■Urban legend −夜明けの街−■
第6話 「空と地をつなぐもの」 ■担当:繭瀬未央■
■――A.D. 20XX トーキョー某所 倉庫街■
勝也が神居の所に息を切らしてやってきたのは、電話が切れてから十五分も経たないうちだった。
相当に急いで来たらしく、声を出すのも困難と言う有様の彼に、神居は苦笑しつつコップに入った水を渡す。受け取られたそれは、見る間に喉の奥に吸い込まれていった。
「っはぁ……あ、ありがとうございます……」
「いえいえ、早かったですね。お疲れさまです、勝也君」
「神居さんこそ、寝起きとは思えませんよ……」
時計に目をやった勝也は「うわ、最短記録更新だよ」と呟く。そして数呼吸、出来る限りに息を整えた。
「早速ですけど、メールは」
「見ましたよ。念のためにプリントアウトもしておきました」
神居はテーブルに置いた紙束をまとめて、無造作にアタッシュケースの中に放り込んだ。
「詳細はメールに書いてありました。説明は移動中にします。
時間が惜しい、行きましょう」
有無を言わせぬ神居の様子に気圧されながらも、勝也はしっかりと頷いた。
真実に近づいているのか、遠のいているのか? それはまだわからない。
『彼女』に会うまでは。
「静音、君は一体……?」
小さな呟きを聴くものは、風しかない。答えるものは何もなかった。
ふと仰いだ空は、泣きだしそうな灰色をしていた。
■――A.D. 20XX トーキョー某所 移動中車内■
渡された紙面を眺めながら、勝也は運転席の神居を見やった。
「これ、やっぱり静音さんなんですか?」
予想した通り、答えは返ってこない。運転中だというのに上の空。何か轢いたり、どこかに突っ込んだりしないといいのだが……。
勝也が全速力で神居のところに向かっていた十分と少々、その間に自動車まで手配するなんて、流石は一流のプロだ。だが、彼のこの様子……しかも路面は平らなはずなのに、妙に車体がガクガク上下している。
「大丈夫なのか……?」
じわじわと湧き上がる恐怖。三連ループのジェットコースターの方がまだマシだ。
不意に、事故が起こったとき助手席の人間は生存率が低い事を思い出す。運転手はとっさに自分を守るようハンドルを切るから、らしい。ぞくりと寒気が走った。
後ろにしとけば良かった、今さらながらそう後悔する。けれどもう遅いので、出来るだけ手にした書類に意識を傾ける。
『送信者: 久扇子』
よほど急いでいたらしい。タイトルは無く、本文もかなり簡略化されていた。
『「シオン」と名乗る身元不明者を発見。入院中。記憶喪失らしい? 詳細は添付しとくから、そちらで確認よろしく』
紙を捲ると、添付されていたらしい病院の詳細地図、そして顔写真。
「聞いてたのとイメージはぴったりだよなぁ」
濡れ烏色の長い髪、白い肌、漂う儚げな印象。ただ唯一の違いは、写真に写っている彼女は、二十代半ばほど。少女というよりも女性といっていい年齢だということ。
「二人の、記憶喪失の『静音』さん……か」
複雑に絡み合う人間達、そして世界。暁月市。一体何が本当なのか。
「真実は、数多の虚構からその姿を覗かせる、だっけ?
でも、これじゃあ何が本当か嘘かさえも……わわっ!?」
甲高いブレーキ音と共に、車体が大きく弾む。
「ちょっ、神居さん!? 何ですかいきなり!」
隣に抗議すると、苦笑交じりの情けない言葉が返ってきた。
「いや、ふと我に返りまして……ところで、ここってどの辺りです?」
迂闊だった。そう、このひとが一度自分の世界に入ったら、他の何事もそこには立ち入れないのだ。
余りに急いでいたことと、神居が自信たっぷりに(勝也にはそう見えた)車を転がしていたことが敗因だった。
「すいません、今地図見ますから……はぁ」
よくその状態で運転出来てましたね、と言いたくなったが、無駄だろうと判断してやめる。事故無しで来れただけ良しとしよう。
「急いでるのに迷子ですかぁ。まぁ俺も悪かったけど……ここからはちゃんと運転してくださいよ?」
「わかってますよ。で、現在地……少なくとも、どこか曲がるところを間違えたみたいですね」
不幸にして、この車にはナビがついていない。
二人してしばしの間、地図とにらめっこすることになった。
■――A.D. 20XX トーキョー アキルノ市 病院■
白い廊下を人が行き来する。目的も行き先もばらばらで、その混沌さはひとつの都市のようだ。
ただ、外の空間とは雰囲気がまるで違う。消毒され、整頓された上に成立する異空間。そんな印象。
その白い空間故に、黒ずくめの神居はいつも以上に目立っていた。
やはり、病院で黒というのは縁起が悪すぎるのだろう。付近を通り過ぎる人々は必ずといっていいほど、こちらをじろりと眺めまわしていく。時に悪意、時に怯えが混じったその視線は、勝也にとっては居心地が悪い。
当の神居は、平然としている。だが、簡単には声を掛け辛い雰囲気を放っていた。
「面会時間なんつうもんがあったとは……」
結局の所、あれだけ急いで出てきた上に迷った意味は全く無かった。病院には面会時間があるという当たり前のことを失念していた辺り、間抜けすぎた。妙に空回りばかり、先が思いやられる。
「むしろ迷ったおかげでいい時間潰しになったというか。」
「418……ネームプレートありませんけど、ここでしたよね?」
「へ? あ、はい。身元不明ですから名前が正確にわからないって言ってましたね」
では、行きますか。独り言のようにそう言うと、無機質なノブに手を伸ばし、
触れる寸前で、白い扉は口を開けた。
「だぁれ?」
現れたのは、鮮やかな白と黒。写真通りのその姿――静音。
「はじめまして、神居といいます。静音、さん……ですね?」
彼の表情には揺らぎは無い。にこやかな応対はいつも通りだが、裏にどれだけ、どんな考えを隠し持っているのやら計り知れない。
「うん、しおんだよ」
『彼女』は外見にそぐわない、子供のような無邪気な表情で、笑った。
■――A.D. 20XX トーキョー某所 交番■
「大丈夫かしら、あの二人」
言って、久扇子は茶葉の開き具合を確かめた。
書類整理にも疲れた所で一休み。やっと休めるというのに心配事は尽きない。それらしいというだけの手掛かりだったのに、少し早まっただろうか……でも教えてしまったのだから仕方ない。自分でも、よく見つけられたものだと思うし。
