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Urban legend
−夜明けの街−
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■Urban legend −夜明けの街−■
 第5話 「時の環」  ■担当:広川 侑■

■――A.D.20XX Unknown■
 風が、流れていた。
 いったいこの風はどこからくるのかしら……。
 静音は、高層ビルの屋上に佇み、全身でそれを受けながら考えていた。
 風にのってくる噂。それを受ける自分。それなら、その風がくるのはいったいどこからなのだろう、と。
 いつからこの暁月市にいるのか、自分でもわからない。気が付けば、いつもどこかで風を受けていた。
 この地で風をうけ、読み取る。
 なんの違和感もなく、それがあたりまえのことだと思っていた、最初は。風をうけ、あらゆる噂をうけ、街をみつめ、ひとを眺める。これがこの街での私の位置――そう思い、いつも風を受け続けていた。
 しかし。あるときふと疑問がわいた。
「私」の位置? 今の私が「私」なら、その「私」って、いったい「誰」……?
 少なからず、ショックだった。自分が誰だかわからないことに気が付いて。ひとつの疑問は、瞬間ですべてを疑問に変えた。
 自分は誰なのか。いままでどうやって生きてきたのか。ここはどこなのか。どうしてここにいるのか。なぜこんなことをしているのか。自分は――現実なのか。
 風を読んだ。ただひたすら風に願い、その身の感覚がなくなってしまうまで風を受け続け、手にした紙縒りを開いては捨てた。意識が崩れ、倒れてあきらめ、けれど本当にはあきらめきれず、立ち上がり、繰り返す。どれだけの時をそうやって過ごしてきたか、もう静音にはわからない。だが、欲しい答えは、未だ彼女の手にはつかめていなかった。
 ふと、冷たい風が彼女を取り巻いた。静音は迷わず右手を差しだし、空を掴んだ。手の中に紙縒りを残して、その風は彼女のうしろへと通り過ぎた。
「…………神居……」
 開いた紙縒りをみつめ、静音はため息をついた。
 この地は神居を快く思っていない。そんなことは、彼がはじめてここに現れたときからうっすらと感じられたこと。いままでこの地を訪れた誰とも違う彼は、たしかにこの地にとってはやっかいなものなのかもしれない。静音が知る限り、この地の意思ともいえる法則にあそこまで順応できない人間はいなかったのだから。
 順応できない。
 そう。彼はたぶん――私とおなじ……。
 ただ、自分はこの地を受け入れていて、彼はそれをしていない。違いはそれだけだと静音は思っていた。自分と彼は、この暁月市という地の両極にいる。すべてを肯定し傍観している自分と、できれば謎をあばこうとしている神居。この地にとっては、神居は所謂「キャンサー」。癌の原因となるそれなのだろう。神居がこの地に深く浸透すればするほど、この地の均衡はあやうくなる。それだから、あのときこの地は神居を無理やり現実に押し戻したのだ。排除したといっていい。あの瞬間、目の前から消えてしまった彼に静音は呆然としたが、ほどなくその意味も意図も量ることができた。たったひとつの癌細胞は、すべての存在を壊していくことにもなる。だからこそのあの瞬間だったのだと。
 手の中の紙縒りには、噂が書かれていた。
 神居はこの地に戻ってこようとしている。
 けれど、静音はそれを悲しく思った。自分を捜してくれるという彼。そしてたしかに、基本情報を掴んで戻ってきた。けれど、それがこの地には気に入らない。それまでうっすらとしていた拒否が、静音に関する情報を開示されたところであからさまなものに変わった。
 攻撃ともいえる拒否と排除。
 おそらくは、それに抵抗できるものはないだろう。この地は、暁月市。伝説にもなるちからをもった都市。それが自らの意思を持ち自らの思うところですべてを動かしているというならば、そのちからの前に、ひとは無力でしかないと思う。
「……私には……なにもできないわね……」
 そうつぶやきそっとうつむき――次の瞬間、静音ははっと顔をあげた。
「なにも…………できない?」
 驚いた。自分の、その考えに。
 なにかを自分からしようと考えたことはなかった。自分のことも知ることができないとわかったあのときから。ただ流れる噂をつかむのみで、それをどうこうできるとは思えなかった。いや、思わなかったのだ、故意に。できないという事実を突きつけられ、あきらめきれずに願ってはみるものの絶対にそれは叶わない。
 ここでは、なにも思い通りには動かせない――。
 時がたてばたつほど、それを実感し、あきらめと自嘲を繰り返し、今はあきらめが勝っていた。だからただ漂い、傍観し、口をつぐんできたのだ。
 しかし、この一瞬、静音はたしかに自分からなにかを動かそうと思った。そしてその手段が探せず、無意識に「できない」とつぶやいた。
 静音はもう一度、手の中の紙縒りを見た。神居がここに戻ってこようとしていることが記されているそれを。一文字ずつゆっくりと目で追い、ゆっくりと自分のなかで噛み締める。戻ってこようとしている――その、言葉の、意味を。
「風よ……あなたはどこからくるの?」
 全身でそれを受け止めようとするかのように、静音は両手をひろげ、目を閉じた。
「教えてお願い……風はどこから――きゃっ!」
 突風。
 小柄な静音はその場によろけて倒れた。
 見ると、目の前で風が渦を巻いていた。それはまるで小さな竜巻のよう。
 静音にとって、はじめての風だった。
「……それは……拒否? それとも攻撃?」
 倒れたまま、静音は竜巻をみつめて静かにそう言った。
 すると。
 竜巻がするすると小さくなり、やわらかなつむじ風に姿を変えた。ふんわりと彼女を包み込み、やんわりとそのからだを持ち上げ、そしてそっとその場に立たせた。
「……ありがとう」
 静音をつつんでいた風は一重ずつ衣を脱ぐように渦を解き、四散した。
 静音は、風が消えた空間をしばらくみつめ、そしてゆっくりと空を眺めた。
 霞がかかったような、淡い水色の空。
 眼下に遠く広がる街に目を向け、また空を見上げた。
「……真実は……数多の虚構からその姿を覗かせる……」
 風が運んだ噂のひとつ。掴んだ紙縒りに書かれていた意味不明の言葉。
 風が戻ってきた。やわらかく静音を取り巻き、その髪を、服を、軽やかに舞わせる。静音は目を閉じ、しばらくされるがままに風を受けていた。が、やがて右手を前に向かってそっと差しだし、空を掴んだ。ゆっくりと開かれた瞳に、紙縒りの文字が映る。

  For every evil under the sun,
  There is a remedy or there is noe,
  If there be one, seek till you find it;
  If there be none, never mind it.

