■RRN2 クリスタル・クォーツ〜水の伝承〜■
第8話 「雨を濡らした夜」 ■担当:まりあ■
三龍の呼び声と、自らの意思により、無事に彼らはポッドとともにエンザ―クへと辿り着くことができた。
――これでクロースたちの気のあつまる方向へワープすれば・・・
輝はそう考えていたのだが、実際はそううまくはいかなかった。
いちはやく三龍の声を察知したクロースは、念には念をいれてというアーヴェントの言葉に、シールドを作り、気配を消して、低空飛行していたからだ。
「駄目だ、どこにいるのか見当がつかない」
焦る輝は奥歯を噛み締めながら左手を額にあてた。
「こうなったら白龍、シーリアを封印してある場所へ案内してくれ」
『それでは奴らにシーリアの居場所をみすみす教えるようなもんだぞ』
「わかってる、だけど奴らの目的がシーリアであるかぎり必ず奴らはシーリアの元へ現れる。こうしているうちにも奴らはお前の張った結界に気付くかもしれないんだ」
「そうだな、それしかないかもな」
夏旺も同意した。
「三日は気付かないというのも単なる目安だからな」
『・・・承知した。主がそう決めたのなら・・』
「ちょっと、待って」
今まで沈黙していた冬星が白龍を制した。
「どうした冬星、今は一刻の猶予も許されないんだぞ」
「なにかいい考えでもあるのか?」
「考え、というか、ちょっと気になることがある」
エンザ―クの草原に突如出現したワープポッドを囲む三龍。
そしてポッドのハッチをあけて龍を見上げていた夏旺と輝は一斉に冬星のほうを見、次の言葉を待った。
冬星は皆の視線を感じていたが、わざと気づかぬ風を装いはるかかなたの地平線に目をやったままつぶやいた。
「どうしてクロースたちは気配を消したんだ。戦ってもむこうの勝ちは目に見えている。奴らはなにを恐れて気配を消す必要があったんだ?」
たしかに冬星のいうとおりだった。
先ほどの樹の圧倒的なパワー。
覚醒したアクア・ディーオ・カヴァリエ−レと、輝たちではその力の差は歴然だった。
クロースたちにとって輝たちの存在など恐れるに足りないはずだ。
「俺たちの覚醒を恐れているんじゃないのか?」
少し考えて夏旺がそう答えた。
「覚醒してしまえば、向こうのアクアはふたり、こっちは三人だぜ」
「なるほど、俺たちにも樹や希たちと同等の、いやもしかしたらそれ以上のパワーが潜在しているかもしれないんだもんな」
先ほどまで打つ術が絶たれ、焦りを感じていた輝の表情に一瞬光がさす。
しかし冬星は、今度も地平線のほうをみつめたまま呟くように言った。
「むこうはふたりじゃないよ。カシュウもいたしフェアリィもいた。それに今まで会ったことのない三人がついていた」
「おっさんと青年、それと、面差しが希に似た少年だな」
「数でもこっちは不利だってことか」
ふたりの言葉に冬星は軽く頷き
「もしかしたら俺たちがやろうとしていることのほうが、悪なのかもしれない」
といった。
その言葉に一瞬夏旺と輝は、さっきから心の中にありながらわざと気づかないふりをしていた疑惑に直面した。
――なぜ樹たちがクロース側についたのか
――俺たちが、間違っている?
三人が疑惑に捕われ、それに引きずり込まれんとしたとき、
『いかんっ、奴らが結界に近づいている!!』
白龍の逼迫した声に皆は我にかえった。
「何が正義かなんて今はいい!とにかくシーリアを護らなければ」
「白龍、シーリアの居場所を教えてくれ」
『承知した』
三人は急いでポッドのハッチを閉じ、コンソールを開いた。
■ ■■■
「この森のどこかに、シーリアへと繋がる扉があるというのか」
クロースははやる鼓動を抑えながらエンザ―ク北西にある「モーグリの鬘」といわれている森の入り口の前に立っていた。
「確かに強い印の力を感じます」
クロースの側に控えているアーヴェントが鋭い眼光であたりを見まわしながら、気を探っている。
「流石白龍の封印。見つけるのは至難の技ね」
フェアリィは半ば感心したようにためいきをついた。
しかしアーヴェントはそんなフェアリィの心配を鼻先でふんと笑った。
「いざとなったら白龍を殺してでもつきとめてみせるさ」
「殺すって、アーヴェント、あなた・・・」
フェアリィがそういいかけたとき、轟音とともに突如後方の空中に銀色の球い物体が現れた。
「夏旺たちだ!」
直感で希は叫んでいた。
樹も同時にそう感じた。
あれはエスターテの科学技術の粋を結集して作られたワープポッドだ。
ポッドはゆっくりと地上に降り、やがて球体が縦にまんなかからふたつに割れた。
「来るぞ!!」
アルマの声に一斉に身構えた樹たちだったが、
「なんだよ冬星、そのスイッチじゃねーだろ」
「ホントだったら上のハッチだけがこうぽーんと開くはずなのに」
「メンテナンス用のハッチを開けちまったのか」
「・・・・ごめん。なんか、桃太郎な気分・・・」
間の抜けた緊張感のない会話にクロース一同毒気を抜かれてしまった。