急須を傾け、お茶が切れるまで湯飲みに注ぐ。溜息をひとつ。
「雨、降ってきたわね」
灰色の空からぽつぽつと降りはじめた雨は、しばらくすると勢いを増して、さらさらと続く調べを奏で始めた。この分だと、今日はずっと雨だろう。
「早く晴れると良いんだけど」
何故か確信めいた思いがあった。
この雨は早々には止まない。暗雲がたちこめて、動けなくなってしまうような、そんな。
思い過ごしであることを祈りながら、からからに渇いた喉を潤した。
■――A.D. 20XX アキルノ市 病院 病室[418]■
ベッドに腰掛けた少女――『静音』は、足をぶらつかせながらじっとこちらを見ている。好奇心できらきらと輝いた無邪気な瞳。
暁月市の静音を想定していたせいで、どうにも慣れない。ちらりと壁際を見ると、やはり困りきった表情の勝也が立ち尽くしている。
「かむい。どうしたの」
傾げた頭に沿って、黒髪が流れる。外見は二十代半ばほどだが、舌足らずな言葉、この動作。まるで子供、いや、現時点での精神は紛れも無く子供なのだろう。
出来るだけ違和感を退けながら、神居は言葉を選んだ。
「いえ、なんでもありませんよ。それより、少し話をしませんか」
「おはなしなら、してるでしょ?」
「話と言うか……そう、訊きたいことがあるんです。
例えば、そうですね。貴方は、しずねさんという方をご存知ですか?」
「しずね……しらないよ」
どんなひと? 彼女は首を傾げる。大きな瞳は真摯にこちらを見つめてくる。たとえそれが他愛無い話でも、真剣な言葉でも。彼女はきっと同じようにこうするだろう、と思わせる。
「では、質問を変えましょう。君は一体どうしてここにいるんですか? どこから、ここに来たんです?」
『静音』は、きょとんと目を見開いた。しばらく黙り込み、考えるように眉を寄せた後、ちいさく「しらない。わからない」と悲しそうに呟いた。
「あったのかもしれないけど。でもね、まっしろなの」
「真っ白? 何も無い、と言うことですか?」
「ううん、まっしろなの」
不安なのか、ばたつかせていた足を両腕で抱え込む。自分を守るかのように。
窓の外で灰色の空が崩れ、泣き出した。ぽつぽつと彼女の不安を煽るように、不協和音が流れ出す。
「……しおんだけ、そこにいたから」
ぎゅ、と膝を抱える腕に力を込める。どうやらこの事については、これ以上は無理のようだ。
「不安にさせちゃったみたいですね、すみません。
では、暁月市のことを知っていますか?」
「あかつきし?」
「ええ、そう呼ばれている街があるんです。今そこについて……というか、そこに居るある人について調べているんですが、知りませんか?」
『静音』はふるふると首を横に振った。
「聞いたこともない、と」
「うん。ね、どんなとこ?」
先ほどまでの不安はどこへやら、笑顔に戻っている。くるくると変わる表情は、さまざまな色を映し出す。
「どんなところかと訊かれると、難しいですね。そこはどこでもあり、どこでもない……けれど、暁月市でしかありませんから」
話して聞かせながら、興味深げにこちらを見る眼差しに、神居は引っ掛かりを覚えた。
(前にも確か、こんなことがあったような……?)
あれはいつだっただろう。だれが相手だった?
「だれでもいけるの? しおんも?」
「誰でも、という訳では無いようですね。暁月市に好かれる人と、嫌われる人が居るみたいです。
行っても、一概に良いことがあるとは言えませんし」
「ふぅん。かむいは、いったことあるんだ」
「ええ。嫌われて帰ってきましたけどね。近づくな、って言われちゃいました」
「そう……」
横顔の『静音』は、儚げな雰囲気を纏っていた。まるで、暁月市のビルに佇む、静音のように――。
「ね。しおんのことは、すきになってくれるかな?」
触れるだけでこわれそうな空気は、一瞬で四散した。正反対の鏡像、或いは実像が姿を見せる。
「どうでしょう? それは本人に訊いてみないと」
神居は苦笑する。この様子だと、彼女はこちらが欲しいカードを持っていないようだ。それどころか、油断させられてこちらの札を見せることにもなりかねない。それが害となるかは不明だが。
「勝也君、彼女に訊きたいことはもう無いですよね?」
「はい。え、もしかして帰るんですか」
壁際にいた勝也が、慌てて立ち上がる。「そうしましょう、もう用事も無いですし」と述べて『静音』の方に向き直った。
「では静音、そろそろ僕はお暇します」
「かえっちゃうの?」
「ええ」
「またくる?」
曖昧な笑みを浮かべて、返事の変わりに手を振った。また来るかも知れないし、来ないかも知れない。それか、全く別の場所で会うことになるのかも……。
彼女はどう受止めたのか、「ばいばい、かむい。かつやも」と、手を振り返した。
無機質なドアを潜り抜ける。
閉ざす寸前、隙間越しに声が聴こえた。
「どうしてあめはふるのかな……。どうして、夜は来るの?」
「貴方なら、答えてくれる? ……ねえ、神居」
ガチリ、扉が決定的に空間を分けた。
声は神居の中で大きく反響した。ドアノブから手が離せない。もう一度このドアを開けるべきか……そうかもしれないが、ノブが回せない。
開けたら、静音はそこに居ないのではないか――そんな気がして、力を込めることすら出来ない。
「どうしたんすか、神居さん?」
勝也の声に、一瞬の間に張り詰めた緊張が一気に解けた。ドアを開けても、また無邪気な『静音』が顔を出すだけだ。
「いえ、なんでもありません。
一応彼女の担当医に話を聞いていきましょう。アポイント無しでも大丈夫かわかりませんが」
白い廊下は、来る時よりも暗く見えた。
重い灰色をした、空。
雨は降り続けている。
■――A.D. 20XX トーキョー アキルノ市 喫茶店■
「結局、なーんにもわかりませんでしたね……更に謎が増えただけというか。
あの静音さんは、一体誰なんでしょうね?」
クラブハウスサンドをぱくつきながら、勝也は溜息をつく。傍らのアイスティーをストローでかき混ぜ、からから氷を鳴らした。
昼食には早い時間帯だからか、店には彼ら以外誰も居ない。誰に憚る必要もないので、食事を摂りながらも、テーブルにはメモが散乱している。
「確かに。でも得られたことも無きにしも非ず、ですから」
勝也はメモの一枚をつまんで、ぴらりと振った。
