俺の代わりに、いつも彼女のそばにいて見守っていておくれ。
幸せな時も、辛いときも、彼女がどんなふうに変わっても
この故郷があることを、忘れないように・・・・・
薄ぼんやりした意識から、あたしを目覚めさせたのは、そんな俊夫さんの願いだった。それはいつもあたしたちがしている、心の声での呼びかけ。
あたしは俊夫さんの手によってこの世に生を受け、そして同時に使命を与えられた。
すべての物には生まれてきた理由があり、存在する意味がある。だけどあたしは俊夫さんの手の中で、もうひとつの生まれてきた意味を知った。
「これからお前は、優花のところへいくんだ。彼女は俺の幼馴染で、とても優しい娘なんだが、去年ある事故があって、28年住んでいたこの村からでていった。それからは手紙も電話もよこさない。いつも俺の一方通行なんだ。心配だけど俺は今ペンションを経営していてここを離れるわけにはいかない。お前はこのペンションMiracleCloverの売り物のひとつになるはずの、手作り携帯ストラップ第一号だ。俺が糸から染めて組みあげた。森にある草木で染めた糸、小枝を削ってつくったすずらんの花飾り、そしてペンションのネーム入りプレートは、お前だけ特別仕様だ。他のはただのクローバーだが、お前だけ四葉のクローバーだ。どうか優花に幸せをもたらしてやってくれ」
そう心であたしに話しかける俊夫さんは、自分の顔の前にあたしをぶら下げて、しげしげとあたしをみつめ、満足そうな笑みをうかべた。
そしてあたしは俊夫さんの書いた手紙と一緒に封筒に入れられ、俊夫さんの願いとともに優花ちゃんの元へ向かうことになった。
ゆさぶられたり、押しつぶされたりと、散々な目にあいながらも、なんとか破損することなく優花ちゃん家のポストまでこられたのは、ひとえに俊夫さんがエアキャップでたしを包んでおいてくれたからだと思う。
あたしは始終息苦しくて、はやく封筒からでたかったけど、やっとのことで優花ちゃんの所についた安堵感で、いつのまにか意識が遠のいて寝てしまっていたらしく、いきなりビリビリと封筒を手荒に破く音でびっくりして目がさめた。
──優花ちゃんだ。
優花ちゃん宛ての手紙を開封している、まさにこの人が優花ちゃんなんだ。
あたしは大きな音に驚いたせいなのか、それともいよいよご主人様と出会える期待感からなのか、激しくドキドキして余計に息苦しくなった。
封を切った優花ちゃんは、まず俊夫さんの手紙を読んでいるのだろう。エアキャップに包まれたままのあたしをダイニングテーブルの上に置いて、しばらく立ち尽くしていた。
あたしはエアキャップ越しに、ぼんやりとしか優花ちゃんの姿をみることができず、とてももどかしかったけど、きっと俊夫さんからの手紙には、
あたしを送った意味なども書いてあるだろうし、ここはひとつゆっくり心を落ち着けて、対面を待とう・・・・・って、あの、優花ちゃん・・?
エアキャップが邪魔してちゃんとは見えなかったけど、俊夫さんが書いた手紙が使命をおえ、くしゃくしゃに丸めて捨てられたのがわかった。
まさかあたしも捨てられちゃうんじゃ・・・・
あたしは今まで感じたことのない恐怖と寂しさを感じた。せっかくあの優しい俊夫さんからもらった使命をあたしは果たせないままこの世から消えてしまうの?
優花ちゃんはあたしを手にとるとエアキャップも外さないまま、あたしを暗い場所へと放り込んだ。
──俊夫さん、ごめんなさい・・・・
あたしは自分の無力さを痛感した。こんな人生って悲しすぎ。携帯ストラップって、携帯されるもんじゃないの?