冬星の言葉通り桃太郎状態になってポッドの中から夏旺、輝、冬星が現れたが、三人はまだクロースたちの存在に気づいていないのか
「くそー、やっぱ俺がやりゃよかったよ」
「仕方ないさ、冬星にも操作に慣れてもらわないと」
とやりあっている。
『あのぅ・・・みなさんお揃いなんですけど』
クリスタルのから呼びかける赤龍の声に、ハッと我に帰る夏旺と輝。
「あ、ホントだ」
「こんなに近くに出ちまうんだなぁ」
「よかった、まだシーリアは無事みたいだぞ」
そんな緊張感のない会話に業を煮やしたのか、アーヴェントが突如攻撃を仕掛けた。
「ゆけ、異形の怨念よ!」
その声に異形の兵士達が一体化し、どろりとした黒い三つの物体に分かれた。
物体はたちまち人型になり、いつか希が戦った漆黒の希ならぬ、漆黒の冬星、輝、そして夏旺に変化した。
慌てて冬星たちも応戦態勢に入る。
「我名は――」
と、そのとき
「待て」
クロースが片手を挙げて両者を抑えた。
「殿下、なぜとめられるのです」
明かに不服そうなアーヴェントの声に
「あれを見よ」
クロースが指差した方向に一同が目をやると、そこには
「ノームもどきだ!」
「あいつらまたでてきやがったのか」
そう、過去、それぞれの地にアクア・シールが送られて後、はじめて5人がここエンザークに再び召喚された時に出会った、あのノームもどきの老人達だ。
ふたりともあの時と同じように魔法使いのじーさんばーさんを装っている。
ちょこちょことふたりは樹たちのそばに歩いてくると
「〇▲×■●◇△」
「×〇●△?」
と、これまたあの時と同じようにわけのわからない言葉で話しかけてきた。
「なんだよ、またへんなのを呼んで俺たちを攻撃する気か?」
いらいらした口調の夏旺。
しかし対照的に樹は
「・・・あんたら、賢者なのか?」
「わかるの?樹。」
驚いて目を丸める希。
「ああ、こいつら、ジュヴィアを守護していた賢者だと言っている」
「母上の?」
クロースが声をあげた。
「母上??」
その言葉に一斉に皆はクロースの方をみた。
いや、正確に言うならアクア・ディーネ・カヴァリエーレたちは、というべきだろう。
その他の者たちはどうやらその名を知っているらしかった。
「ほう、古代エスタシオン語がわかるようになったのか。
どうやらおめぇひとりだけは覚醒できたとみえるのぅ」
じーさんの方のノームもどき、もとい、賢者が話をつづける。
他のアクアたちにはその会話がわからない。
「俺だけ?なぜだよ。夏旺たちはともかく、希も記憶の断片を取り戻したんだから、覚醒しているんじゃ・・・」
「いや、おめぇだけだ。どちらにせよひとりしか覚醒していないのなら
用なしだ。前回は覚醒していないと言葉が通じないとは思わなかったのでちょっと実力をためさせてもらったがの」
ばーさんのほうの賢者も口を挟む。
「そうそう。あんときよりはちーとは力があがってるみたいだけどね、まだまだだめじゃ。それではシーリア様を戴冠させることはできん」
「また無駄足じゃったの。帰るとするか」
「そうじゃね、また今度、五龍五戦士が揃う時にあいましょ」
そう言い残すとふたりの賢者たちは、なにやら呪文を唱え出した。
「ちょ、ちょっとまってくれ、まだ教えてほしいことが・・」
ふたりを呼びとめる樹の声をにかぶさって、
「ははは、まだ全員覚醒していなかったのか。せっかく気配を消してシーリアの元に辿り着くまでは貴様たちが一同に揃うのを阻止せねばと、念をいれておいたのに、どうやらかいかぶりすぎだったようだな」
先ほど召喚した漆黒の冬星、夏旺、輝を身にまとわらせつつ、アーヴェントが声高らかに笑った。
「おめぇはもしかして闇の剣士、アーヴェントじゃないかえ?」
その姿をみて賢者たちは慌てて呪文を唱えるのをやめた。
「どういうことじゃ。確かに魔界に封じておいたはずなのに」
「それにそこにおるのは父親のウェスペルじゃないのかえ」
驚きのあまりばーさん賢者は目を見開いたまま呆然としている。
「ねぇ、樹、なんて言ってるの?自分だけわかってないで通訳してよ」
賢者たちの驚きぶりに、これはただごとではないとかんじた希が、樹に耳打ちした。
それを横で聞いていたフェアリィは「まかせて」といっていつか彼女が樹に与えたのに似た、虹色の石を召喚し、空中に浮かべた。
瞬間、残るアクア・ディーネ・カヴァリエ―レたちも古代エスタシオン語を理解できるようになった。
「でも、一時的によ。ずっとは無理。頑張って自力で覚醒してちょうだいね」
軽くウインクしてみせたがフェアリィの表情は苦しそうだった。
おそらく気力をかなり消耗しているのだろう。
そんなフェアリィを無視してアーヴェントは嘲笑を含みつつ続けた。
「貴様らが私を魔界に封じた張本人か。こんなちいさなノームもどきに魔界へおくられたたとは、いくら赤ん坊だったとはいえ自分で自分がなさけないな」
言われてじーさん賢者は顔を赤くして怒った。
その怒りの矛先は自分を侮辱したアーヴェントではなく父ウェスペルに向けられていた。