「たとえば『あの静音さんが入院したのは数日前。神居さんが暁月市に行けなくなった時期とほぼ同じ』とか?」
聞いた話によると、『静音』は倒れていたところを救急車で運ばれたということだった。外傷はないが、検査も兼ねて入院ということになったらしい。
健忘症――記憶喪失と判断され、身元不明のため警察が捜査。それで、久扇子が見つけたわけだ。
「でもって、倒れてた場所がアキルノ市内の公園、か。今までのと、場所がずいぶん違いますよね?」
「ええ、あの辺りは都市という感じではありませんからね。人通りもそれほどないはずだし」
「でも、見つけた人の話じゃ『居たことに気付かなかった。いきなり現れて倒れたような気がする』って」
「そこは暁月市のケースと同じですね」
ホットサンドの最後のひとかけを口に放り込み、咀嚼する。冷めたコーヒーをひと啜り。
「もしかしたら、暁月市への扉がそこにあるのかもしれませんが……」
先ほどから何か、わだかまりが胸につかえている。無意識は何かに気付いているのかもしれない。けれど表面には出て来ない……或いは気付くことを拒否しているのか。
「そーゆうふうに簡単だったら良いんでしょうけど。でもこの天気で公園探索は無理があるでしょ」
「そうですね。傘、無いですし」
依然として、雨は降り続いている。先ほどよりも勢いが増したようだ、ばらばらと大粒の音が聴こえてくる。
「静音……暁月市の静音は、今頃どうなっているんでしょうね?」
「さぁ、どうでしょう。あの『静音』さんが、暁月市のそのひとで、ただ全部忘れてるだけかもしれないし。でなければ……」
「静音と思っていた人物は複数人存在した。若しくは、静音は複数人存在する、とか」
「……? それ、どう違うんですか?」
「前者は、書類上で同一人物と思われた静音さんたちはそれぞれ別人だった、と言う意味。
後者は『静音』、暁月市の静音が何らかの原因で複数人としか思えない状態になっている、と言うことです」
勝也はうぅ、と唸った。
「それは……どっちにしてもちょっと無理があるというか……」
「そうですか? 暁月市にいった上の意見だとは思いますが、そうでもないかもしれませんよ」
神居は散らばったメモを集め、一枚ずつ仔細に検分していった。箇条書きにされた項目に、何度目かの目を通す。
秋月静音の行方不明。そしてバス事故、山南市郎の行方不明。この頃に暁月市の噂が流れ始める。数年後に静音が突然の帰還、そして再び消失。
「これは……まず始まりに立ち戻ってみる必要が、あるかもしれませんね……」
コーヒーを喉の奥に流し込む。と、神居はテーブルから伝票をさらった。そのまま薄いプラスティック板をもてあそぶ。
「もしかして、初心に返って雨の中、ずぶぬれで公園あさるとか……」
「いえ、今日は終わりにしましょう。これ以上は何も進展なさそうですし、勝也君も頑張ってくれましたしね」
「進展なさそうって。そんな簡単でいいんですか?」
「とりあえずは。先に確かめたいことが出来ましたから。
あ、まだ何か食べますか? 経費で落ちますから遠慮しなくてもいいですよ」
「いえ、さすがにそこまで神経図太くなれないので……いいです」
勝也は、残りのアイスティーを一気飲みすると立ち上がった。勿論、こう言うことも忘れない。
「車を恐怖のジェットコースターにするのは、もうやめて下さいよ?」
「え? ……あ、はい。出来るだけ気は付けてみますよ」
(……出来るだけなんだ。しかも曖昧だ)
勝也は、免許取得をこれまでに無く真剣に考えることにしよう、と決意した。
■――A.D. 20XX トーキョー アキルノ市 病院屋上■
ざぁぁぁぁ――――
雨音が途切れなく続く。
天から地へ、水粒は雲から落ちて、大地に恵みを与えるのだろう。けれど、コンクリートに落ちるそれは、自分に冷たさしか与えないように思えた。
雨の中でも、風が聴こえる。土砂降りに落ちてくる水しかなくても、彼女はその中にしずかな風を感じていた。
風。
吹いて来る、風――。
「どこからくるの……。どこに、いくの?」
ざぁぁぁぁ――――
「きこえるのに……なのに、どうしてとどかないの?」
ただ、風は吹く。彼女の意思など解さずに、渦巻く。更に強く吹くのなら、嵐にまでなるのかもしれない。
彼女は、背後に撥ねる足音にも気付かない。傘を差し出されても、肩を揺さぶられても気付かぬままで、しずかに耳を澄ませる。風の来る方向を、その行方を知りたい……。
「しおんさん? 探したのよ、何をしているの!?」
風邪を引く、と看護師は言いつのった。けれど彼女には聞こえてはいない。彼女の聴覚は、風の音だけに満ちていた。
「なにか、いいたいことがあるの? つたえたいこと、が……」
彼女の意識は、雨の冷たさに溶けていった。
ざぁぁぁぁ――――
■――A.D. 20XX トーキョー某所 倉庫街■
「ふはぁ、疲れたー……」
車酔いのせいで頭が痛い。乗り物酔いになんかなったことがなかったのに……あれは明らかに運転手のせいだ、とは思うが絶対に口には出せない。
気を付けていたというのに、行き以上に迷ったなんてかなり笑える状況ではある。実際なってみると全く笑えないが。
やっぱり無理にでも助手席からブレーキに足を出すべきだったか? 助手席には何故ブレーキが無いのだろう……そう思いながら、勝也はドアを開けた。
「あ、勝也君が帰ってきたー」
「おかえり、勝也。あれ、神居君は?」
「いたのかクミねぇに瑞穂さん。んじゃ俺寝るからー……っていだだだだだだ」
そのままソファに倒れこもうとする勝也を、久扇子はヘッドロックした。そのまま寝てしまわれては困る。こっちは仕事中気になっていたのだ。
「一応心配してたんだけど? 心優しく有能な姉になーんの報告もなしかッ」
「あぁぁぁぁ悪いけどそれは休んだあとに! 今は話しするなんて無理……」
「え〜、そんなのひどいよ! 私もクミちゃんの話聞いて楽しみにしてたのに!」
頭を締め付ける腕の力が増していく。頭痛とも相まってかなりの痛さだ。
「話しなさい、これ以上力込められたくなければね。それともこのままバックドロップかけてあげようか? 骨が折れない程度に」
「わかった話します話しますっ!」
その鬼気迫る形相から、心配してくれていたのは確からしい。でも、もうちょっとどうにかならないものだろうか、この表現方法?