携帯電話にすらまだお目にかかっていないのに、いったいあたしは何のために生まれてきたのよ。
悲しいからって涙がでたりしないけど、あたしの心は大雨洪水警報発令中よ。
暗闇の中で自分の運命を呪いながら、あたしは泣き疲れて自暴自棄になっていった。
どのくらい泣いていたのだろう。1日なのか、一週間なのかわからない。もうどうなろうとしったこっちゃないわ、なんて、あたしが開き直って暗闇でフテ寝していると、急に目の前が明るくなった。
そしてあたしは優花ちゃんらしき人の手によって、エアキャップから取り出された。
やっと視界がひらけて新鮮な空気に触れることができたのだ。
そのときの喜びときたら、もしあたしに羽があったら一秒で100万回このワンルームの周りを飛び回っちゃいたい気分だった。
「はじめまして、優花ちゃん」
あたしの声なんて聞こえるはずもないけど、あたしは心の声でそう挨拶した。
はじめて見る優花ちゃんは、肩よりすこし長めの髪を、ゴムでひとつに束ねていた。肌の色は白くて顔は面長。ひいき目かもしれないけど、美人っていえると思う。
ほっそりした体で、がっちり体系の俊夫さんとは対照的。俊夫さんはどっちかというと熊系、優花ちゃんは百合の花みたい。
だけどどうやら性格的には俊夫さんのほうが繊細で、優花ちゃんは大雑把なとこがかなりありそう。
優花ちゃんがしげしげとあたしを眺めている間、あらためて部屋の中を見回してみたけど、女のコの部屋ってこんなもんなのかな。
テーブルの上にはコンビニで買ってきたサラダの容器がのっているけど、一緒についてるドレッシングのパックから、出し残したドッレッシングが漏れて、こぼれたまんまだし、その隣には雑誌が積み上げられていてほとんどテーブルの使命をまっとうできてない。
小さな台所のシンクにはいつからあるのか、コーヒーカップやグラスがまだ洗われもせずぷかぷか洗い桶に浮いてるけど、かなりたまり水が汚れている。
こんなせまい部屋ではひとり暮らししかできないだろうし、やっぱりあの食器は全部優花ちゃんが使ったんだろうなぁ、といってもコップばかりだけど。
くずかごの外にはみだしたごみ。みるとレトルト食品や即席麺などの容器ばかり。優花ちゃん、ちゃんとご飯食べてないから、やせてるのかなぁ。
優花ちゃんはそんなあたしをテーブルの上に置き、自分もひとつしかない椅子に腰掛けて、なにやら四角い箱から冊子をとりだし熱心に読み始めた。
俊夫さんの手紙はあっさり捨てちゃったのに、いったい何をそんなに熱心に読んでるんだろう。
前半部分だけを読み終えて、優花ちゃんはまたも四角い箱から、ちいさくまとめられたコードや、ビニールに包まれた部品らしきものを取り出して、簡単につないだ。
ときどき冊子をみながらひとりで首をかしげたり、頷いたりしている。いったい何をしているんだろう。
あたしって、ほんと何もわからないことだらけ。この世に生まれてわかってることといったら自分の使命だけ。
優花ちゃんが、どうして俊夫さんの手紙を捨てたのか、なぜすぐにあたしのエアキャップをはずしてくれなかったのか、そして俊夫さんに電話も手紙も一切しなくなった理由は、いったいなんなのかな。そういえば優花ちゃんが俊夫さんのいた村をある事故が原因で去ったっていうのだって、あたしにはわからない。
悶々と考えているあたしの目の前に、突然ぴかぴか光るヤツが現れた。これって・・・・・
「はじめましてー。あたしN8021isっていいます。はちまるにーいちだから、まるちゃんって呼んでね。よろしくぅ〜」
携帯電話だ。しかも軽そう〜。
「あ、はじめまして。あたしは携帯ストラップです。名前はまだないんだけど・・・」
あたしたちは優花ちゃんの手によってひとつにくっつけられた。なるほど、優花ちゃんは、今まで携帯電話をもっていなかったか買い換えたかして、あたしを新しい携帯電話にくっつけるために、一時的に引き出しの中に保管してたんだ。
「え、名前ないの〜?まるちゃんみたいに本名もないの?かわってるねぇ」
それにしても初対面でこの電話、ズケズケと物いうコだなぁ。みると確かにカメラもついててなかなか賢そうだし、見た目も俊夫さんとこのペンションのまわりに咲いてたラベンダーみたいな色で綺麗なんだけど、仲良くやっていけるかしら。ここはひとつ、この家にきた先輩としてきつくたしなめておくべきかしら。
などとあたしが考えているあいだも、まるちゃんはひとりでしゃべっている。
「ねね、んじゃまるちゃんが名前つけてあげよっか。んとね、んとね、お花がふたーつついてるからハナハナで、はなちゃん。どう?」
「はなちゃん・・・?」
悪くない・・・ような気がした。うん、ちょっといいかも。
「決定〜はなちゃん、まるちゃんと仲良くしてね」
いいようにのせられて、先輩風ふかすひまもなく、こうしてあたしとまるちゃんのコンビは誕生した。
その夜、優花ちゃんは、まるちゃんから2人の人に電話をかけ、そして一通のメールを送った。
ひとり目は声の若い男の人だった。
─はい、西田です。
「有史?私よ」
─姉貴?なに、携帯買ったの?