「……マザー・グースね」
 静音は書かれている英文に目をとおし、ふっと息をついた。
「……そう……だけれど。今の私には、捨て置けないかもね、たぶん……」
 そうつぶやき、右手に持っていたその紙縒りを宙に飛ばした。

  この世の どんな悪いことにも
  なおす手だては あるかないかどちらかです
  もしあれば 見つかるまでさがすこと
  もしなければ 気にしないこと

「――だけれど、捨て置かなければならないこともある、この世界にはな」
「え……っ?」
 静音は咄嗟に背後を振り返った。
 声がした。男の声。
「…………だれ……?」
 自分が立っている屋上をぐるっと見渡すが、そこには誰の姿も認めることはできなかった。
 が、たしかに、男の声。なぜか懐かしい、聞きなれているといっていい声。
 知っている声――そう思った。しかし、この地で知っている声なぞあるわけがない。いまのところ、神居をのぞいて。
 彼女は、傍観者。この暁月市をただ漂っているにすぎないもの(・・)だ。だからこそ「聞きなれた」声なぞあるわけがない。自分でもよくわかっている。なのに、静音はその声が妙に懐かしかった。
 もう一度、自分のまわり、屋上すべて、目の届く限りのところを見渡した。
 誰も、いない。
 淡い空と眼下の街を見渡し、静音は再度ため息をついた。
 と。
 あたたかな風が、静音の背後から彼女を抱きしめた。咄嗟に静音は、自分にまとわりつくそれを、両手で抱きしめた。
 右の掌に握りこまれる紙縒り。
 風に包まれたまま、静音はそれをゆっくりと開いた。

■――A.D.20XX トーキョー某所 商店街■
 その店は、時計屋だった。いったいいつの創業なのか、木造二階建ての古びた外観に、通りに面したガラスのショーウィンドウ。そのガラスの向こうに、壁に掛けられた多くの時計と薄暗く小ぢんまりとした店内が伺える。瓦屋根の上には木枠にトタン板を張って作られたらしい灰色の看板。そこに、かすれた若草色の飾り罫に囲まれ、今は薄いベージュとも言える色になってしまった「アムネジア」の文字。その文字の下に、小さくかすかに残る「佐藤時計店(さとうとけいてん)」という店の名前。
 神居は、黙ってそれを見つめていた。
 アムネジア――記憶喪失症。
 時計店の名前にしては少々変わっている。見た目はなんの変哲もない時計店。なのに店の大看板には「アムネジア」。
 神居は、ベストのポケットから懐中時計を取り出した。今日はいつものスーツの下にベストを着ていた。それにはいろいろと彼なりの理由があるのだが、とりあえず今は時間が知りたかった。金のチェーンをつけた金の懐中時計は、午後二時を差していた。
 これが夜中なら、丑三つ時というやつですか……。
 そう考えながらベストのポケットに時計をしまい、チェーンを直した。そうしつつ、いまさら丑三つ時も暮れ六つもないものだと自分の考えに苦笑し、そして目の前のドアを開けた。