離れる腕に安堵の溜息をつきながら、勝也はぎこちなく動く頭を回転させる。ぎしぎしと音が聞こえてきそうだ。
「じゃあまず、会ってきた静音さんがどうだったかって話から……かな」
好奇心で破裂しそうな目をした彼女らは、逃がさないように勝也を取り囲んだ。
■――A.D. 20XX トーキョー シブヤ区 ヨヨギ公園■
雨の公園は、誰もいなかった。
普段、特に土日は、散策などを楽しんでいる人が少なからずいる。だが、この土砂降りでは楽しむ所ではなく、自然と人もいなくなる。
昔はこういう時を目掛けて、話しに来たものだった。
「どうも、おやっさん」
「おお、神居。どうした? 暁月市には行けたのか」
年配の男性が、柔和な笑みを浮かべて立っていた。
「行けましたよ。でも謎が次から次へとって感じでして……訊きたいことがあって来たんです。いいですか?」
「勿論だ。わしに答えられるものならな」
神居は「ここでは何ですし」と、彼を近くの東屋に誘った。雨の中に二人、立ち話というのは寒々しい。それに。
込み入った話をしなければならないとわかっているのだから、落ち着けるほうがいい。
神居は閉じた傘の滴を払い、古びた木製の椅子に座った。
「それで、訊きたいことというのは?」
向かいに座った彼に、目を合わせる。先ほどの『静音』と同じように。
「おやっさん。どうして、静音のことを知っていたんですか?」
しばしの沈黙の末、老獪さを含んだ言葉が、その空気を断ち切った。
「お前のことだ。すでに調べはついているんだろう?」
「確かに調査はしてますし、ある程度の確信はありますが、足りないところはやはり、想像で埋めるしかありません。
貴方にとっては不愉快な話になるかも……それでもいいですか」
鷹揚にも、おやっさんは「おう」と笑いながら頷く。表情はむしろ嬉しそうだ。
神居は黒のアタッシュケースからメモを取り出し、トランプのように扇状に広げた。これからポーカーでもやるような……けれど、表情はあくまでも遠慮がちだ。
「僕はあの後、暁月市に行きました。そして静音と会い、彼女自身を探すことを依頼された……サーチャーとして」
「彼女自身を探すこと、か」
「ええ。だから調べているんです、見つけるために」
丁寧に言葉を選ぶ。
「おやっさんは、『静音によろしく』と言っていましたね? 行くことがあれば必ず会える、とも。
静音もおやっさんの事を知っている様子でした」
「静音は、何か言っていたか?」
「確か、まだ『こっち』にいるのか、というようなことを言っていたと思います」
「ふむ……まあ、その程度だろうな」
おやっさんは目を細めた。どこか懐かしげに遠くを見やる。何かを思い出してでもいるのだろうか?
「単刀直入に訊きましょう。
秋月静音さんをご存知ですね。いや、あなたは関係者であるはずです、秋月雄一さん」
「――ああ。お前がそこまで辿りつくことを、期待していたよ」
返事があると同時に、息をついた。湿気は酷いというのに喉は乾いている。
次はどう切り出せばいいだろうか。手の中のメモをきりながら、迷う。
けれど、チェスの次の一手を思案するかのように冷静だった。
■――A.D. 20XX トーキョー某所 倉庫街■
「――と、言うわけです」
静音の現状、そして推測。一気に喋ったせいで、頭の中がごちゃごちゃになっていた。勝也は、お茶で喉を潤し、ついでにチョコレートをほおばる。甘いものは疲れを癒すと言うけれど、頭はずきずきと痛いままだ。
「それは……ますます訳がわからないわね」
「俺も、こうやって喋ってても訳わかんないよ」
「なぁんか考えても仕方ないような気になって来るよねえー?」
はぁ、と三者三様の溜息。
「会って来た病院の静音さんも、暁月市の静音さんも同一人物……にしては、聞いててギャップがあるわよね。記憶喪失で退行が起きてるだから仕方ないにしても」
「そーだねぇ。今度私も会ってこようか。会ったことある私なら、何かわかるかもよ?」
「どうでしょうねぇ。神居さんも何も言ってなかったし、会っても望み薄だと思いますよ」
「ふぅん……そっか」
残念そうに、瑞穂。
「『しずね』って名前ではまだ何も見つかってないから、また調べてみるけど。あーでも今回は当たりの感触がしたのよね……何となく」
「勘かよ」
「そ。女の勘」
よく当たるって言うでしょー?と、おどけてみせるが、久扇子も残念そうではある。
やはり、神居が再び暁月市に訪れること、それが必要なようだ。
「じゃあ、説明も終わったし俺寝るわ」
「待て、肝心の神居君がどこ行ってるかは聞いてないわよ?」
立ち去ろうとする勝也の襟首を捕まえる久扇子。いきなり後ろから引っ張られれば、勿論首が絞まる。ぐょ、と妙な音が喉から洩れた。
「うぅぅ、俺も聞いてないよ? 何か確かめに行くとかは聞いたけど、場所がどこかまでは」
車に振りまわされて、聞く余裕すらなかったのだ。ただ……
「何か深刻そうな顔は、してたけど」
「手がかりでも掴んだのかなぁ?」
「だと、いいけど」
「あんまり、無理しないといいんだけど」
「ですね」
瑞穂の言葉に同意してから、勝也はやっと休めるとほっとしながら、奥の部屋のソファにダイブした。
■――A.D. 20XX トーキョー シブヤ区 ヨヨギ公園■
「そんなところまで、よく調べたな?」
おやっさんの顔は、天気と相反して晴れやかだった。
「そんなところまで掘り返して、と嫌な顔をされると思ったましたけどね。
静音についてを調べるのなら、当然御家族についても調べますから。勿論写真も残っていましたし、おやっさんが秋月静音さんのお祖父さん――養祖父であるのを突き止めるのは、そんなに難しくはないと思います」
「だが、お前がここまで来て、こんな話をしていると言うことは……その先、その裏にも考えは及んでいるのだろう」
「お見通しですか」
先を促してくるおやっさんに、苦笑しつつ応じる。メモの一枚を指し示し、自らの推測を語りだした。
「静音さんは行方不明になった後、ブランクを経て、5、6年前にある老人と会い、そしてまた姿を消した。
この老人……宮下さんと言うおじいさんなんですが、その方はこう言っているんですよ。『会ったかもしれないが、覚えていない』と。
この方はその時期、まるで認知症のような症状に見舞われ、徘徊を繰り返しているんです。脳には何も異常はなかったというのに。 これは余り知られていないことですが、幽霊や霊魂と言われる――僕は余韻と呼んでいますが――そういった他人の『意識』に巻き込まれた場合、それに影響されて自我を忘れることがある。暁月市の場合みたいに。
これは僕の見立てなんですが、その方の場合もそうだったようですね」
「その能力で探った、と言うわけか」
「ええ。あなたの余韻が残っていました。
静音を探すために、いわゆる憑依をしていたようですね。影響を受けやすい人間なら、意識に強く影響を与え、操作に近いこともできる。前にそう言っていたでしょう?