「まぁね。俊夫のやつが電話もないのにペンションのお土産に売り出すとかいって、ストラップつくって送りつけてきてさ」
─へぇ、俊夫ちゃんとこ、ペンションうまくいってんだ。
「じゃないの?それともうまくいってなくてストラップ屋でもやるつもりなのかも」
─ははは。俊夫ちゃんは器用だし働き者だから、なにやったって食うには困らない人だからなぁ。
「そうね、あいつなら何やってもうまくいきそうな気はするわねぇ」
─んで、何よ。ストラップのために電話買ったっての?姉貴もわけわかんねーな。
そこで有史と呼ばれたその人は、けたけたとおかしそうに笑った。
「ちがうわよ。携帯はないと最近不便だから買おうと思ってたの。ウチ電話もないしなんかあったとき困るでしょ」
─ハイハイ、そんな必死に否定しなくったってさ。でも安心したよ。俊夫さんとねぇちゃん、まだ続いてたんだな。あんなことがあって・・・
有史くんの声にかぶせるようにして、優花ちゃんがちょっと声のトーンをあげてまくしたてはじめた。
「あのねぇ、私が自分のお金で何買ったってあんたに関係ないでしょ。自分だってベンツだかシトロエンだかわけのわかんない高級自転車買って、それを部屋にまで持ち込んで日がな一日磨き上げたりしてるくせに、それにいちいち私が口出した?あんなことがあってあんたも辛いだろうと思って、なにもいわずにす好きにさせてるこの姉の心がわかんないっての?」
─ちょ、ちょっと待ってよ姉貴。今俺の自転車のことなんてどうでもいいっしょ?俺はね、あんなことがあったからこそ、裏切らない、そして死なない、それでいていつも一緒にいられる存在が欲しかったんだよ。だから簡単に壊れるようじゃ困るんだ。あいつはね、もう俺の一部なんだよ。それとシトロエンってなんだよ、それ・・・・
「ああもう、うるさいわね。あんたと話すといつもこうよ。とりあえず電話を買いました。電話番号だけ言っておこうとおもってかけたの。用件はこれでおしまい。着信画面に番号でてるでしょ?それ登録しといてね。それじゃ、元気でやんなさいよ。」
一方的にそこまでしゃべると、優花ちゃんはギュッと力をいれて、通話終了のキーを押した。
「あんなに力いれないと、あんた通話終了できないわけ?」
あたしがおずおずと小声で尋ねると、携帯電話のまるちゃんはひとり納得したような顔をして頷いていた。
「気持ちでしょ、がちゃんって、電話の受話器置く感覚を表現したかったのよ。まるちゃんを二つ折りにするときも、ちょっと乱暴にぱたんって音たてて閉じたし」
「優花ちゃん、ちと怒ってるのかな?」
「どうもそんな感じっぽいねぇ」
有史弟との電話が終わったあと、優花ちゃんはあたしとまるちゃんをテーブルの上に置いて、一旦冷蔵庫のほうへ行き、中から大きめのミネラルウォーターの入った水を取り出してそのままコップにもつがずに立ったままぐいぐいと飲んだ。
そしてペットボトルの蓋をしめながら、軽く深呼吸をし、優花ちゃんは一瞬なにかを考えているのか動作をとめた。
ほんの2、3秒そうしていた優花ちゃんは、再びテーブルの側にもどり、あたしのついたまるちゃんを手にとった。
ピッピッというキーの操作音が途切れ、優花ちゃんはまるちゃんを耳にあてた。
「今、呼び出し中よ」
こっそりまるちゃんが、あたしに耳打ちしてくれた。
「なるほど、さっき弟くんにかけた時もへんな音が鳴ってたね」
「うん、これがあまり長いと、留守番電話っていうのに切り替えたりできるんだよ」
「へぇ〜、まるちゃんって自分でなんかできるんだ。いいね」
うらやましさと、感動があたしの中に生まれた。その時・・・・
─はい。
相手先が電話に出た。ちょっと低い男の人の声だ。
「あ、あの、西田です」
─ああ!ユカちゃんか。どう?新しい携帯電話。もう操作とか覚えた?
