〜起〜
私の体の中には、いつもたくさんの人やモノ、言霊たちで溢れている。そこには、いくつもの起承転結と喜怒哀楽がうごめいている。現実と非現実の世界が入り混じった、とても不思議な空間だ。
私には裏庭がある。とても小さなスペースだが、数匹の猫が生活している。そこでは毎年毎年、新しい生命が誕生している。今年もまた産まれそうだ。どうやら今夜がその時らしい。静けさの中、月の光に照らされて震える産まれたての子猫の声。『ミィーミィー』というか細くもあり力強くもあるその鳴き声は、私の体に木霊していた。母猫は産まれたての我が子の体を舐め、大切に大切に慈しまれている。月光の中に浮かび上がる何とも言えない神秘的な世界。今日は満月の夜。
産まれた子猫は全部で3匹。色は茶色と黒が混ざったマーブル模様が1匹と、こげ茶色のキジトラ模様が2匹。その一匹の口の周りには、黒いブチ模様があって、まるで餡子か何かにかじりついた後のような表情をしている。『きっとこの子は食いしん坊になるだろう』毎年、そんな事を想像しながら子猫たちの成長を楽しみにしている自分がいる。
彼らはあっという間にこの界隈の人気者になった。彼らを目当てに遊びに来る人間もいるほどだ。親子連れや、女子高生。昼休みになると必ず2.3人でやってきて、自分のお弁当の残りを猫にあげているOLたち。【猫に餌を与えないでください】という貼り紙が出されているのに、なかなか守る人がいないというのが現状。人間てどうしていつもそうなのだろうか。良かれと思ってやっていることでも、自分の欲求を満たすための行為だという事に気が付かない。
でもまぁこれは、現実と非現実の世界が共存する私の中の、現実が支配する世界のほんの一部。
〜承〜
「中央図書館」。あまりにも単純でまさにどこにでもある名前だけど、それが私の名前。「猫の図書館」とか、「裏庭図書館」とか、その他いろいろな呼び名があったりもするが、基本的にはこの「中央図書館」が私の本名。何ともありきたり。でも名前なんてそんなものなのかもしれないと最近思っている。
琴子という女性がいる。私は彼女の声が好きだ。まさに琴のように美しいその声は、私を利用する人間達の安らぎになっているようにも思える。
彼女の仕事は図書館司書。私の中で働きだしてもうすぐ5年目になるだろうか。彼女はなんとなく謎に包まれていて、未だに普段の生活や自分自身のことを多くは語らない。そんな彼女がいることも、私の特長になっていて、学生の間では「図書館に行ってくる」ではなく「琴子さん所に行ってくる」という言い方が常になっているらしい。彼女はいわばアイドルのような存在であり、良き姉的な存在でもあるのだ。私にとっても誇らしい存在である。
今日も一人の学生が琴子に話し掛ける。
「こんにちは」
「こんにちは。試験はもう終わったの??」
「あっ、はい!」
「どうだった?数学」
「あはは。あははは。赤点でした。しかもその答案用紙落としちゃって」
「あらら。それで見つかったの?答案用紙」
「まぁ、一応。見つからなくてもいいのに、見つかりました。さらに、お袋にも見つかりました」
「それはそれは。でも学生時代の赤点なんて、社会に出れば関係なくなっちゃうものよ。点数よりも、どれだけ頑張っていたかが大事なんだもの。毎日図書館来て頑張っていたじゃない!」
琴子らしい励ましの言葉だ。 学生は、落ち込んでいた気持ちから少し元気を取り戻して、既に奥の勉強ルームにいる友達の元へ足早に歩いていった。
勉強ルームにも様々な人がいる。アイデアが浮かばなくなると、コツコツコとシャープペンで机を叩きだすコピーライター。彼のシャープペンの芯はしょっちゅうポキポキと折れてしまって、見ているだけで痛々しい。周りの席にいるシャープペン達も、気の毒そうな顔をしている。コピーライターは、空っぽになった頭に新しい情報を詰め込もうとも私の中をウロウロと歩き回り、片っ端から本を開いていく。読むというよりも、言葉のインスピレーションを求めているようだ。彼が席へ戻ってくる。シャープペンは、彼の思考を写し取るかのように、再びメモ用紙に言霊を書き綴りはじめた。
それから最近、たまにやってきて、何故か東京タワーの写真集や特集記事を山積みにして、たっぷりと時間をかけて見入っている女性がいる。時にその中に北海道の写真集が混ざっていたりもする。東京タワーと北海道。いったいどんなつながりがあるのか私にはまったく理解できないが、何故か彼女の表情は幸せそうでもあり淋しそうでもある。・・・・・・・・・・・・ああ、そうか。恋をしているのだきっと。でも、何に??