だからここに来たんです。静音は何故再び姿を消したのか、消える前に何を言ったのか……不躾な質問かもしれませんが、おやっさんなら答えてくれると思ったんです」
おやっさんは、ふっと笑った。「お前らしいな」という言葉と共に。
「わしと静音は余り仲が良くなかった……というより、親しくなる前に離れてしまったからな。
だから、今でも何故会いに来たのかわからないんだ」
思い出す。
目の前に現れた少女の、救いの言葉を。
『私はこれから暁月市にいく。だから、もうさがさないで』
『私はもう私でいられないと思うけれど』
『でも、暁月市に来るものがいるのなら……きっと"私"に会うから』
『――ありがとう』
それを神居に伝えると、彼も込められた優しさを感じ取った様子だった。
「そう、ですか」
「ああ。暁月市にも一度だけ行ったよ。そこにいたのは静音だったが……」
「静音とも会ったんですね」
「だが、静音はわしを知らなかった」
「そうでしょうね」
「行った時は、帰って来れなくてもいいと思っていたよ。だが、静音のおかげで帰って来れた……それには感謝しておるよ。
そうでなければ、お前がこうして厄介ごとを持ち込むことなんて、無かったからな?」
自然に二人の顔には、笑みが浮かんでいた。
「……ありがとうございます、おやっさん」
「いや。何かあったらまた来い。これでも、数少ない楽しみにしているんだからな」
神居は席を立ち、深く、ふかく頭を下げた。顔を上げるとやはり柔和な笑顔があり、更に申し訳なくなる。
「また来ます」
言えることはそれだけだ。ひらひらと手を振るその姿は、しばしの後、雨にとけるように消えていった。
東屋を出ると、変わらない冷たさが神居を叩く。傘を置き忘れたことを思い出したが、雨の中歩くのも、また良いだろう。
ざぁぁぁぁ――――
水の重さと洗い流されていく感覚、鈍い痛みがじり、と体内に走った。
■――A.D. 20XX Unknown■
そこには時間がなかった。
何も流れず、何も変わらない。静謐そのものがわだかまっている。
しん、と永遠の夜が広がり、星は瞬きもせず穴のように空虚。街灯の火は揺らめくことが無く、落ちかけの水は、重力に逆らったまま静止していた。
時間がないその場所には、自らの『時間』を持たない存在しか在ることは出来ない。ここにあるものは全て架空であり、虚構なのだ。だからこそ、時間が無い世界として存在できる。
その場所を、何かがじっと見つめていた。
きょろきょろと動く視線は、動くことのない世界を観察する。
ひとしきり辺りを探ると、『それ』はすっと瞳を逸らした。視線は消え去り、遠くへ立ち去る気配が、動くはずのない空気を伝う。
あとにはなにもない。『それ』がいたのか、何がそこに存在したのか、そんな疑問すら抱けない世界が、しん、とした夜の形をとって、そこにわだかまっていた。
■――A.D. 20XX トーキョー某所 倉庫街■
ただいま、と言う前に久扇子に先を越されてしまった。
「……これはまあ、随分と不審な格好をしてらっしゃいますコト……」
ごもっともと同意するしかない。いつもの黒服でも充分怪しいというのに、それに加えて傘もささずずぶ濡れ状態。髪から服から、ぽたぽたとしずくがひっきりなしに落ちてくる。
「あー、ちょっとちょっとそのまま入ってきたら部屋が濡れるじゃないですかっ。今タオル持ってきますから!」
勝手知ったる他人の家、と瑞穂が洗面所に走る。久扇子はと言うと、動くことなくチョコ菓子をぱくついている。こちらにジト目を向けながら。
「あはは……ただいま帰りました〜」
「神居君って時々子供みたいよね」
「それは……すみません」
「路地裏で猫探しするわ、ずぶ濡れになって帰ってくるわ。勝也も心配してたわよ? 寝てるけど」
「あ、あとで謝っておきますよ。車酔いさせちゃったみたいですしね」
瑞穂がぱたぱた小走りに戻ってきた。手には乾いたタオルを山積みにして。
「はい神居さん、タオル」
「ありがとうございます。そういえば、二人ともいたんですね」
「いたんですね、じゃないってば。
勝也から話は聞いたけど……どういうことなのかさっぱりだわ」
「僕もですよ」
タオルで髪を拭くが、落ちるしずくはまだ止まらない。足元に小さく水溜りが出来ていた。
「いったいどこに行ってたんですかぁ〜、傘もささずに。
確認しにいくとか聞いたけど、何か掴めました?」
「ちょっと童心に返って、雨の中歩いてただけですけど?」
嘘は言っていない、と思う。客観視すれば、そう表現するのが適切だ。彼の存在は通常では見られないのだから。
――まだ何と説明すればいいか、わからなかったのだ。
「……変なのぉ」
「変ね」
「そうですかね。たまには良いかな〜とか思っちゃったんですよ」
半睨みの視線を向ける二人組に、神居は何とか耐えきった。
「今日はもう報告する事柄もありませんし、お二人とも帰ったらどうですか?」
「そーですねー。何もないんなら仕方ないよね、クミちゃん?」
「そうね。
神居君、勝也置いていくけどよろしくねー。奥で寝てるけど、適当に放置しとけばいいから」
二人はがさがさと広がっていたお菓子の袋やら湯飲みやらを片付け、神居の横をすり抜けていった。
「あ、神居さんー。風邪引かないようにして下さいね?」
「善処します」
実は既に寒気と頭痛が発生していたりするのだが。
神居は二人を見送ると、二枚目のタオルに手を伸ばした。頭がすっきりしない。仮説はもやもやと現れはじめているのだが、きっちりまとまってくれない。
シャワーでも浴びてゆっくり睡眠をとって、それから考えよう。そう思いつつ、神居は床にしずくを落としながら、バスルームへと直行した。
■――A.D. 20XX Unknown■
あたたかな心臓の音が聞こえる。まるで子守唄のように、その音は静音を安心させた。
市郎の話は驚くべきものだった。彼の腕の中で本当かと何度も問いかけ、その度に彼は頭を縦に振った。「そうだよ」優しい声が耳元に重ねられる。
「どうして……いままで、会えなかったのかしら。どうして今まで知らなかったの?