「どういうことじゃ、ウェスペル。おめぇ魔界で永遠にアーヴェントを監視し決して天界にこられぬようその力を封じておくというから、特別にアーヴェントとともに魔界へ住むことをジール王から許された身ではなかったか」
それを聞いて希が話に割って入った。
「え?とうさん、夕稀やかあさんと一緒に無理やり魔界に強制送還
されたんじゃなかったの?」
希は父ウェスペルの眼をじっと見つめた。
しかしウェスペルは希と視線を合わせようとせず、賢者たちを憎しみのこもった視線で睨みつけた。
そんな父ウェスペルにかわって、アーヴェントが話を続けた。
「闇に閉じ込められてはまともな人間なら1週間ともたない。私を監視するという条件で、私の生存を約束させ、魔界についてきたものの、そのために、気がふれた母の姿にいたたまれなくなった父は、絶望の中から闇とともに生きていく道を選んだのだ。」
そういってまたアーヴェントは楽しそうに笑った。
「本当かえ?ウェスペル」
賢者の問いかけにウェスペルはゆっくりと頷いた。
「アーヴェントの悪の力は日を追う毎に強大になっていった。しかしそれだけではない、なにか別の強大な悪の力が魔界に流れこんできたのだ。いつしか私の心の中には、悪こそが正義なのではないかという疑念が湧くようになっていた。そんなとき、天界から、クロース王子が送りこまれてきた。クロース王子のような立派な方を闇に葬るなど、どう考えても天界のやり方は間違っているとしか思えなかった。いつかクロース王子を脅かす存在になると私たち夫婦に、アーヴェントをよこせとせまった天界の賢者たちが、そのクロース様を魔界に送るなど、正気の沙汰とは思えなかった。どんな手段をとってでも、私は天界へ戻り真相を確かめたかったのだ」
そこでいったんウェスペルは言葉を区切り、大きくためいきをついて空を仰ぎ、悲しげに続けた。
「それがどうしたことだ。あれほどまでに栄えていたエンザ―クは見る影もない。変わらぬのは草原と水の宮だけだ。エンザ―クに何があったのだ」
「その思いは私も同じだ」
クロースがウェスペルに同調した。
「父ジール、母ジュヴィアそして我妹シーリア、その気配がまるでない。
白龍は、父上や母上もどこかに封印しているのか?」
クロースの問いかけに白龍は何も答えない。
「ふん、エンザ―クなどもうどうでもいい。私がいままでクロース王子を守護する立場に甘んじていたのはクロースならば、アクア・ディーネ・カヴァリエ―レの信頼も厚く、天界への扉を開かせることができると思っていたからだ。しかし天界に来た今、そのような芝居をする必要もなくなった。今ここで消滅するがいい」
アーヴェントはそういうと、両腕にまとっていた三人の漆黒のアクア・ディーネ・カヴァリエ―レたちを
「爆!」
呪文とともに飛び散らせ、クロースを襲わせた。
「殿下、危ない」
とっさにアルマがクロースの前に盾を作りだし、異形の者の攻撃を防いだ。
しかし異形の者はぶよぶよと盾に張りつき、あたかも葉を食らう蟲のようにその魔法でできた盾を溶かし、自らの体内にとりこみ、増幅していった。
「邪魔する奴は、皆殺しにしてやる」
そういうとアーヴェントは目を閉じ、額のあたりに気を集中させた。
「いけない。アーヴェントは本気よ」
「とりあえずみんな、ポッドに乗るんだ」
輝の一声に皆ワープポッドへ向かって走り出す。
カシュウに誘導されるクロースを後から守護するアルマ、フェアリィ。
呆然としている希の手をひいてポッドに走る樹。
「ポッドって、なんじゃ?」
わけもわからず互いの手をつないでそのあとを追う二賢者。
「あの桃太郎の桃みたいなやつだよ。急げ!」
樹はあいたもう片方の手でじーさん賢者の腕をつかみポッドに投げ込んだ。
と同時に
「γδζηιξτ!!」
アーヴェントがそう叫ぶと、空が真っ暗になり、空間を切り裂くようなサンダーボルトがアーヴェントの剣に突き刺さるように落ちてきた。
「やばい!」
全員がポッドに滑りこみ桃が閉じたのと、アーヴェントの剣から閃光がほとばしったのはほぼ同時だった。
「!」
しかしその閃光は空中を貫き、アーヴェントの目の前から、すでに桃の姿は消えていた。
「白龍の力だ、空間をちぢめて移動できると聞く・・・」
ウェスペルの言葉にアーヴェントはなんでもないといったふうに
「死の恐怖を長く感じていたいらしいな」と鼻で笑い
「シーリアへの道を開く、手伝ってくれ」
剣をしまい森の方へ向き直った。
ウェスペルは我子ながら時折アーヴェントのみせる残虐性に恐れを感じていたが、それを自分の弱さのせいだと自らを戒め息子の命令に従った。
■ ■■■
輝のとっさの判断と、白龍の気転で、一行はすんでのところで難をのがれ、桃はエンザ―クの中枢ともいえる水の宮近くの湖のほとりにワープした。
一日に二度も空間をちぢめる能力を使ったせいか、白龍の気は線香の煙のように細くなっていた。
「大丈夫?白龍」