チリンチリンチリン。駐輪場で音がする。新入りの自転車がやってきたようだ。日曜日の午。駐輪場は、老若男女の自転車たちの井戸端会議で賑やかだ。これまでの一週間、ご主人様とどこへ行ってきたのかなどをそれぞれに口にしている。新入りの自転車は、普通のママチャリ。最近ココら辺に越してきて、ご近所散策をしているらしい。ハンドルの所には子供用の椅子が取り付けられているから、きっと子持ちなのだろう。さっきから必死に裏庭の子猫を追いかけまわしている子がきっとそうだ。側にいる女性が周りのママさん達に『よろしくお願いします』と自己紹介している。公園デビューならず、図書館デビューといったところか。人間の面白い風習だといつも思ってしまうもののひとつである。これもまた、現実が支配する世界のほんの一部。
〜転〜
今日は月曜日。大抵の図書館は定休日だ。私も例外なく、毎週月曜日になると、人間のざわめきから遠ざかり、静かな時間を過ごす。
それでも午後になると、本達が起きだし何やら会話をしだす。その会話は、新聞達が率先して話しだす政治のことだったり、各専門書が中心となった本当に専門的過ぎて他のカテゴリーの書物達にはわからないようなテーマが話題になったり、かと思えば絵本が話題を提供して、ほのぼのとした時間を過ごすこともある。ようは、カテゴリー同士の意見交換、コミュニケーションというものだ。
今日の話題は、珍しく私から提供してみた。提供というより、私の興味と言っていいのかもしれない。彼らが持つストーリーと現実世界の接点はどんなものなのだろうということを、以前からとても知りたいと思っていたから。
「皆は、人間と接してきた中でどんな事が印象に残っているのだろうか?私に話して聞かせてほしい」
「印象に残っているっていうか、どうしてなんだろうって思うことでもいい?」美容のHOW TO本が話し始めた。
「もちろんだよ。君達が経験した様々なことを話してほしい」
「そう、それなら。私の友達が急にいなくなってしまったの。まだ新しいのよ。なのに行方不明。多分、誰かが持っていってしまったのよね。ちゃんと琴子さんに断ってからでなく。どうしてそんなことするのかしら?ってずっと思っていたの」
そう、図書館ではこんなことがたまにある。悲しい話だが、人間の中にはそんな酷い事をする人もいるということだ。何故なんだろう。私はまったく理解出来ない。
「人間て、僕達本を生んでくれる神様みたいなものなのに、そうじゃない人もいるってことだろ?僕の中のストーリーに登場する人間も悪い奴が多いよ」と、サスペンス小説本つぶやく。
「そうだな、平気で俺達を傷つける。ページの端は折るしなぁ、ペンで書き込む奴もいる!自分の所有しているものならまだしも、一応俺達は『皆の本』なんだしな」そう言ったのは学習参考書。
「そんなことならワシにもあるぞ。マジックでグリグリとマークを残して、『ココがオレんち』なんて書いていく小僧がいたぞ!けしからん!!」日本地図は豪語する。
「そうそう、落書きっていえば、私にはこんな経験があるの」そういって話し始めたのはエッセイ集。
「もう随分前のことになるけど、私を借りてくれた女の子がいたんだけど、その子が私の中の文字をいくつか選んで丸で囲んでいくのよ。ストーリーはほとんど読んでいなかったみたいね。その証拠に次の日すぐに返却されたの。それからね、2・3日して。今度は彼女と同じ年位の男の子が私を借りてくれたの」
「ほほぅ、それで?」本達がエッセイ集の話に興味をしめす。
「彼もね、私をパラパラとめくるだけで、内容なんてまるでムシなのよ。まったく失礼しちゃうって思いながら彼の顔をじっと見ていたら、急に『おやっ?』って顔をするのよ。彼女が丸で囲んだ文字を見つけたのよね。確か(や)と(し)だったかな?それに気がついた彼は、今までパラパラとしか見ていなかったページをもう一度見直し始めたのね。そして彼は彼女からのメッセージをようやく受け取ることが出来たの。」
「彼女からのメッセージは何だったの?」誰もが口々につぶやく。
「く・や・し・い・け・ど・あ・な・た・が・す・き」
エッセイ集は一文字一文字づつ、丁寧に言葉を発して言った。
「彼女から彼への愛のメッセージってやつだね」私はその後の二人はどうなったのかと思いを巡らしていた。エッセイ集は話を続ける。
「本を使って思いを伝えるなんて結構あったりするけど、彼女が私を選んだ理由が粋だなって思って。私の内容って恋愛とはまったく関係がないけれど、タイトルが彼女に私を選ばせたのね。」
「そうか、君の名前(タイトル)は、ズバリ『kokuhaku』」推理小説本が、謎は解けた!とばかりに芝居かかった言い方をした。
「ねぇねぇ、それから二人はどうなったの???」それぞれの結末を想像しながら、皆、エッセイ集の言葉を待った。
「二人はね、それからしばらくして一緒に来たわよ。そして、私をもう一度手にとって、彼女が書いた落書きを消しゴムで消していったの。『いたずら書きしてゴメンネ』と二人で幸せそうに言いながら」
「良かった。ハッピーエンドね」
「そう、とりあえずは。」