私の……『私』のこと、なのに」
「知らない方が良かったと思っただろう?」
「完全にそうじゃないとは言えないわ……」
「だからだよ。だからこそ、君は知らなかった。拒んでいたんだ、無意識に」
静音は、市郎の顔を見上げた。間近にあるその顔はひどく優しい。自分がどれほど、誰かの優しさに焦がれていたかをようやく知った。冷たいビルの屋上で風に囲まれ、何を求めていたかがやっとわかった。
欲しかったものは、このあたたかさ。自分の記憶、『自分自身』が持っていた、このあたたかさだ。
「もっと聞かせて。今度はこんな話じゃない、暁月市なんか関係ない幸せな話がいいわ」
「ああ。たくさんありすぎて、何を話したら良いかわからないよ」
市郎は笑った。静音もそれにつられて綺麗な笑みを見せる。
「じゃあ、私がどうして貴方に静音と呼ばれるようになったかを聞きたい」
「わかったよ、話そう。それは――」
市郎が過去を語りだす。星は嬉しそうに瞬いて、流れ来る記憶を待っていた。
■――A.D. 20XX アキルノ市 病院 病室[418]■
くしゅん、と小さなくしゃみが響いた。白い病室にはもう誰もいない。頭の奥で鳴っていた風の音も、もう微かにも聞こえない。
街灯の光がカーテンの隙間からさしても、それでも夜の闇と雨音は満ちている。
ひとりだった。
『静音』は、毛布の端を引き寄せた。少し肌寒かったし、なによりも淋しかった。考えてみたら、自分が誰かもわからない。知っているのは、名前かどうかもわからない「しおん」という響きだけ、だった。
どうしてだろう。
訪れる人は皆、「何も思い出さないのか?」と訊く。思い出す、おもいだす……? その意味も理解はできないと思った。自分とはかけ離れていると。
「だれかきてくれたの、はじめてだったなぁ……」
神居と勝也。そう名乗った二人組を思い出した。ほんわりとあたたかくなる。
「しずね……あかつきし……? なんだったんだろ」
言葉を聞いた瞬間、聞き覚えがあると思った。でもいつ? どこで? そんなことは答えられない。自分はしらないと言い、彼は残念そうに笑った。
「また、きてくれればいいのに」
彼はもう来ない。そう思うけれど、願わずにはいられない。この白い部屋は、余りにも淋しすぎた。
あの場所と同じで、
空虚。
ふるえそうになる手を握り締め、『静音』は頬を枕に押し付けた。
眠りにおちる前に、ふと雲の上で光っている星のことを考えた。
地上からは雲がかかって見えないけれど、それらは確かに光っている。
■――A.D. 20XX トーキョー シブヤ区 某所■
あれから、調査結果を読み返し、起きて来た勝也と話をし、そして疲れ切ったせいか眠れない数時間を過ごし……と、結局、良い目覚めとはいえない朝を迎えてしまった。
寒気と頭痛は引いたものの、弱まったが未だ降り続く雨の湿気でなんとなくだるい。
だが、そんな理由で折角勝也が自由に動ける日を無駄にはできない。彼の機動力はかなり貴重である。水溜りのせいでローラーブレードは使えないとは言え。
「神居さん、何か顔色悪くないですか? やっぱり昨日降られたせいで……」
前を行く勝也が、神居の方を振り返った。
「いえ、大したことないですよ。しかし……見事に手詰まりですね。これでは何か出てくるまで動けない。
まあ、今日は一種の復習のためというか、期待はしてませんでしたけどね」
貴重ではある機動力も、捜索対象・範囲を特定出来ないために、無駄なものとなっていた。スクランブル交差点、電車、時計店アムネジア。その他の箇所も回ってはみたが、結局は暁月市には行けないことを再確認するだけだった。
頑なな拒絶。隔たりは遠く、深くなるばかりだ。
「何か糸口とか、切っ掛けみたいなものがあれば良いんですけどねぇ〜、そうそうあるはずないか?」
「ええ。誰にでも手の届くところにあったら困ります。トーキョーの人口が減る分、暁月市の人口が増えてしまいますからね」
「暁月市の人口、か。実際のところはどれくらいなんでしょうね? もう既にトーキョーなんか追い越されてたりするかもしれないな」
「静音も規模のことは言っていましたが、人口まではわからないんじゃないですか? あそこは世界が多重・多層に存在しているような、そんな印象がありましたからね」
神居は溜息をついた。21次元、変わる風景、建物、現れては消える住人達――そして静音。
その世界の何が、暁月市を暁月市たらしめているのだろう。暁月市の何が、これだけ人を惹きつけるのか。
その答えは徐々に、神居の中で形作られつつあった。仮説でも、現実と確信が積み重なれば真実に近いものが出来上がる。そのはずだ。
「また考えごとですか、神居さん?」
呆れたような勝也の声。聞こえているけれど聞こえない。神居は思考の海に沈んでいった。
「あはは……」
幸い、今回はスクランブル交差点の真ん中などではなく、比較的人通りのない道端だ。ガードレールに腰掛け、辺りを見回してみる。
濡れた草木が、黒いアスファルトをやわらかく見せている。傘を回すとしずくが散った。
じっとりと、湿気が熱を含んでまとわりつく。
「……あれ?」
視界の端で、何かが光った気がした。水溜りの反射? いや、もっとまばゆい何か……見覚えのある、光。
「神居さん神居さんっ! 聞こえてます!?」
勿論聞いているはずがない。肩を強く揺さぶると、やっとのことで生返事以外の返答が返ってきた。
「一体何です? そんなに慌てて」
「今、能力使ったりしてませんよね?」
「使ってませんが……どうしたんです」
「見えたんです。光、神居さんが能力使うときに見えた光と似たようなの!」
「なんですって? 本当ですか?」
神居は勢いこんで、勝也に確かめる。勝也が自分の能力を見るまで、同系統の能力者など、サーチャーをしていても知らなかったのだ。
「本当ですって! あっちの方……だったと思うんだけどな。今は見えないです」
光の見えた方向を注意深く観察する。
「見間違いってことはありませんか?」
「ないと思います。眩しかったし、そんなライトみたいなもの無いですし。
あーでも、確実にそうかと聞かれると自信ないですね……」
「他にも同系統の能力を持った人間がいるということでしょうか?」
サーチャーという仕事は、かなり顔が広くないとやっていけない。今まで会わなかったのに、同時期に二人……ありえないとは言えないが。
「今日は収穫無さそうだし、俺調べてみますよ。
ここからは別行動にしましょう。何かあったら連絡しますから」
「わかりました。気をつけて下さいよ?」
「はいっ」
勝也はびしっと親指を立てると、光か見えたと言っていた方向に走っていった。
別行動と言えど、神居には心当たりやめぼしい場所は特にない。昨日の今日で病院にいったり公園を探ったりするのも、得られるものはないような気がした。
「となると……やっぱり情報収集か」
そして、この仮説の組み立てと……出来るかもわからない実証。
「帰りますか」
神居は、倉庫街へと頼りない足を向けた。
■――A.D. 20XX トーキョー シンジュク区 某所■
いつの間にか、シブヤ区を出ていたらしい。電柱の住所表示は、シンジュク区を示していた。
路面はまだ少し濡れているものの、雨は止んでいるので、勝也はローラーブレードを履いていた。スピードはそれほどでもない。限界まで速くしたい衝動に駆られているが、何故かはわからないので今のところ押さえ込んでいる。
調べるとは言ったものの、勝也はただ勘を頼りに走っているだけだった。
勘、と言うには確信が強すぎる。もしかしたらこれが、神居の言っていた『能力』によるものかもしれない。
(……何だ?)