心配そうな希の言葉に
「へーきへーき、疲れてまた鬱になってるだけさ」
こともなくいってのけた輝。
「こいつになんかありゃ、この石も変化するはずだ。みてみろ、キラキラしてやがる。ちょっと疲れただけだ、しばらく休めばすぐによくなるさ」
そういって胸元のエンブレムを親指で指した。
「それまでは作戦会議といこう、白龍の結界はそう簡単には破られない」
輝の言葉に皆賛成した。
「やっぱり龍の力にも限界があるんだね。まあ当然といえば当然なんだけど、
白龍のあの力があれば、戦いもかなり避けられると思ったのに」
残念そうな希に
「なんのために苦労してこのワープポッドをギッてきたと思ってんだよ。こいつの能力も、そう捨てたもんじゃないぜ」
輝は頼もしくポッドの壁を叩いてみせた。
――どんどん
その音に一瞬一同は耳を疑った。
「・・・・・・・」
叩いた本人である輝も「やべぇ、なんだこりゃ」という顔をしている。
「きっ、気のせい気のせい」
「そうだよね、きっと重力とかの関係で」
「うんうん、それとも昨日食ったソラマメのせいでソラミミが・・・」
暗黙の場内一致で聞かなかったことにすると決まった。
しかしその時考えていたことはみな同じだった。
――なんかベニヤ板叩いたような音がしたなぁ――
誰も口にできなかった。
一同の頭上には、フェアリィのうかべた虹色の石がくるくると回りながら浮かんでいる。
「そっ、それにしても」
裏返った声で夏旺がきりだす。
「一体あのアーヴェントとかいう奴は何物なんだ。希のところへグラスをもってきた夕稀ってあいつなんだろ?」
いいにくそうにしている希にかわって樹が答える。
「彼は希の双子の弟で、生まれて間もなく魔界へと送られたそうだ。いつの日か天界を脅かす存在「闇の剣士」へと成長してしまうことを恐れてな」
「闇の剣士って、例のあの古文書にあった、あれか!」
夏旺の声に、樹は小さく頷いた。
「夕稀を無理やり連れ去ろうとする陛下の使いにはむかったためにぼくのほんとうのとうさん、かあさんも魔界へと封じ込められてしまったんだ!」
そう叫んだ希の声は、少し震えていた。
「それはちがうぞえ」
「わわっ、あんたら、まだいたのか」
あらぬ方向から賢者のしわがれた声がして、樹は真剣に驚いたようだった。
「まだいたのかとは失礼な、ワシの手をひいてこの奇妙な物体に放りこんだのはどこのだれじゃったかの」
「あ、俺でした・・・」
樹がちょっと首をすくめてみせた。
「アーヴェントを魔界に送ったのはワシじゃ、そしてクロース様を送ったのもな」
「じーさんがクロース殿下を?」
希の言葉にじーさん賢者は明らかに気を悪くした。
どうやらこの賢者、気が短いらしい。
「じーさんとはなんじゃ、ワシゃまだ837歳じゃぞ。
ぴっちぴちのモダンボーイじゃ」
「も、もだんぼーい?」
「アンタ、4000年ほど前から同じことゆうてなさるよ」
ばーさんにつっこまれてもじーさんは聞こえていないふりだ。
「ちゃーんと名前もある。グタポぺじゃ、よくおぼえておけ」
「ちなみにアタシゃズルだよ。性格が悪いもんで、そう呼ばれとる」
なぜか自慢げに胸をはってみせた。
「・・・あんたらの歳や名前はこの際どうでもいいから、真相をおしえてくれ」
ため息混じりに夏旺が苛立ちを口にしたが、
「あんたらじゃない、グタポぺ」
「ズルじゃ」
まだいっている。
そんなやりとりに業を煮やしたのか、樹がいった。
「夏旺、例の古文書はもっているか?」
「ああ・・・ボードにコピーしてあるけど」
そういうと夏旺は腕にはめていた小型モバイルボードをちょこちょこといじって外し、樹になげてよこした。
■ ■■■
緑あふれ水豊かな星、エンザ―ク。
その星には四季があり、平和があり、光が満ちていた。
星を統べる王の名はジール。
金色の髪をもつ、王と呼ばれるにふさわしい風格と気品を兼ね備えた男だった。
ジールは古より続くルピトルボルグ王家の血をひいており、寡黙だが慈愛に満ち、民からの人望も厚かった。
王となるものは精霊との婚姻が定められており
ジールの妃となる女性もまた、ふたりが出会う前から決められていた。
彼女の名は、ジュヴィア。
乾いた土地を潤す雨の精霊だった。
まだジールが王位を継承する前、許婚の掟を知ったジュヴィアは嘆き悲しんだ。
ジュヴィアの胸の中には、すでに恋焦がれている男性の存在があったのだ。
濡れたような黒髪を涙がさらに濡らし、潤んだ瞳は瞼に阻まれ、なにものも見ようとしなかった。
王の妃となるべくして生まれた時から賢者により教育されていたが、その事実が告げられるのは能力の開花が認められてからだ。
もし能力が開花しなかったり、他のお妃候補の精霊より能力がひくく、気立てなどに問題があった場合は、精霊としてのつとめのみを果たす一生を送ることになる。
奇しくもその能力を開花させるきっかけをくれたのが、ジュヴィアの初恋の相手である、おさななじみのイェノムだった。