「続きがあるのかい?」
「そう、続きがあるの。聞く?」
「もちろん」本達は口々に言った。
「彼らはそれから何度も二人で一緒にココに来たわ。高校は別だったみたいね。二人で同じ大学へ行こうと勉強しに来ていた。裏庭で猫と遊んだりもしていたわ。でも、二人が特に贔屓にしていたのは、写真集のコーナーだったみたい。」
「うーん。高校生のカップルか、何組かいるけどどれかな?」ロバートメイプルソープ写真集が言う。
「そして二人は、同じ大学へ入学したらしいわ。何でも芸術系の大学らしい。学校が忙しかったのかな、それからはあまりココへはこなくなって。しばらくは私も彼らのことなんて忘れちゃってたの。でもある日、私を読んで泣いている人がいた。大粒の涙を流しながらね。あれから随分と年月が経っていたけど私には分かったの。彼だって。彼女からのkokuhakuを受け取った彼だって。」
「彼の側に彼女はいなかったの?」写真集コーナーの花特集の本が聞いた。
「ええ。いなかった」
「そうか、やっぱり」再び写真集コーナーからつぶやく声がした。
「やっぱりって?」
「君を見て泣いていた人、それはきっと僕を生んでくれたご主人様だ」そういったのは、地元の祭りを撮り下ろした写真集。表3には、"寄贈:彼女と僕とを結び付けてくれた図書館へ"とマジックで書いてあった。そして本をめくった一番初めのページには、"永遠に26歳のままの君へ捧げる"とだけ印刷されている。
風が私のガラス窓をカタカタと鳴らす。なんとなく私にはそれが何を意味するか解ってしまった。現実が支配するもっとも悲しくもっとも残酷な世界を見たような気がした。風はその夜、一晩中窓をカタカタと鳴らしていた。時に彼の涙のような大粒の雨をもたらしながら。
〜結〜
今日もまた平凡な一日が始まろうとしている。新しい何かを探しにやってくる人、古い時代の記録から何かに触れてみたいと思っている人。そして、眠りの世界に身をゆだねようとする人。様々な人間たちが私という箱の中で時を刻む。
今日は新しい仲間がやって来るという。これもまた、平凡な日常のワンセンテンス。その、新しい仲間のカテゴリーは小説ということだ。先住する書物達は、どんな性格の小説かということが、いつものごとく気になっているらしい。それもそのはず。どれだけの教養や情報、表現力があるかなどが問われるカテゴリー同士の意見交換の時、新入りの性格・タイプによって、そのカテゴリーの許容範囲に影響してくるからだ。仲間が多ければ多いほど意見を述べやすいし、情報も豊富というわけなのだ。
琴子が同僚とヒソヒソ話しをしているのを、天井の反響を利用して聞いてみる。琴子の話によれば、その子は、インターネットの世界から生まれた小説で、その小説を生み出した人間はどうやら一人ではないらしい。インターネット上のあるグループで、全国各地から集まった人間達で執筆されたものだという。彼らが綴った言葉は、インターネットのホームページというものの中で発表されていたものらしい。ひとりひとりが持つホームページ、すなわち家のようなものをハシゴして、ストーリーを追っていくということらしい。
インターネットとか、ホームページとか、最近ではごくあたりまえの言葉だ。私の中には、そんなカテゴリーの本もずいぶんと増え、私自身も取り残されないようにと勉強中というわけだ。私の中に存在する知識だからといって、すべてを覚えていられるわけもないということなのである。
そういえば勉強ルームの中にも3台ほどのパソコンが新しく設置されるらしい。出版物こそが本の命と思っている私にとっては、敵対心を抱かずにはいられなかった。そのうち印刷されるものなんてすべてなくなってしまうのかもしれない。そうしたら、私というものは不必要になってしまうのかもしれない。そう思っていたから。しかし、まだしばらくは平気なようだ。今日入ってくる新入りのように、結局は印刷されてココに並ぶのだからね。
琴子と同僚の話では、そのストーリーの主人公は人間ではないという。モノが主人公だそうだ。人間とやらの考えることは面白い。とすると、その主人公は自転車であったりシャープペンであったり、イスやテーブル、雨や風、パソコンや携帯電話でもありうるのか。そうそう、私のように図書館であってもいいわけだ。ははは。考えていくとキリがないな。
しばらくの間私は、主人公になりうるあらゆるものを想像し、それを楽しんでいた。そして、ふっと気が付いた。そうか、そうなんだな。本の中に納められたストーリーそのものもまた、命ある主人公の一つであることにかわりはないのだ。それと同時に、空想の世界だけから生まれたストーリーも、実は現実世界の物語の一部となっているのかもしれないのだな。人間の世界だけが命ある現実で、本の世界は活字だけの非現実だという考えはナンセンスなのかもしれない。エッセイ集が言っていたあの話も、活字が存在しなければ生まれなかった物語なのだから。そう思いながら私は、裏庭の子猫たちが3匹仲良くじゃれ合う風景を、いつものように眺めていた。
さて、次のページをめくると、そこにはどんな世界があるのだろうか。