ちらり、三叉路の先で光が揺れた。神居の能力と同じ感触がする。
こっちに来いということだろうか? 彼を案内しているかのようにきらめく光。勝也は迷いながらも、ブレーキをかけず進む。
このまま止まれないのか、そんなことを想像してぞっとする。自分とはかけ離れたところで、なにか力が働いているという恐怖。それでも止まれないし、止まることを選択してはいけない気がする。
暁月市。
呼んでいるのか?
自分でも何を考えているのかわからないまま、勝也は光に触れて……掴んだ、と思った。
その瞬間、視界は二重にぶれ――勝也は、トーキョーから消失した。
■――A.D. 20XX トーキョー某所 倉庫街■
時計はかちかちと規則正しく時を刻む。金鎖をもてあそび、その曲線を撫ぜるあいだも、かちかち、かちかちと。
「そう言えばこの時計も」
山南さんが持っていたものだった。
バス事故の後、能力で彼を探し出そうとして、肌身離さず持っていた、余韻を濃く残しているはずのこの時計を借りた。無駄だとわかって返そうとしたが、結局「貴方にあげようかと話していたことがあったので」と、押し切られてしまったのだ。
自分は預かっているだけだ。この時計を返す。そう思ってその後も必死にサーチャーとしての仕事の傍ら、探した。
一筋も手繰ることの出来ない余韻。
苛立ち、絶望した時も、この時計の針は変わらず動いていた。
「懐かしいな……」
必ずしも、良い思い出とは言えない。けれど、今の自分の根源だ。
「暁月市……か」
この時計は暁月市でも、変わらず時を刻んでいた。それはつまり、無機物は暁月市に流れる『時間』の影響は受けないということだ。
無機物にはなく、人にはあるもの。すなわち、精神。感情やこころ。そう呼ばれている、何か。
暁月市は、人の心に強く影響する。幽霊――余韻が人間に影響するのと、どこか似ている。
暁月市は核を中心に肥大化した、多重・多層化した感情。それが人の心に訴えかけ、虚構を生み出している。そう考えていいだろう。
では、その核となる『0次元』『21次点』とは?
静音もその概念は説明出来ても、それが何かはわからないと言っていた。数学上、机上の空論。何が動力で何が歯車なのか? 実際の『暁月市』というシステムに、明らかになっているものなど何もないのだ。
静音の説の通りならば、それは実際に物質ではないということくらいだ。点の上に立体は存在し得ないのだから。
ならば――
「誰かの精神……感情、ですか」
メタフィジカルなそれなら、存在するのに時間軸や次元を必要としないと思われる。誰かの精神故に存在している街でならば、強い感情は全てを動かせるだろう。
だが、それは歯車や電子頭脳にはなり得ても、動力源とするには少し弱いような気がする。複数の精神ならば、暁月市のような大掛かりなシステムを動かせるだろうか? だが、複数をひとつにするような……そんな仕掛けが必要だろう。
こうして暁月市が存在している以上、そこには必ず説明のつくような道理がある……と、思う。
「仮説に仮説を重ねている以上、曖昧に過ぎるのは仕方ない……か」
自嘲気味に神居は、口の端をゆがめた。
「精神で存在している……暁月市に訪れた人々の感情が暁月市を形作る……? だから、ひとは暁月市に惹かれる?」
自分に無いものを求めて、ひとの心に惹かれるように。
「それは……そうだとしたら、実に厄介ですね」
好意や悪意は、自分ではコントロール出来ないのだから。
――ピリリリリリリッ
唐突に、携帯の着信音が鳴った。一般の着信音、画面を見ると久扇子だった。
「はい、もしもし?」
「神居君。勝也そっちに行ってるのよね?