結婚式当日まで一年間、家族と王家からの使い以外とは誰にも会ってはならぬといわれ、はじめてジュヴィアはイェノムに会えなくなることが身を切り裂かれるほどにつらいことだと気付いたのだ。
せめてこのきもちだけでも、イェノムに伝えたいと思いながら、それもかなわず、ジュヴィアは日々泣き暮らしていたのだ。
そして婚礼を一週間後にひかえた晩、ひとりの王家の使いが婚礼の儀式で使用するためのグラスを届けにやってきた。
家族の物から、ジュヴィアが泣き暮らしているときいた従者は、彼女をなんとか説き伏せてみるからふたりだけにしてほしいと人払いをし、従者を良く知る家族の物は、藁をもすがる思いで従者にすべてを託した。
「ジュヴィア様、失礼します」
そういってドアをノックし、虹色に輝くグラスとともにジュヴィアの部屋に入ってきたのは、まぎれもなくジュヴィアが身を窶すほどに逢いたくて恋焦がれたイェノムその人だった。
イェノムは虹色のグラスが入った透明のケースを、ベッドに突っ伏して泣いているジュヴィアのサイドテーブルにそっとおいた。
「私です、ジュヴィア」
ジュヴィアは最初、逢いたさのあまり、自分が幻でもみているのかと思ったが、間違いなくイェノムだとわかると、思わずイェノムの胸に飛び込んでいた。
「あいたかった、イェノム・・・」
「私もです、ジュヴィア。逢いたくて杯を届ける役目を志願したのです」
ふたりはしばらく抱き合っていたが、しばらくしてイェノムが両手でジュヴィアの身体を押しもどした。
「どうして・・・」
「君にあえた、それだけで、もう、充分なはずなのに・・・・」
そういうとイェノムはうつむいて下唇をかみ、肩を震わせた。
ジュヴィアはそのとき、イェノムの自分に対する深い愛情を思い知った。
いとおしくて、いとおしくて、できることなら力の限り君を抱きしめて、そのままこの腕の中で壊してしまいたい。そんなイェノムの気持ちが言葉にしなくても伝わってきた。
そしてその思いはジュヴィアも同じだった。
ジュヴィアは片手を、うつむくイェノムの肩に置き、もう片方の手でイェノムの銀色に輝く前髪をかきあげ、
震える唇にそっとくちづけた。
崩れるように倒れこむシルエットの側で、虹色のグラスだけが静かに輝いていた。
■ ■■■
「そっ、それっでどうなっちゃったの?」
古文書を読む樹に希が身を乗り出して尋ねる。
「うう。最後にちょっとでも好きな人にあえてよかったわねぇ」
フェアリィは涙ぐんでいる。
他の者はみな、おのおの複雑な表情をうかべていた。
こと、クロースの顔は青ざめ、その身は小刻みに震えている。
そんななかでグタポぺだけが、しきりに頭をひねっていた。
樹はさらに話を続けた。
■ ■■■
二十年の歳月があっというまに過ぎた。
幸福な時間というのは瞬く間に過ぎ去ってしまうものだ。
ジュヴィアと結婚したジールは幸福そのものだった。
美しく賢い妻、武術の才能に長けた息子、愛くるしく歌の上手な娘。
命にかえてもおしくないかけがえのない家族たちに囲まれ、ジールは充実した日々を送っていた。
ただひとつ心配なことは、成人式が近づいている一人息子のクロースに、未だ王位継承の兆しが見えないことだった。
剣術などに関しては、師であるカシュウも太鼓判を押すほどの腕前であるのだが、魔法力は微弱な力しか出せずにいた。
ある日ジールは決断した。
「ジュヴィアよ。クロースに、オシリスの儀を受けさせようと思う」
「オシリスの儀ですって?」
ジュヴィアは驚いてききかえした。
「うむ、通常オシリスの儀は力が目覚めてからうけるものだ。しかしとうの昔に目覚めてよいはずの力が、あやつはほとんど目覚めておらぬ。すこし荒療治になるが、儀式を受けさせればそれを期に一気に覚醒するかもしれぬ」
「でも、それはあまりに危険だと・・・」
「普通の者には危険だが、クロースは王家の血をひいておるのだ。死ぬことはあるまい」
バルコニーから中庭で剣術の稽古をしている我子の姿を見ながらジールは目を細めた。
「私はクロースの潜在能力を信じておる。お前も母親ならクロースのことを信じてやれ。オシリスの儀は一月後に執り行うように指示しておく」
そういってジールはジュヴィアをバルコニーに残し、部屋をでていった。
残されたジュヴィアは今にも倒れそうな身体を壁に押し当て、ようやっとの思いで立っていた。
――クロースは間違いなく儀式に耐えられず死んでしまうわ。
あの晩、ジュヴィアのなかに、小さな命が着床したことをジュヴィアは確信していた。
イェノムもうすうすはクロースが自分の子だと感じているのかもしれない。
だからこそクロースに「勇者の唄」を贈り、従者から王室お抱えの吟遊詩人に推挙されたあとも、時に剣術の師としてクロースを見守っているのではないか、ジュヴィアはそう感じていた。
この二十年、ずっと夫を裏切りつづけていたわけではない。
あの晩別れ際に、イェノムはこういった。