■――A.D.20XX トーキョー某所 佐藤時計店■
 軽いカウ・ベルの音をともない、木製のドアが開いて閉じた。
 通りからみたとおり、薄暗く小ぢんまりとしたその店は、奥に向かって右手の壁側に古いショーケースが二本。その奥におそらくは作業台なのだろう、大きめの木製テーブル。そのテーブルの向こうにガラスの引き戸があり、店とその奥へ続く空間を仕切っている。向かって左手には黒檀と思われる丸いテーブルと椅子が二脚。そして、ショーケースのなか、壁、壁際の飾り棚、およそ店内のすべてといっていい場所に、さまざまな時計が置かれていた。大きな掛け時計、かわいい目覚まし時計、腕時計、ちょっとしたからくり時計や、水時計、砂時計の姿も見える。
「はい、いらっしゃいませ」
 ほどなく、ガラスの引き戸が開いて、七十を疾うに越しているような亭主と思われる男が現れた。
「なにかお探しで?」
 グレーの髪に、黒い丸縁の眼鏡、少しくたびれた白のカッターシャツの両袖には紺色のアームカバー、ベージュの作業エプロン姿のその男は、神居に向かって静かに微笑みながらそう訊ねた。
「腕時計を、みせていただけないかと思いまして」
 神居も、亭主ににっこりと笑顔を返した。
「はい、それでしたらこちらになります。どのようなものをお探しで?」
 亭主はショーケースを開けていくつかの腕時計をケースの上に並べていく。
「よいお店ですね、こちらは」
「――いやあ、ありがとうございます」
 出し抜けの神居の言葉に一瞬驚いたようだが、それでも亭主は笑顔で時計を並べ続けた。
「お好みはどのような? 最近はもっと流行の型があるんですが、うちではいまのところこういうものしか扱っておりませんで……お気に召しますかどうか」
「銀のものを見せていただけますか。女性用のを」
 その言葉に、亭主は手を止め神居をみつめた。そしてさらに優しい笑顔になると、今度は女性用の腕時計を取り出しながらこう言った。
「やはりそうでしたか。お客さまにはすでによい時計をお持ちのようだ。なのになぜ腕時計をと思ったのですよ。贈り物ですか」
「なぜ僕がよい時計をもっていると?」
「ベストのボタンに掛かった金鎖。それは懐中時計のチェーンですな。使い込まれた色をしている。大切にお使いなのが、それでわかります。その時計をお持ちなのにわざわざ腕時計とは、と思ったのですよ」
 ショーケースの上に銀色の腕時計をいくつか並べて、亭主は神居に向き直った。
「お歳はいくつぐらいの方でしょう。お似合いのがあればよろしいですが」
 神居は笑顔をくずさず、さも適切な言葉を出そうと考えているかのように店内を見渡しながら説明を始めた。
「歳は……そうですね、僕よりは下でしょう。肌が白いので銀が映えると思います。それに結構華奢ですから、重く見えるものより軽いものがいいでしょうね。髪はストレートのロングで…………そうそう、あの写真のお嬢さんによく似た女性です」
 亭主は、弾かれたように作業台を振り返った。そこには、少し大きめの写真立て。桜の花をバックに、ひとりの少女が写っていた。きれいな黒髪に白い肌、長いまつげに縁取られた黒目がちな瞳、うっすらと紅を刷きほんのりと微笑む唇。
「……では、こちらなどいかがでしょうかな」
 少し無理のある笑顔に変わった亭主は、それでもショーケースの上に女性物の腕時計を置いた。神居の言ったとおり、軽やかな印象を与える銀の時計。
 神居はそれを手にとった。そして。
「失礼ですが、お嬢さまですか?」
 亭主は一瞬、神居の手の中の時計をみつめたが、やがてゆっくりと写真立てを振り返った。
「もうおりませんが……よい子でした」
「これは……大変失礼なことを」
「いいえ。あれに似たお嬢さんなら、そういうものがお似合いでしょう。重くもありませんし、見た目よりはずいぶんとしっかりしておりますのでそうそう故障もいたしません」
「では、こちらをお願いします」
 神居は、手にしていた腕時計を亭主に差し出した。亭主は一礼するとそれを受け取り、ビロードを敷いた四角いトレーの上にそっと置いて、ショーケースを離れた。
「ここでは長いのですか? お商売は」
 神居の言葉に、亭主は慣れた手つきで保証書や箱を用意しながら応えた。
「もう五十年になりますな。最近はお客さまもめっきり減ってしまいましたが。電池やバンドの交換くらいですか。まあ、年寄りがひとりでやっていくには気楽でよいですわ」
「このあたりには他に時計店もないようですしね。地元のみなさんには、こちらが頼りでしょう」
「そうだといいんですがな。包みはいかがしましょう。おリボンなどは?」
「あ、いえ。そこまでのことは」
「では、普通にお包みしますな」
「すみません。そう……失礼ついでといってはなんですが、ご亭主」
 神居は、器用に包装されていく亭主の手の中の箱をみつめながら訊いた。
「お店の大看板、あれは少々変わっていますね」
 亭主はやんわり微笑んだが、しばらくは包装に集中していた。神居もその手元をみつめて、黙っていた。
「はい、お待たせいたしました」
 やがて、きれいな桜色の包装紙で丁寧に包まれた腕時計の細長い箱が、神居の前に置かれた。神居は内ポケットから出した財布から何枚か紙幣を取り出すと、箱の隣に置かれたトレーの上に置いた。そうしながら、やんわりと話を続ける。
「アムネジア。そう書かれていたようにお見受けしましたが。あれはこのお店の屋号ですか?」
 亭主はレジに向かい、トレーにつり銭を乗せながら応えた。
「いや……実は以前は、この上で家内が喫茶店をやっておりました。そのときの店の名残です。娘がいなくなり、気落ちしていたあれを支えた店でしたが。あれも亡くなりまして、ずいぶんと前に閉めました。看板には別に喫茶とも書いておりませんでしたので、そのまま揚げさせてもらっております。もうそろそろこの年寄りもお迎えがきそうですし、いまさら新しくすることは考えておりません」
 やわらかく微笑みながらそう言った亭主に、神居はつり銭をしまいながらひとつ頷いた。
「そうですか。時を刻む時計を扱うお店にアムネジアとはめずらしいと思ったので。お嬢さまがいなくなったとおっしゃいましたが……それは?」
「もう生きてはおりますまいが……行方知れずなのですよ。事情で、幼い頃に養女に出した娘です。年に一度、誕生日にはあんな写真を送ってくれていました。それがある年、届きませんでな……。行方不明になったと聞かされました。向こうのお宅も、こちらでも八方手を尽くしたのですが……結局今もわかりません。それで家内はふさいでしまいましてな。が、喫茶のお客さまがいろいろと励ましてくださり、亡くなるまでは本当に助けていただきました。それで看板はそのままなのですよ」
「行方不明……そうですか。それはさぞご心配でしょう。実は――僕がこの時計を贈りたいその女性も、ある意味、行方不明なんです」
 亭主は、驚いたように神居をみつめた。
「仕事で出会ったひとですが、彼女は自分のなかで行方不明になっています」
「自分の、なか?」
「記憶がないんです」
 亭主の目がさらに驚きに見開かれた。
「これで、僕がこのお店の大看板の文字に興味を持ったことをご理解いただけるでしょう。彼女には、自分の位置もわからず、時間の観念もあまりない。ですから、時計を贈ろうと思ったんです。あの写真、実は驚きました、あまりにも彼女によく似ているもので。お名前はなんとおっしゃるのですか?」
 神居の言葉に、亭主はショーケースをぐるりとまわって神居の前まで来た。
「お客さま、よろしければお茶でも」
「え? いえそんな。お商売もあるでしょうし長居をしては」
「いえ。あなたさまもお客さまです。いきなりで大変ぶしつけですが……そのあなたさまのお知り合いだというお嬢さん、その方のお話を聞かせてはいただけませんか」
 真剣な亭主の目に、神居はゆっくりとひとつ頷いた。
「ありがとうございます、どうぞこちらへお掛けください。ただいまお茶を」
「お気遣いなく」
「いえ、とんでもない。わたしがお願いをしているのですからな」
 亭主はそう言って笑顔で奥への引き戸を開けた。
「そうそう、娘ですが。わたしどもでは「しずね」と名づけておりました。それじゃちょっとお待ちください」
 引き戸が、閉まった。
 しずね。
「ここが……扉で間違いないようですね」
 神居はそうひとりごちると、そっと息をついた。