「えと・・・・まだです。やっと電話のかけ方がわかったところ。」
なんだか優花ちゃん、さっき弟くんと話していたときと声のトーンがちがうんですけど・・・・気のせい?
あたしの心を読んだのか、まるちゃんがあたしにまた耳打ちしてきた。
「なんか優花ちゃん、緊張してるみたいよ〜。だってあたしを握ってる手が、じわーっと汗ばんでるもん」
「おお〜、まるちゃん。そんなことまでわかるんだ。でもこのひと誰のかなぁ?」
まるちゃんはそこでうーんと唸って、考え込んだ後こういった。
「ズバリ、相手の男性の年齢は32才、優花ちゃんより4つ年上ね。名前は高瀬亮太、都内の大手企業に勤める会社員。どうやら優花ちゃんとは出張先の北海道で知り合ったみたいね」
「うわぁ、まるちゃん、なんで?声聞いただけでそんなことわかっちゃうの?」
驚くあたしに、まるちゃんはニンマリいたずらっこのように笑ってみせた。
「ちがうよ。ちょこちょこっとね、ホストコンピューターまでアクセスして、個人情報と過去のメール送信履歴や通話履歴みてきたの」
「ちよこちょこって、すごいねぇまるちゃん。あたしなんて自分で動くことさえできないのに、なんか不公平かも〜」
軽い落ち込みを覚えたあたしと、得意げなまるちゃんのそばで、優花ちゃんは風間さんとお話中。
─でも、よかった。ユカちゃんが電話を持ってくれると、でられなかったときなんか、僕のほうからかけなおせるしね。
「ええ、高瀬さんお仕事忙しいから、いつもあたしがかけても留守電のこと多いし、ウチ電話ないからかえって気をつかわせちゃってたし、いままで不便かけてごめんなさい」
─ははは、そんなこと気にしなくていいんだよ。それにこれからは、メールだってやりとりできるだろう?電話会社も同じにしたし、機種もあわせた。カメラもついているから、普段あまりあえなくても、写真で少しは寂しさもまぎれるさ。
「そうね、メールの送り方とか、ちょっとがんばって勉強なくっちゃ」
優花ちゃんはそういうと、にっこり微笑んだ。あたしがみるはじめての優花ちゃんの笑顔。そうか、優花ちゃんて、こんなふうに微笑うんだ。
なんだか、甘いふわふわのお菓子みたいな笑顔。
あたしがほんのり和んでいる間に、ふたりの会話は今日一緒に食事をした店の話になり、そしてどちらからともなく電話を終える雰囲気になった。
─じゃあ、また来週にはいったら、連絡するよ。とりあえずこの後僕からメールを送るから、一度返信してみて。そのときに僕のメールアドレスを登録しておくのをわすれないで。
「ええ、わかった。やってみます」
─またね、おやすみ。
「おやすみなさい」
ゆっくりと優花ちゃんはそういうと、今度は静かに、ちょっぴり名残惜しそうに、何度か携帯を耳にあてなおして、たしかに通話が切れたのを確認してから、そっとまるちゃんの通話終了キーを押した。
ほどなくして、まだ優花ちゃんがボーっと会話の余韻にひたっているのをよそに、まるちゃんがピロピロピロって音を鳴らした。
あわてて優花ちゃんが、まるちゃんを開いてキーを押す。
「ねね、今の音、なに?」
今度はあたしがまるちゃんに耳打ちする。
「今のはね、メール着信音っていって、どこかからメールがとどきましたよって、優花ちゃんに知らせたのよ」
これってつくづく不公平かも。あたしの叫びなんて優花ちゃんにはとどかないのに、まるちゃんはそんなことまで・・・・ああ、考えるのやめとこ。
「んで、どこからきたメール?」
軽いめまいを覚えながら、適当にあたしがそういうと、まるちゃんはメールの内容を読み上げた。
「送信元は高瀬亮太、タイトル、『言い忘れ』。本文、『愛してるよ』」
「ええ〜〜?さっきの高瀬さんてひと、優花ちゃんの恋人なわけ?」
あたしはてっきり俊夫さんが優花ちゃんの恋人だと思っていたけど、あたしのはやとちりだったの?うわ・・・・
次から次へとやってくるショックの嵐にあたしは身もだえしながら、まるちゃんにぶらさがったまま体をくねらせた。
「さぁ?恋人じゃないとおもうけどねぇ。あ、でもまって」
まるちゃんはそういうと、またしばらく黙り込んで、今度は優花ちゃんからの返信メールを読み上げた。