「わたしはいつも君を見守っている。でも私には君を幸せにすることは出来ない。私は君の姿を時々みかけるだけで幸せになれる。でも君が幸せでないなら私も幸せな気分にはなれないだろう。だからジュヴィア、私のためにもどうか幸せになってくれ」
その後イェノムとは偶然宮で出会っても、お互い言葉をかわすこともなかったが、すれ違う度痛んだ胸も、彼のみせる笑顔でかなり癒されたのだった。
実際ジュヴィアの心の中では、しだいになんのみかえりも期待せずにただ愛情を注ぎつづけてくれたジールに対する、敬愛にもにた恋心が大きくなっていた。
婚礼を終え、はじめてふたりきりになったとき、ジールはこういった。
「生まれたときからずっとあいたかった人に、ようやくあえました」
その瞬間、ジュヴィアはこの人を愛することができるかもしれないと思った。
そしてその予感は現実のものとなり、子煩悩で情愛深く、王者の風格を兼ね備えるジールに心惹かれていくようになった。
しかしジールがジュヴィアを愛すれば愛するほど、また、ジュヴィアがジールを愛するほどに、ジュヴィアの罪悪感は募っていった。
人の持つ罪の念は、波動となり魔界へと流れこんでゆく。
魔の力を増幅させてゆく自分の愛情に、ジュヴィアはどうすることもできずにいた。まるで出口のない迷宮に迷いこんでしまったかのように。
愛するがゆえに増幅していく魔界の力を、ジュヴィアは肌で感じていた。
自分が罪深く汚い存在であるような気がした。
イェノムと過ごしたあの晩のことは後悔していない。
ただそれを隠してジールの寵愛を受けている自分が嫌なのだ。
何度打ち消しても湧いてくる自責の念。
それを糧に膨れ上がってゆく強大な闇の存在は、以前賢者たちが教えてくれた「光の騎士」とともに生を受けながら、生まれて間もなく魔界へ送られたという「闇の剣士」のものなのだろうか。
「儀式を、とめなければ」
ジュヴィアが選んだのは、星の未来ではなく、我子の命だった。
その晩、シーリアの部屋をジュヴィアが訪れた。
「どうしたの?かあさま。泣いているの?」
シーリアのベッドに母子は並んで腰掛けている。
「大丈夫よ、シーリア。いい子ね。」
そういうとジュヴィアはシーリアの髪を優しく撫でた。
「これからかあさまのいうこと、シーリアとかあさまだけの秘密よ?」
母のいつもどおりの優しい声に、シーリアはこくんと頷いた。
無邪気に微笑むシーリアをみて、ジュヴィアもつられて微笑む。
「あなたには今まで、いろんな無理をさせてごめんなさいね。本当はあなたにはすでに王位継承の兆しがでているというのに、兆しのでないクロースに遠慮して、ずっと力を封じこめさせてしまったり・・・」
「いいのよ、かあさま。きっとあたしなんかよりも大きな力をにいさまはもっておられるはずだもの。あたしの力なんてこの星には必要ないわ」
シーリアの言葉にジュヴィアは泣き笑いにも似た複雑な表情をみせた。
「それが、そうではないのよ」
「そうではないって、どういうこと?」
「・・・クロースはもうすぐ魔界へいきます」
「!!」
大声をあげそうになり、あわててシーリアはそれをのみこんだ。
「もうそれしかクロースが生きる手立てがないのよ。ここにいてはあの子はいずれ殺されてしまう。だからわたくしが賢者たちに命じて密かに魔界へ送らせます」
信じられない母の言葉だった。
シーリアは言葉をなくし、ただ黙って母のいうことを聞いていた。
「もしもわたくしの身になにかあれば、すぐにアクア・ディーネ・カヴァリエ―レを召集しなさい。そして彼らに渡してあるエンブレムをあなたの手に戻すのです」
「!アクア・ディーネ・カヴァリエ―レって、にいさま御付きの戦士でしょ。あたしのいうことなんてきくはずがないわ。エリュージュなんていっつもあたしに命令してばっかりだし、フィネルたちだってちっちゃいころからいじわるなんだもん」
そういって口をとがらすシーリアに、ジュヴィアは諭すようにいった。
「大丈夫よ。彼らは優秀な選ばれし戦士たちです。きっとあなたを護ってくれるわ。それにね、いじわるなことをいうのはそれだけみんながあなたを心配してくれているからよ。あなたはみんなに愛される、素晴らしい女王になれるわ」
「・・・そっかなぁ」
とてもそんなふうには思えないけど、とシーリアは心の中で思ったが、口には出さなかった。
シーリアの、そんな胸中をジュヴィアは充分に察した上で話をつづけた。
「クリスタルにはそれぞれに龍が宿っているのを知っているわね。あの龍たちはあなたに備わった力をあなたが使いこなせるようになる日まで、パワーを抑制するためにつくったもので、あなたの力を分散させて封じこめてあるのです。このことは、前に話したことがあったわよね」
母の言葉にシーリアは頷く。
「アクア・ディーオ・カヴァリエ―レたちに、あなたでは五龍を御しきれないから、時が来るまで預かっていてくれと彼らにクリスタルを託してから三年がたちました」
ジュヴィアはそこで一旦言葉を区切って、ゆっくりと深呼吸した。