■――A.D.20XX トーキョー某所 大学■
「ねーねー瑞穂ってばさー」
「なによ」
「いつまでこんなことやってんのー? あんた講義だいじょぶなわけー?」
「だいじょぶじゃないかもね。あ、ごめん、そこの付箋とって」
「もー。人の話なんか聞いてないんだからー」
 そう言って頬をぷっと膨らませたその友人は、それでも瑞穂に付箋を差し出した。
「ほんじゃ、あたしバイトがあるから行くわー。瑞穂もなに調べてんのかしらないけど、あんま根詰めちゃだめだよー。じゃあねー」
「うん、ありがと。バイトがんばれ」
「うんーそんじゃー」
 大様に手を振って、友人は図書館の外へ、瑞穂は広げている書籍に目を戻した。
 大学の図書館。今朝早くから瑞穂はここで調べ物をしていた。論文の作成や試験勉強などのために長時間個人ブースを貸し出してくれる制度があるのでそれを利用し、自分のノートパソコンを持ち込んでずっと資料を漁っていた。
 神居から、暁月市関連の行方不明者リストの作成を依頼された。けれど、ごく普通の一般人である瑞穂に、それは少々難しい。同じように久扇子にもそれは依頼されていたが、彼女は警察官という職があるため情報を得ることができても裏づけをとる時間がない。そこで、連係プレーをとることにした。久扇子が行方不明者情報をデータとして瑞穂に渡す。瑞穂はそれについて一件一件裏づけを取る。行動が必要になる場合は、勝也宛にメールを送り彼を動かすことでそれなりに作業ははかどると踏んだのだ。が。時計は午後三時近くになっていたが、仕事はあまりスムーズには進んでいなかった。
「行方不明っていってもねえ……どこへ行ったかわかんないから行方不明なのであってー。本人が暁月市とかなんとかってことに興味あるとか公言してないかぎり、関係してるのかしてないのか判断するの難しいよねえ……」
 瑞穂は、そうひとりごちながら椅子の背に全身を預け、分厚い書籍をパラパラめくっていく。それは過去の新聞の縮小版だった。新聞を何年か分まとめて冊子にしてあるものだ。久扇子がよこしたデータから、新聞に掲載されたものをピックアップするつもりで書架から出してきていたが、あまり意味はなかった。
「……あれ?」
 と。
 瑞穂はページをめくるのをやめ、からだを起こした。きちんと椅子に座りなおすと、ノートパソコンを脇にどけて冊子を机に置いた。
 目に止まったのはここ数日当たり前のように聞いている単語。
「……神居?」 
 「神」と「居」、このふたつの漢字が連なっている単語を見ることは滅多にない。それを古い新聞の隅にみつけ、瑞穂は慌てて姿勢を正したのだ。
「……ふーん、苗字かー。めずらしい名前だもんね、神居なんて」
 それは事故記事だった。どこかの学校の合宿バスが、どこかの山の中で転落事故を起こしたという記事。
「大変ね、こーゆーのも。ありゃー、結構な人数だわ。軽傷……ふーん、この神居(かみい)稜(りょう)くんって子、軽い怪我だったんだ。よかったねー。重傷……一、二、……十三人か…………え?」
 瑞穂は、思わず冊子の両端を握りしめた。
「……ゆくえ……ふめい?」
 記事の最後の行。
「行方不明……山南(やまなみ)市郎(しろう)……。なんで? なんでバス転落事故で行方不明者がでるわけ?」
 瑞穂は、そこを基点にそれからの新聞記事をすみからすみまで読んだ。しかし、行方不明者の捜索が打ち切られたとの記事を一週間後の新聞に見つけただけで、その後かなり先まで調べたが、この行方不明に関する情報はなにもなかった。
 瑞穂は迷わずその記事をスキャナーで読み込み、ノートパソコンに取り込んだ。なにかがひっかかる。
 久扇子にメールで記事を送った。
 出してきた書籍を書架に戻し、使ったブースをきれいに片付けると、瑞穂は持ち込んだ筆記用具やノートパソコンをバッグにつめて席を立った。
「みーずほー、どこいくのー?」
「学食!」
 すれ違う友達の声にそう答え、足早に食堂へ向かう。プリン・ア・ラ・モードとホットケーキにアイスティーをトレイにのせ、窓際の席に陣取ると、瑞穂はさっそくノートパソコンの電源を入れた。
「クミちゃん、忙しいだろうなあ。だいたい婦人警官なんかいったいなにやってるんだろうね、日中。一般事務とは違うだろうし」
 メーラーを立ち上げ、久扇子からの返事がまだ来ていないことを確認しつつ、プリン・ア・ラ・モードをほおばる。
「結構古いもんね、この記事。十年はたってるから、捜すの難しいよね、このひと」
 スキャンした新聞記事を眺め、行方不明者の名前を指でなぞりながら、今度はホットケーキをつつく。
「でも……気になるなあ、この子。かみい、りょう。神居さんとおなじ字っていうのが……なんかなあ」
「なんだ? 恋人か?」
 いきなり背後から肩を叩かれた。たった今口に運んだホットケーキが飛び出しそうになり、瑞穂は咄嗟に両手で口を押さえた。
「あんま食うとデブるぞ、瑞穂」
 相手が同級生だということを確認し、瑞穂はアイスティーのグラスからストローも使わず直接紅茶を飲み、のどにつまりかけていたホットケーキを胃に流し込んだ。
「ちょっと能勢(のせ)くんっ、いきなり背後から襲わないでよ、びっくりするじゃないの!」
「講義さぼって学食で三時のおやつとは優雅だなと思ってさ」
 能勢はそう言って、それでも楽しそうに笑った。
「そーゆーあんたはどーなのよ。午後のお茶なわけ?」
「ご想像にお任せします。で? なにやってんだ、結構深刻そうな顔してたけど」
 瑞穂の隣に座ると、能勢はノートパソコンの画面を覗き込んだ。
「別に。ちょっとひとに頼まれて調べ物してんの」
「新聞記事か……って、これ、バス事故のヤツじゃねえ?」
「え?」
 驚く瑞穂を無視して新聞記事を読んでいた能勢は、やがて画面を見つめたままでこう言った。
「やっぱそうだ、山南さんが行方不明になったあの記事じゃん」
「し、知ってるの、能勢くんっ!」
「知ってるもなにも、山南さんってのは俺んちのすぐ近くにある豪邸の息子でさ、それが学校の後輩の合宿にコーチとして参加しててこの事故にあって、そんで帰ってこなかったんだよ」
 プリン・ア・ラ・モードのスプーンをもったまま、瑞穂は呆然と能勢を見つめた。
「これ、なんかあったのか? なんで瑞穂がこんな古い事故調べてんだ?」
 瑞穂は右手のスプーンを置くと、財布を取り出して立ち上がった。
「能勢くん、なんでもおごる。だからお願い、知ってること話して」
「はあ?」
「事情はあとで説明する。この行方不明になったってひとのこと、知ってるだけ教えてほしいの。なに食べる?」
 突然であっけにとられている能勢の右手をひっぱって、瑞穂はずんずんとカウンターに向かった。