ちょっと帰ってくるの遅いと思って電話したんだけど、繋がらないのよ」
「いえ、勝也君とは昼前に別行動を取ることにして別れましたけど……そういえばもう夜なんですね。まだ帰ってないんですか?」
「そうなのよ。どこほっつき歩いてるんだか。
ここ一時間何回か掛けたんだけど、『電波の届かないところか〜』ってあればっかりでさ」
「電波はともかく、電池切れってことはないですね。いつでも連絡できるよう換えのバッテリーも持ってるはずですし。
まあ、ちょっと探してみますよ」
「ありがと、お願いね。
じゃあ、見つかったら連絡して」
「わかりました。では」
通話終了、携帯をポケットに突っ込む。
彼は能力に似た光を見たといっていた。何か妙な事に巻き込まれていないと良いのだが……。
神居は、何か勝也が残していったものがないかを探した。本人が出入りしているのだから、見つけるのは簡単だ。
その途中、何か違和感を感じた。有るはずのものが、ないような。違和感の正体はすぐに見つかった。
「腕時計の包みが、無い……?」
静音のためにアムネジアで買った、銀の時計。カラーボックスの上に置いていたはずなのに、無くなっている。
「どこかに動かした覚えは、ないんですけど」
とにかく、今は勝也のことが心配だ。神居は不可視の光に包まれ、そして行動を開始した。
■――A.D. 20XX トーキョー シンジュク区 某所■
余韻を辿る。細い糸のような、けれど明確なそれ。辿るうちに、彼の焦りと少しの不安が神居に伝わってくる。
「やはり、勝也君は意志が強いな」
意志が強ければ強いほど、その場に残る余韻は強いものとなる。意志が強い人物の残した余韻は、その時の感情や目的なども読み取れてしまったり、何十年も残ってしまうことがある。この場合がそれだった。
「見てると、お姉さんにやりこめられたりしてますが……っと」
道を進み、更に余韻を辿ろうとして、神居は目を見開いた。
「余韻が、切れている?」
断ち切ったかのように、その先が無かった。能力の『目』を辺りに這わせるが、全く引っ掛からない。今まで暁月市に行った者たちの余韻のように。
「まさか、暁月市に行ったというんですか……君は?」
能力の光を見たといって、暁月市に行った……もしかすると、それは勝也自身の能力だったのかもしれない。
神居は暁月市へと踏み込もうとするが、今までと同じで、そこには通ることの出来ない壁がある。押し入ろうとしても拒絶が手応えとなって返って来るだけだった。
「とりあえず……久扇子さんに連絡、か」
自分に言い聞かせる。落ち着きをなくしたら終わりだ。冷静になれ。
神居は携帯を取り出し、久扇子の番号を呼び出した。呼び出し音が切れても、何と言えばいいのか悩んだままで。
自分のせいでは無いとはいえない。
あのバス事故を、山南さんのことを思い出していた。
■――A.D. 20XX Unknown■
静音は、市郎と笑みを交わした。
幼少時のこと、自分が養子にいったこと、そして市郎と知り合ったときのこと、それから、それから……――たくさんの『思い出』を市郎と共有する度、嬉しくてたまらない。話を聞き、自分のことだと言われるほど、静音は『静音』に――山南の中の静音に近づいていく。
私は静音で、それ以外の者ではありえない。話しを交わすうちに、疑いの気持ちは確信へと変わっていった。ただ、嬉しい。自分が静音だった、そのことが。
満天の星空も見えないくらいに、静音は話に聞き入っていた。たまに言葉を差し挟むと、あたたかな言葉で市郎は答えをくれる。
不意に、静音は風を感じた。
ひゅぅ、とガラス張りの室内に、風は渦を巻いている。静音に受け取って貰えないためか、その場を行き過ぎては戻り、巡っている。
「なに?」
伸ばそうとした手は、市郎に掴まれた。
「君はもう、そんなことをしなくてもいいんだよ。風が教えることは空虚なだけだ、知ってるだろう?」
「でも……」
「ここに誰が来ようと、関係ないんじゃないのか? 俺達は、ここにいるんだから」
ずっと二人で。
市郎は優しい顔で笑う。ずっと笑っている。けれど、静音は風が運んできたものを知りたかった。
「……ごめんなさい。私は、知りたいわ」
落胆されるだろうか。そう思ったけれど、静音は自分の意志を示した。
「それが静音の意志なら、そうすれば良いよ」
市郎は笑って、静音の髪を撫でた。重なった手は伸ばされ、二人で空を掴む。
手の中には、文字が記された紙縒り。また誰かがここを訪れたらしい。
「勝也……神居の相棒、ですって?」
読み上げる声にはふるえが混じる。何故だか感情が胸を渦巻いていた。
市郎に会うことで、空っぽの心は満たされた。けれど、それは別のものも呼び覚ましてしまったのか。
「神居、貴方は……ここを、壊すの?」
か細く呟いた静音を、市郎は黙って抱きしめた。
■――A.D. 20XX トーキョー シンジュク区 某所■
「えっと、それで何があったの?」
余程、様子がおかしいと感じたらしい。電話の向こうの声が気遣わしげな声に変わる。
「落ち着いて、聞いて下さい」
「落ち着いてはこっちの台詞よ。まあ、神居君が動転するなんてかなりの事態が起こったんでしょうけど。
勝也に何かあったの?」
「ええ……勝也君ですけど、暁月市に行ったみたい、です」
「今、何て?」
「勝也君が暁月市に行ったみたいです、と言いました」
「本当に?」
「本当です」
嘆息する音が聞こえた。「あのバカは……」と心配しているんだかよくわからない台詞が飛び出す。
「僕は相変わらず拒絶されてますし、これ以上は探せないみたいです。何故勝也君が暁月市に行けたのかも、別行動だからわかりませんし……」
「うん、わかった。
もう色々、ぐだぐだ言わなくていいよ。大丈夫だから」
「何が大丈夫なんですかっ!?」
思わず声を荒げてしまう。久扇子のあっさりぶりと、神居の心配。かなりの温度差だ。
「……すみません。怒鳴って」
「ううん。
とりあえず、神居君が冷静になってよ。それで勝也を連れ帰って。
一度行けたんなら、拒絶されてよーが行けるわよ、きっと」
「能天気ですね。もっと心配してるかと思ってました」
「心配してないわけじゃないわ。でも、神居君は一流のサーチャーでしょ。
信用くらいさせなさい」
「……それは、勿体無いお言葉を頂いてしまいましたね」
「じゃ、切るね」
「はい。……ありがとう」
彼女が早々に切ってしまったので、感謝の言葉は聞こえたかどうかわからない。もしかしたら、勝也を探し出してから言ってくれということだろうか。
「それじゃ、頑張らないといけませんね」
ふっと余分に入っていた力が抜けた。それと同時に、ばらばらのパーツがひとつの絵になったかのような感覚を覚える。
何かが、みえた。
「暁月市の核……もしかして」
ひとつの仮説が組み上がる。それなら、静音が自分を探して欲しいと言った理由も頷けるか?
暁月市――その中核となっているのは、静音。
「つまり……彼は、過去を辿る能力ではなく、未来を選び取る能力を持っていた。そういうわけですね」
組み上がった仮説の上に、また思考を積み上げる。設備はあるとは言え、通信が出来るとは限らない。やはり自分が暁月市へと赴く必要がありそうだ……次元に張った罠が効力を発揮することを期待しよう。
神居は携帯を開き、番号をプッシュした。万が一にも洩れないよう、リストには入れていない番号だ。
神居の表情は、憧れの地に向かう旅人のように、期待と好奇、そして少しの不安が入り混じっていた。
あとがき
やっとのことであとがきまで来ました。
長かったですが、自分では作れなさそうな設定・キャラたちなので、とても楽しめました。途中からはもうどこへ行くのかと心配でしたが、何とかまとまったようで。
第6話、最終話の前という位置づけで書いていたので、私的最終話構想みたいなものはあるのです。それが南雲さんの手でどう覆されるのか、期待しています!
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◇執筆者HP本編リンク◇
■■第1話
■■第2話
■■第3話(HP閉鎖)
■■第4話
■■第5話
■■第6話(HP閉鎖)
■■第7話
前/
後