「アクア・ディーオ・カヴァリエ―レたちのすべてのクリスタルの力をかりてあなたはこのエンザ―クをしばらくのあいだ封印しなさい」
「なんてこと、かあさま!!」
シーリアは俄かには母の言葉が信じられず、じっと母の瞳を見つめ返したが、その瞳は母が真剣だということを物語っていた。
「前に教えた破壊の呪文を使いなさい」
「そんなことをしたら、人々はどうなるの?この星の豊かな自然や、動物たち、それよりなにより、とうさまとかあさまは・・・」
「それには心配およびません。破壊といっても実際には一時的に星を分裂させるだけのことです。あなたの力が完全に成長するまでのあいだ、他の力によってあなたが狙われるのを避けるための手段です。時がくればあなたが再び別れた星をひとつに集め、立派に戴冠式をはたしエンザ―クを再建させてくれるでしょう。その日まで、別れた星たちにアクア・シールを配しておくのです。人々や生物は転生しそして時が来た時、前世での記憶をとりもどしてゆくはずです。」
いい終えてジュヴアは、不安そうに見つめるシーリアを抱きしめた。
「だいじょうぶ、あなたならできます。方法は、時がくればすべてわかるはずです。頼みましたよ、シーリア」
シーリアの部屋をでたジュヴィアは、次にグタポぺとジルを自室に呼び、今後のことについて指示をだした。
三人の密談が終わったのはもう明け方近くになっていた。
「ほんとうに、よろしいので?」
「いろいろ考えて決めたことです」
ふたりの賢者は互いに顔をみあわせたが、ジュヴィアの一度決めたら譲らない性格を熟知していたので、もうそれ以上はなにも言わなかった。
「すべて御心のままに」
そういって部屋を出て行こうとする賢者を
「それから、大切なことをもうひとつ」
ジュヴィアの声が呼びとめた。
「人々の記憶から、クロースの存在を消してしまいなさい。もちろんシーリアの記憶からもです」
「ジュヴィアさま・・・」
それは、クロースに王家の血が流れていないと知ってどんな追っ手がクロースを襲うかもしれないという懸念と、兄思いの妹の悲しみを配慮した、母親としての愛からでた言葉だった。
「・・・すべて、御心のままに・・・」
そうつぶやき、うなだれて賢者たちは部屋をでていった。
樹はさらに話を続けた。
■ ■■■
「そんなこと、俺には出来ない!!いくら師であるあんたの頼みでも、親友を裏切ることなどできるもんか」
エリュージュは突然の突拍子もないカシュウの言葉に語気を荒げて叫んだ。
人気のないモーグリの鬘に、さらにエリュージュの声が響く。
「いったいなんのためにクロース殿下に魔物討伐だとウソをつき、たったひとりで魔界へ向かわせなくちゃいけないんだ。あとで準備を整えて他の兵士達もくるなどと、クロースを陥れるようなことを!」
興奮するエリュージュに、師であるカシュウも困惑した表情で答える。
「私だって、なぜそんなことをしなくてはいけないのかわからない。ただ、ある方を加護する使いの者が、直々に私に頼んできたのだ。その方を私は信頼している。わけもなくそんなことをなさる方ではないのだ。だからエリュージュ、どうか理由を聞かずに任務を遂行してほしい。そうしないときっと今にとりかえしのつかないことになる。クロースを親友だと思うのなら、そうしてやってくれ。頼む」
そういってカシュウは弟子であるエリュージュに土下座をした。
こんなに真剣で切羽詰ったカシュウを見るのははじめてだった。
そのあまりにもただ事ではない有様に、エリュージュは沈黙で答えるしかなかった。
■ ■■■
ジールのジュヴィアに対する愛情は、ジュヴィアが思っていたよりもかなり深いものだった。
ジュヴィアから大切な話があるといわれて、ふたりがはじめて出会った教会に呼び出されたとき、ジールはジュヴィアがなにを話そうとしているのか、見当もつかなかったが、きっとなにかよい知らせにちがいないと思っていた。
―ーもしかしたら和子を授かったのかも知れぬな。
ジールがいそいそと教会にはいってゆくと、ジュヴィアはすでに祭壇の前でジールを待っていた。
「待たせたかな」
ジールは妻の待つ祭壇のほうへとゆっくりと近づいていった。
そんな夫の言葉に、妻はやさしく首を横に振った。
「お忙しいなか、きてくださったのね。ありがとう」
そういうとジュヴィアは祭壇の上に並んでいたふたつのグラスに目をやった。
「おお、それはあのときの」
そう、それはふたりが結婚式で、未来を誓い合ったときにかわした虹色のグラスだった。
「そうよ、ねぇあなた。今からこのグラスに映るものを、よく御覧になっていてね」
そういうわれてジールはワイングラスに近づきじっと目を凝らした。
「そこに映し出されているのは、20年前のわたくしです。20年前、そのグラスに何が映っていたのか、あなたにお見せしなくてはなりません」
断片的に映し出される映像に、ジールは次第に理性を失っていった。
「ジュヴィア、そなた、ずっと私を欺いてきたのか・・・」