■――A.D.20XX トーキョー某所 倉庫街■
「ごめん、遅くなったわ」
 勢いよくドアが開き、息を弾ませた久扇子が入ってきた。
「クミちゃん、おつかれ。だいじょぶ? 勤務無理してるんじゃない?」
「ありがと。別にこれしきのことなんでもないわよ。警官ってのは一に体力二に体力」
 言いながらテーブルの上にショルダーバッグを置き、ソファーにどっかりと座り込む。
「三、四がなくて五に食欲だもんなー」
「なんだって?」
 どれだけ疲れていてもそういう台詞は聞き逃さないのが久扇子らしい。勝也の小声にじろりと一瞥をくれ、姉の視線に恐れをなした弟に、お茶入れてと言いつけた。
「おつかれさまでした、久扇子さん。大きな事件がないだけありがたいですね」
 にっこりそう言った神居に、久扇子は大きなため息をつく。
「そうなのよ。だから私もデータ収集できたりするわけで。先輩の目をいかにかいくぐるかってのがいまんとこの課題だけどねー」
「おなかがすいたでしょう。残しておきましたよ、久扇子さんの分」
「あ、ごはん!」
「今日はから揚げでしたー。おいしかったよ、クミちゃん」
「うわー、いただきまーす!」
 午後八時。運ばれた食事を嬉しそうにパクつく久扇子を入れて、やっと本日の結果報告会となった。
「夕方、勝也くんから記事の話をもらって、正直驚きました。いったいなにがどこでつながっているかわかりませんね、今回は」
 大きな湯飲みにたっぷりの緑茶をのみながら、神居がため息混じりにそう言った。
「収穫でかかったっすね、今日は。なんか一気に解決ムードだったり?」
「なわけないでしょ、莫迦ね。問題はあの暁月市ってのがなんなのか、いなくなったひととちがどこにいるのかなのよ。あ、塩とって」
「……どーぞ」
 ややひきつる勝也が差し出した塩をサラダにかけながら、久扇子が続ける。
「その、山南さんの婚約者ってひとだけど、そのひともわかんないんでしょ? 瑞穂」
「うん。能勢くんに聞いたかぎりじゃ、なんか事故の少し前に行方不明になったらしくてね。結構大きなおうちのお嬢さまらしいんだけど、体裁とか考えて公にはしてなかったみたい。けどねえ、やっぱ婚約者にはそういうの黙っとくわけいかないでしょ? だから山南さんも必死で捜してたらしいんだけど……そのうちあの事故で」
「そのお嬢さまってのが、時計屋さんの娘さん……なんですか? 神居さん」
 三人が、神居に目を向けた。
 神居はしばらく考えるように黙っていたが、やがて慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「――断定は、できません。本当のことは本人しか知らないのですから。今の段階では確定はできませんよ」
「ねえ、もう一回きちんと整理しましょ? なんか複雑すぎるわ、これ」
 お茶を飲みつつそう言った久扇子に、神居はゆっくりとうなづいた。
「では……わかったことをまとめましょうか」
 それを受けて、今日一日の全員の行動と調査結果をまとめると、と、勝也がメモ帳を読み上げだした。
「『神居さんは暁月市に嫌われている。』」
 とたんに、久扇子と瑞穂がぷっと吹き出した。
「……いきなりそーきますか、勝也くん……」
 がっくりとテーブルに突っ伏した神居に、勝也は苦笑して。
「だって。これがはじまりっすから。やめときますか?」
「……いえ、続けてください……」
「じゃあ。『都市伝説「暁月市」の発祥は、今から約十年ほど前ということが判明』、『商店街の佐藤時計店に「アムネジア」という看板がかかっているが、これは以前喫茶店だった名残。』、『佐藤時計店の娘はしずね。幼い頃に養女に出されたが、行方不明になっている。』、『十年ほど前にバス事故にあった山南市郎さんが行方不明になっている。』、『山南さんが事故にあう少し前、彼の婚約者だった秋月(あきづき)静音(しずね)さんが行方不明になっている。』、そして、『佐藤しずねさんが養女に出された家の名は、秋月家。』」
 勝也はそこまで読み上げると、一旦言葉を切った。
「こうして聞いてるとー、間違いなく同一人物だよねえ、そのしずねさんってひとと秋月静音ってひと」
 瑞穂が、テーブルの端にのせてあったビスケットの箱を掴んで口を切りながらそう言った。
「おまけにしずねさんも秋月って家に養女に行ったんでしょ? だったらビンゴじゃないの?」
 瑞穂が封を切ったビスケットの箱に手を突っ込んで、久扇子が言う。
「並べるとー……しずねさんが秋月さんちに養女に行って、秋月さんちと山南さんちはお知り合いで、双方大きなおうちだからお互いの娘、息子を婚約させようってことでそうなって、けどしずねさんがどういうわけだか行方不明になり、山南さんも事故で行方がわからなくなり、現在に至る、と。とゆーことはー、行方不明になったふたりはなんらかの理由で暁月市に入り込んじゃって、そんでそこでさまよってるってことじゃないの? だから、行方不明のしずねさんイコール暁月市にいる静音さん、とかー」
