつもに増してそれを感じたわけでして。
まさか、書いてる最中に入院しちゃうなんて思っても見なかったもんな〜、いや参りましたよ、実際^^;
そういう理由で締め切りをししょっぱなから相当延ばしてしまい、他の担当者の方々に多大なご迷惑をかけてしまったのが心苦しかったです。皆さん、体は大事にしましょうね^^; よし、反省終わり^^;
作中で静音が「全ての事象には偶然なんて有り得ないのよ」といっていますが、実際今回の作品もやはり生まれるべくして生まれたものだと実感しております。
それはある作品へのオマージュであり、また影響であり、そして自分の生き様そのものが形を変えて産まれてくる。
それは、自分に達成感を与え、また自分の未熟さをさらけ出すことに繋がります。少なくとも、自分自身の作品に関してはそれが顕著に表れていると考えています。
都市幽霊「暁月市」は本当にシンプルな動機から誕生しました。
以前、「屋敷幽霊」と言うアイディアを某漫画で見たときにこれをそのまま街のレベルまで拡大したら面白いのじゃないか?と言うのが構想の下で、それを思いついたままに企画会議に出したら、それが通ってしまったと言う……いやー、正直驚きました。世の中は本当に自分の想像の斜め上を軽く超えていきますね〜(w
そして、一話担当になることが決まりその設定が自分の首をしめまくると言う身も蓋もない展開になりました。
その典型が作中の主人公である「神居」。
自分で考えたキャラクターなのにこいつには本当に産みの苦しみを実感させられました。
「神居」の特徴である黒い服装にぼさぼさの長い髪。
彼の設定はこれだけしか決まっていませんでした。
その状態で書き始めてしまうのだからそりゃ〜苦労するに決まっています。それでも、書き始めなければいけない。このままの状態でもいけるところまで行かなければならない。そんな根拠のない確信めいたものだけを頼りに最後まで突っ走り、出来上がったキャラクターが彼だったのです。
ただ、作品の中でいくつかの決まり事が自分の中でありました。
それは「バトルのない物語にしよう」という事。
そして「主人公は探し屋にしよう」という事。
この二つこそが1話の核であり、こだわりだったんです。
たったこれだけのルールの中でよくもまぁあんな話に発展したなぁと自分でも不思議でしたが、書いていく内に他のキャラクターも引っ張られるように出来上がっていきました。
勝也。
久扇子。
瑞穂。
ビル。
康三郎。
そして、静音。
彼らは執筆中に自分で決めたルールの中でしか産まれ得ないものだったと自分では思っています。
いや、オリジナリティーや個性と言うそんなレベルではありませんよ。
うまくいえませんが、暁月市と神居がいたからこそ彼らは生み出すことが出来た……そんな気がしてならないのです。これも確信ですね。あくまで自分の中での話ですが。
その試みがうまく行くのか……正直かいている最中は考えてる余裕すらなかったので途中で大幅な変更も余儀なくされましたが、それも今となってはいい勉強になりました。ただ、お世辞にもいい思い出と言うにはあまりにもリアルに自分を追い込みすぎたのは洒落になりませんでしたけど^^;
暁月市での物語について自分で振り返って思うことを少し。
この物語は、決して大きなものではないという事です。
舞台こそ壮大に見えるかもしれませんが、主人公「神居」はとてもパーソナルな理由でしか動いていません。
彼に関しては、生み出した自分でさえつかみきれていない面白い存在です。
だから、ほんのちょっとですが彼との付き合いはまだ続くような予感がするのです。
RRNは言うまでもなく一人では決して完成しない物語です。
確かに設定等は自分で引きましたが、それを発展させてくれたのは執筆者の方々の手腕と解釈の広さに助けられたからこそ生み出されたと言い切れます。よくこんな無茶な設定を引き継いでくれました。
本当に、ありがとう。
そして、読んでくださった皆さんへ。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
どのような形でかはわかりませんが、また何かの形でお付き合いいただけたら作者冥利に尽きると言うものです。
そんなわけで、しばらくのあいだ自分の中にある暁月市の中でさまよいながら次の構想を練ってきます。
「真実は数多の虚構からその姿を覗かせる」。
それは、自分自身にも言えることなのですから――。