搾り出すようにジールがそういってジュヴィアのほうを向き直った時、ジールの形相は憎しみと怒りの仮面へと変化していた。
そんな彼の反応を予想していたかのようにジュヴィアはおちついた様子でこたえた。
「わたくしはあなたを愛しています。けれどクロースは、あなたの子供ではありません」
ジュヴィアはそこで大きな賭けにでたつもりだった。
もし夫が許してくれなければ、ここで殺されてもかまわない。
でも、聡明なジールだ、もしかしたらすべてを受けとめてくれるかもしれない。
そんな、甘い期待も、ジュヴィアの胸のうちにはあったのだ。
しかしジールの愛情はジュヴィアの考えていたそれよりも、もっと強大なものだった。
自分を司っていた愛の源、最愛の妻に裏切られたという衝撃は、ジールの人格その他に大きな影響を及ぼしてしまったのだ。
「あのときも、あのときも、そなたは私を欺いていたのだ。しかも、よりによって、私が最も信頼する家臣のひとり、あのカシュウと・・・・」
搾り出すような声でそういうと、ジールは自らの拳で祭壇を殴った。
何度も、殴った。
ジールの拳はくだけたが、それでもなおジールは、くだけていないもう片方の腕がこわれるまで殴りつづけた。
噴出した血は、裂けた祭壇の割れ目をつたい、床に滴り落ちていく。
「あなた、もうやめて。殴るなら、わたくしを殴ってください」
見兼ねたジュヴァアがジールを後から羽交い締めにするかたちで止めに入ったが、ジールの耳にはもうジュヴィアの声は届かなかった。
最愛の妻と息子、家臣を一度になくしたジールは、その情愛の深さに比例した衝撃をうけたのだ。
ジールは我を忘れ、狂乱していた。
ジールの中に芽生えた人を憎む心のもつ力はふくれあがり、闇の力を誘発し、身も心も憎悪に支配されようとしていた。
「駄目!あなた、闇に心を支配されかけているわ!」
しかしジュヴィアの胸ぐらをつかんで締め上げようとするジールの魂は、すでにジールのものではなかった。
「Ψ∞§ξ・・・」
「あなたっ、それは禁断の呪文!!」
――いけない、このままでは星の民もすべてまきぞえにしてしまう。
そればかりかジール自身も魔界へひきずりこまれ、すでに魔界へ向かうてはずになっているクロースを消滅させ、魔王となって、天界にいるカシュウのもとへ復讐にやってくるだろう。
とっさにそう判断したジュヴィアは、ジールにしがみついたまま
「グタポぺ、ズル、言っていたとおりにしなさい!」
物陰にひそませておいた賢者に命令した。
「はやく。わたくしのことはかまいません。みなが死んでもいいのですか!」
ためらうふたりにさらに厳しい口調で命じた。
賢者たちは、万が一ジュヴィアがジールを抑えきれなかったときはそうするようにとあらかじめいわれていた命令を、断腸の思いで遂行した。
賢者はジュヴィアの力を借りて、ジュヴィアもろともジールをグラスの中に封じこめたのだった。
■ ■■■
「ここで古文書の記述はお終いだ」
すべてを読み終えて、樹はボードを夏旺に返した。
しばしの静寂のあと、震える声でクロースが言った。
「カシュウ、お前が、私の父親だというのか?」
クロースはすがるような目でカシュウをみつめた。
――どうかちがうといってくれ
クロースの瞳はそういっていた。
問われたカシュウの瞳もまた、悲しみをたたえていた。
――ジュヴィア、私たちの愛に、そんなにも苦しんでいたなんて・・・
なにもいえずにいることが答だった。
きっとこの古文書に書いてあることは実際にあったことなのだろう。
その場にいたすべての者の心は、真実がわかってすっきりしたというのではなく、痛みとやるせなさでいっぱいだった。
いや、ただひとりを除いて。
先ほどから頭をひねっていたグタポぺだったが、皆が苦悶しているなか、ようやく合点がいったという晴れやかな表情になり、ぽんと手を叩いて嬉しそうにいった。
「このことは我々賢者と、ジュヴィア様しか知らぬはずなのに、どうして古文書に書いてあるのかと思ったら、ワシが記録してグラスといっしょに教会の床下に隠しておいたんじゃった。きっとエンザ―ク分裂のときに、教会ごとおめえらの守るどこかの星に行ってしまったんじゃろうのう」
そういって賢者はころころと笑った。
しかし誰もそんなグタポペをつっこむ気にはなれなかった。
みな黙りこくったまま、重い空気がたちこめていた。
――ピシッ・・・
そんな静寂を破った、何かが裂けるような音。
「なんだ?今の」
「輝のほうから、聞こえたような」
「!!」
音のした方に目をやった一同は驚愕し、思わず息をのんだ。
「白龍――」
輝の胸元で鈍く光るエンブレム。
そのクリスタルに大きな亀裂ができていた。
「アーヴェントだわ」
フェアリィが叫んだ。
――いざとなれば白龍を殺してでも、結界をといてみせる。
彼はその言葉を実行に移し始めたのだ。
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