 勝也メモの内容を順番に並べると、瑞穂はビスケットを一枚、口に放り込んだ。
「でも、それじゃわかんなくなるとこがあるじゃないっすか。暁月市の静音さんって、検索したかぎりじゃひとり暮らししてて、大学にも行ってますよね? このへんってどーなるんすか?」
 それぞれの湯飲みに新しい緑茶を入れながら、勝也が疑問を提示する。
「その時計屋のお嬢さんのしずねさんは、大学へ行ってたんすか? 神居さん」
「――行っていたというとウソになりますし、行かなかったといってもウソになりますね……」
 神居の、わかったようなわからないような答えに、勝也の表情にはますます疑問符が張り付いていく。
「だってだってえ、大学の卒業名簿には名前はなかった……あ!」
「瑞穂さん、冴えてますね。たぶんそうでしょう」
「クミちゃん! 私たち「静音(しおん)」っていう名前でしか捜してなかったよねっ?」
 瑞穂が久扇子のほうに向き直ってそう叫ぶ。
「……しずね?」
「そうよっ! 静音(しおん)さんがしずねさんだとしたら! 静音(しおん)って名前で載ってるわけないのよ、卒業者名簿に!」
「そっかー。じゃあ、ひとり暮らしのほうはどうなるんすか?」
 ひとつ疑問が解けてほっとしたかのように、勝也が続ける。
「偽装工作、かもね」
 ビスケットの箱を手元に引き寄せ、久扇子が言った。
「いいとこのお嬢さまよ? それを彼女自身隠したがっていたとしたら? まあこれは仮定だからあってるとは思えないけど、あらゆる可能性を考えるとまあありかなってやつね。クラスメイトには田舎から上京してきてひとり暮らしと話しているけど、実際は豪邸から通っていた」
 ココア味とミルク味を二枚いっしょに箱から取り出し、まずココアをほおばる。
「でもクミねえ、それにしたってなんでそんなことする必要があるわけ?」
「それはあ、たとえば誘拐防止とかあ、社会勉強とかあ」
「み、瑞穂さん、友達ごまかすのが社会勉強って……それはちょっとないっすよ」
 無言で差し出された瑞穂の湯飲みにお茶を継ぎ足しながら、勝也が苦笑する。
「そおじゃなきゃ、データ自体がガセってことじゃないのお? そのへんどうよ、警視庁警察官」
 ミルク味のビスケットをかじりながら、久扇子が答える。
「――否定はできないわね。だいたい失踪者の捜索なんか毎日どれだけあると思ってるの? 記録には残るけど、記載事項に厳しくなったのは最近の話だしね。古いデータなんか、適当にでっちあげてるものもあるかもしれないわ」
「ちょっとちょっとクミねえ、いいのかよ、現役警察官がそんなこと言って」
「だって。もし、よ? 時計屋のしずねさんと、山南さんの婚約者の静音(しずね)さんが同一人物で、おまけにそれが暁月市の静音(しおん)さんとも同じ人間なら。ひとり暮らしで大学へ通っていたなんて、そんなデータ残るわけないじゃない。いいとこのお嬢さまを捜索するなら、捜索人データなんてもんじゃすまないわ。たぶん、上のほうまで人が動いて、データなんか残さず秘密裏に行われる。公務員は権力に弱いもんよ」
「そ、それじゃあ。山南さんとこと秋月さんとこが捜してた事実があるなら……あー、データには残らないわけかあ? 山南さんちとかってどんな家なんだよ」
「ばっかねー、勝也。あんた、大事な証人の存在を忘れてるわよ」
 ビスケットを噛み砕き、お茶を飲みながら久扇子は笑った。
「なんだよそれ」
「だから、現役ってのは強いと思うのよね、私」
 なんだか意味深なことを言いつつソファーを立った久扇子は、ゆっくりと神居の背後に回って、その肩に手をかけた。
「…………久扇子さん……勘弁してくださいよ、僕は無実です」
「誰もあなたが犯人だなんていってないわ。自分で自分の首絞めてどうするのよ」
「なら、僕を使って遊ばないでください……」
「真実をしってるんだろう? 吐いちまえばすっきりするぞ?」
「なんですか、それはっ!」
「お上にもお慈悲があるって言ってるのさ。獄門台は苦しいぜ?」
「………………昨日の時代劇はそういうシーンがあったんですね……」
「――ちっ、読まれたか」
「読まれたかじゃないでしょ、読まれたかじゃ! お願いしますからドラマと現実をごっちゃにして僕で遊ばないでください……」
「でもお」
 再びがっくりとテーブルに突っ伏した神居に、今度は瑞穂の声がかかった。
「考えてみたら神居さん、関係者じゃないですかあ、山南さん失踪事件の。だって現場にいたんだし。よおく知ってるはずですよね? クミちゃんの言ってること、一理あるわ」
「あ。それはそーなんすよ。事実のまとめの最後、『神居さんは、山南さんといっしょに事故にあって軽傷を負っている。』」
 申し合わせたように黙った三人に、やがて神居はテーブルに張り付いたまま大きなため息をついた。
「……わかりました、僕の負けです……」
 久扇子はその場でガッツポーズをし、瑞穂は拍手し、そして勝也は、苦笑しつつキッチンへと向かった。

* * *

 山南(やまなみ)市郎(しろう)は、神居(かみい)稜(りょう)にとって先輩にあたる。年齢的には八つほど離れているので、同じ時期に同じ学生としておなじ校内にいることはなかったが。格闘技から科学技術まで聞けばなんでも答えてくれた温和でしっかり者の先輩――なのに、あんな事故に巻き込まれるとは思っていなかった。しかも行方不明。山南ひとりだけが、バスのなかから姿を消していた。衝撃で外に飛ばされたのかと周囲を広範囲に捜索したが、彼に繋がる手がかりはなにひとつでなかった。
 真実は、数多の虚構からその姿を覗かせる。
 これは山南の持論だ。さまざまなシーンで、この言葉を聞いた。
 だから。彼が行方不明になったとき、稜は思った。
 今そこにいたそのひとが、跡形もなく消えるわけがない。いたのだから必ず痕跡がある。多くのものに邪魔されて、本当が見えなくなっているだけだ――。
 怪我が回復してから、山南のことを調べはじめた。彼がいったいどういう人間であったのか、を。なにを考え、なにを思い、なにをしたかったのか、そんなことを。
 けれど。
 本当に、見事と言っていいほど、なにもでなかった。
 なにをどう調べても、稜が知っている山南以外はいない。考え方、ものの見方、判断の仕方、嗜好や趣味、日常の行動など、それらすべてはすでに稜が知っている頼もしい先輩のもので、意外な面などまったくでなかったのだ。
 あのひとは、いつだって本音でいつだって自然でいつだって自分だったんだな……。
 それを確認して嬉しかった反面、手がかりが皆無という事実を突きつけられて落ち込みもした。
 自分の日常をこなしつつ、山南を追う毎日。
 ただあのひとこと、「真実は、数多の虚構からその姿を覗かせる」――この言葉だけを手がかりにして。
 そうして。
 いつしか稜は、一流と言われるプロのサーチャーになっていた。通り名は「神居(かむい)」。山南が親しみを込めて呼んでくれていた稜の愛称。もし彼がこの名に気付いてくれれば――そう思い、真実を探し続けた。

* * *

「……それで?」
「おわりです。僕は未だに彼に関してなにも見つけ出せない。ただ、今度の依頼にはなぜか彼が関連してきた。そこからなにかわかればいいんですが」
 勝也が黙ってキッチンへと立った。
 久扇子はちらかったビスケットの粉をきれいに片付け、瑞穂はそれぞれの湯飲みを定位置に置きなおした。
 新しいお茶を入れて戻ってきた勝也は、それぞれの湯飲みにそれを注ぎ分けた。
「もう遅いですから、まとめなおしましょう」
 神居は、ベストのポケットから金の懐中時計を取り出し、時間を確かめそう言った。
「私は」
 久扇子が湯飲みを手に宙の一点を見つめて口を開いた。
「暁月市の静音(しおん)さんと、秋月――佐藤しずね、このふたりは同一人物だと思う。裏づけをとるわ」
「それじゃあ」
 瑞穂が湯飲みを手にし、ふーふー息をかけて冷ましながらそれに続ける。
「私は彼女が出たって大学をもう一度みてみよっかなあ。「シオン」という名前で見つけられないから「しずね」で捜してみる。なにかひっかかると思うんだあ」
「それじゃ俺は」
 テーブルの上に布巾をすべらせながら、勝也。
「山南さんと静音(しずね)さんの関係をもうちょい調べてみましょっか。勘ですけどね、静音(しおん)っていうその女性……そのひとのことがわかったら、暁月市の謎は解けるような気がするんっすよ」
 三人の意見を黙って聞いていた神居は、やがてゆっくりと顔を上げた。
「おそらく――佐藤しずね……彼女が秋月静音(しずね)で、暁月市で漂っている静音(しおん)と同一人物と考えて間違いないでしょう。僕も、こちらの世界の裏づけをもう少しとってみようと思います。都市伝説である暁月市という街に気を取られすぎてはいけない気がしますから。すべてのものに、裏と表があります。こちらの世界の裏のようなあの都市のことは、こちらの謎を解けば自然と全容を現すかもしれませんね」
 その神居の言葉に、久扇子、瑞穂、勝也が、三人三様賛同を示した。
 翌日の行動予定をチェックしなおし、久扇子と瑞穂、勝也は神居の自宅をあとにした。時計は午後十一時近くを指していた。
「神居さんっ、ちゃんと寝てくださいよねっ。俺、明日の朝寄りますからっ」
 通りに出てから、勝也がそう叫んだ。玄関で三人を見送っていた神居は、にっこりと笑顔でそれに応えた。
 神居が玄関のドアを閉めるのを確認し、三人は表通りへと歩き出した。今日はなんだかいろいろなことがありすぎて、頭が少し重い気がしていた。
「それにしてもさあ……」
 歩きながら、久扇子がぼんやりと口を開いた。
「なに?」
「そうだったんだねえ……思いもよらなかったけど」
「だからなによ、クミちゃん」
 となりを歩きながら、瑞穂が久扇子の顔を覗き込んで尋ねる。
「なにが驚いたって…………神居くんて…………かみい、りょう、って言うんだ、本名。知らなかったあ……」
「…………」
 そこかいっ!!
 勝也は心の中で思いっきりツッコミをいれていたが、それは口に出さずにふたりの三歩うしろを黙って歩いた。
 紺色のビロード地のような空にクリーム色の月がぽっかりと浮かんで、三人を先導していた。

■――A.D.20XX Unknown■
「…………しずね……? それが私の名前……?」
「そう。俺の大切な君の本当の名だよ。でも、俺は君をこう呼んで、君もそれを受けてくれてた」
「――しおん……」
「君はかわらない、静音。ひとりにしていてごめんよ」
 夜が、空いっぱいにビロード地を広げて、そのうえにはご丁寧にもあらんかぎりの宝石をちりばめていた。
 高層ビルの屋上――静音はそのつもりだったが、いつの間にかそこはあたたかな部屋に変貌を遂げていた。
 壁全面が大きなガラス窓になっているその部屋は、床にあたたかな毛足の長いじゅうたんを敷き、空調も快適なものに保たれているらしい。窓に向かった大きなソファーに、静音は座っていた。
 いや。
 もっと正確に言うなら。
 窓に向かった大きなソファーに座った男の胸に抱かれて、静音はその心臓を音を聞きながら窓の外の星を見つめていた。
 昼過ぎ――風に抱かれて手にした紙縒りには、はじめての噂。

  君は、しずね
  やっとみつけた 宝物
  この世界は、君がつくったもの
  俺はそれに惹かれたもの
  君をとりもどすためなら、なにをも厭わない

 しばらくは意味がわからなかった。また誰か、暁月市に迷い込んできたのだとそう思った。
 が。
 しばらくして、自分が誰かの腕の中にいることに気が付いた。
 あわてて振り返ったそこには――
「…………どうしていままで来てくれなかったの? 私、ずっと捜していたんだわ、あなたを……」
「捜していたのは俺のほうだよ。君がいなくなったと聞かされたとき、どれだけ心配したか。ずっと捜し続けて、やっと見つけた道を通ってここにきた。けれど君はいなかったね」
「……そうなの……ごめんなさい、わからないの……なにも」
「いいんだ。今こうして会えたんだから」
「私……もう彷徨わなくていいの? この地を……」
「俺がいるからね」
「ほんとに? ずっと?」
「もちろん」
「……私のこと……聞かせて。ごめんなさい、覚えていないの、なにもかも。どれだけ願っても、これだけはかなわなかったわ……。風はなにも教えてくれなかった。あなたが私の大切なひとなら……お願い、教えて」
「ああ、いいとも。全部教えてあげるよ」
「…………会えてよかったわ………………市郎さん……」
 静音は市郎の首にそっと両手をまわし、市郎はその桜色の唇にそっとくちづけた。
 宝石の星が、瞬きするように輝き、いくつも空を流れた。

■――A.D.20XX トーキョー某所 倉庫街■
 頭の上で、なにかがけたたましく騒いでいた。
 神居はそれを止めようと右手を伸ばしてあたりを探ったが、手にはなにも触れない。
 しかし、あいかわらずなにかがわいわい騒ぎ立てていた。
 寝ぼけているのかもしれない――そう思い、神居は着ているはずの布団をさらに深く手繰り寄せた。
 が。
『神居さんっ! 勝也ですっ! 電話にでてくださいってば!』
「………………」
 寝ぼけているわけではなく、どうやら現実だったらしい。枕元においた携帯電話に、勝也からの着信音。彼からの電話には、彼の声で「電話だから出ろ」というメッセージを言い続けるように着信設定している。仕事で連携を組んでいる彼からの連絡は、イヤでもでなければならないようにわざとそう仕向けているのだ。
 神居はもぞもぞと布団に腹ばいになると、のろのろと携帯電話の通話ボタンを押した。
「……はい、おはよう」
『やっと出た! 起きてください神居さんっ、大変なんですっ!』
 これまた枕元においている懐中時計を見る。午前七時。神居にしてはのんびりした朝になったが、昨夜もなんだかんだと寝たのは結局四時ごろだった。たまにのんびりしていても許されるのではといういいわけが一瞬浮かんだが、それでも勝也の声に応える。
「どうしました? 君はちゃんと寝たんですか?」
『寝ましたっ……って、そんな場合じゃないんですってばっ! クミねえがっ』
 その単語で、瞬時に神居の頭が覚醒した。ばっと布団に起き上がると、しっかりと電話を持ち直す。
「久扇子さんがどうしました」
『早番で夜中のうちに署に出かけたんですけど、さっき連絡がきてっ』
「落ち着きなさい、勝也くん。久扇子さんになにかあったんじゃないんですね?」
『え? あ、そうじゃないっす。あの、えっと』
「よかった……。それで、どうしたんです?」
『あのっ、みつかったんですっ』
「なにが?」
『あのひとですよっ、えっとっ……』
 混乱しているのか、勝也らしくなく言いたい単語がでてこなくていらついているのが手に取るようにわかった。
「あのひと? 僕たちが捜しているというと、いまのところ暁月市に行ったらしい行方不明のみなさんと、それを捜しに出たうちのサーチャーたち、それから山南さんと」
『そうっ! 静音(しずね)さんですっ!!』
 神居の心臓が、ひとつ、大きな音をたてた。
 一度ゆっくりと呼吸をすると、落ち着いた声で勝也に尋ねた。
「……それは……佐藤しずねさんですか? それとも、秋月静音さんですか?」
『わかんないんっすよ、それが』
「わからない?」
『どっかの病院施設がどうのって言ってましたけど、とにかく、クミねえから詳細メールが神居さんとこに届いてるはずです。俺も、なんでもいいからすぐ電話して知らせろって言われただけで、詳細は聞いてないんっすよ。いまからそっち向かいますが、だいじょぶですか?』
「ええ。だいじょうぶです。それより君、学校は?」
『今日土曜なんっすけど、それって忘れてますね、神居さんは』
「……あー……土曜日。そうでしたか。わかりました」
『十五分くらいで着きますから。じゃ!』
 手の中に残った発信音をいくつか聞いて、神居は携帯電話を置いた。
 静音。
 彼女が見つかったというのは――だとしたら、暁月市にいる静音(しおん)はどうなっているのか。あの静音(しおん)がこちらの世界に帰ってきたというのか、それとも……。
 とりあえず顔を洗おうと、神居はパジャマ姿のままで洗面台に向かい――途中、本棚にしているカラーボックスの上に置いた桜色の包みに目が行った。
 そっと手に取る。
 佐藤時計店の老主人が、丁寧に包んでくれた銀の腕時計。
 別れ際、神居の手を両手で握った主人に、どうかその時計をしたお嬢さんとまたいっしょにここに来てくれと頭を下げられた。
 養女に出された佐藤しずね。
 婚約者がありながら行方不明になった秋月静音(しずね)。
 暁月市の傍観者、静音(しおん)。
「真実は……数多の虚構からその姿を覗かせる……」
 神居は手にした桜色の包みを、カラーボックスの上に戻した。
 そして――静かに、微笑んだ。
「……受けてたちましょう、真実はいつもひとつなのですから――」

。。。第6話へ。。。
あとがき
…………おまたせしましたm(__)m
実質、2日で書きました。根性です。(おい)
それでも締め切りを1日のばしてもらいました。
6話担当未央さま、ごめんなさい、ありがとうm(__)m
今回、本業との兼ね合いで日本語がなかなか理解できずに本当に困りました。が、なんとか書けたみたいで……。(みたい?)
なんとか核心っちゅーか本題っちゅーか、みんなしてなにやってるのかを明確にできないかといろいろ考えてみましたが…………「……あと2回で終わるのか?」――がんばってください。(こら)
それでは、未央さまにバトンタッチです。よろしくm(__)m

SD0505.01



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