「発信元、西田優花、タイトル、『Re.言い忘れ』。本文、『私もです・・・・』」
それを聞いて、あたしはがっくりうなだれた。
「ほら〜、やっぱしじゃん。優花ちゃんと高瀬さんは恋人同士なんだよ。ああ〜俊夫さんの片思いなのかなぁ」
なんだか俊夫さんの思いがこめられているあたしとしては、全身の力がぬけて、激しい虚脱感に襲われているんですけど。
「うーん・・・・やっぱりそうなのかなぁ」
まるちゃんは、なんだか怪訝そうな表情で納得がいかないっていう雰囲気。
「なんで?そういえばまるちゃん、なんで優花ちゃんと高瀬さんが恋人同士じゃないと思ったの?」
あたしの問いかけに、まるちゃんはちょっと口をとがらせてこたえた。
「だって高瀬さん、家族割引コース申し込んでて、奥さんと子供いるよ?だからまるちゃん、恋人同士はおかしいと思ったけど、ちがうのかなぁ?」
「なんですってー?」
なんだかよくわかんなくなってきたけど、まるちゃんのいうことも一理あるような気がする。奥さんいるってことは、結婚してるわけで、結婚してるってことは、愛し合ってるからっていうのは、人間の世界じゃ通用しないのかなぁ?それとも・・・・
あたしになかに芽生えた悪い想像を、まるちゃんは言葉にしてあたしに気づかせた。
「優花ちゃん、このこと、知らないんじゃない?」
あたしとまるちゃんは、思わず顔を見合わせた。
あたしが優花ちゃんの家にきて、もう3ヶ月がたとうとしていた。この3ヶ月で、随分いろんなことがわかった。
優花ちゃんはいつもあたしたちを肌身離さず持ち歩いていたし、仕事中でも音を消して、自分の事務机の引き出しに忍ばせては、時々トイレでメールチェックしたりメールを送ったりして、まるちゃんも忙しそうだった。
メールの相手はほとんどが高瀬さんで、ときたま一方的に送信元がわからないハートマークや絵文字を多用したURLつきのメールが届いた。
まるちゃんは電源が入っていてインターネットというのに接続されている間は、好きなサイトに飛んでいってあたしにいろんなことを教えてくれた。
送信元不明のメールは、迷惑メールといって結構社会的にニュースになるほど問題視されていて、ホストも対応に困っていることや、優花ちゃんのいつももっているバッグはなんとかいう高級ブランド品を模したものを、高瀬さんが格安でインターネットオークションで購入してプレゼントしたものだとか、とにかくまるちゃんの知識と情報量は半端じゃなかった。
優花ちゃんの勤務先は、ダンボール箱の表面に描かれているデザインを考えて印刷する小さな会社だった。優花ちゃんはその会社で、インクにまみれることもあれば、机にかじりついて、デザインの配色を考えることもあり、かなり忙しく働いているみたいだったけど、職場の人の風当たりは強いようだった。
「やっぱり女だと力仕事は無理ですかねぇ?」
「そろそろ玉の輿に乗るのもむずかしくなってきますよ?」
「イマイチ、あんたの考えるデザインは野暮ったいねぇ。もう少し勉強してくれたまえよ?」
机のなかで聞いてるあたしたちにも聞こえるような声で、嫌味っぽくこんなこと言われている優花ちゃん。
いったいどんな気持ちでいるだろう。それを思うとあたしもまるちゃんも、ちくんと胸が痛んだ。
息詰るようなこの職場で、高瀬さんとのメールのやりとりだけが、唯一優花ちゃんの心の安らぎなんだろうな。
昨日だって、優花ちゃんと、向かいのデスクの人との間でトラブルがあって、なにか大事な書類が紛失しただの確かに渡しただの、コピーをとっておけばよかっただので中年のおっさんに優花ちゃんは一方的に責められて、本当ならその時間はもう退社時間だったけど、書類が見つかるまで帰るなといわれ、優花ちゃんは2時間残業させられた。しかも自分のミスだからとタイムカードを切った後の完全なサービス残業。
結局書類はみつからず、どうやら捨ててしまったんだろうってことで上司もあきらめたらしく、ようやく優花ちゃんが会社をでたのはもう夜9:00をまわっていた。
その夜は一週間ぶりに高瀬さんに会える日だった。優花ちゃんは今日は朝からおめかしで、いつもとちがう色の口紅と、高瀬さんからプレゼントされた香水の小瓶をポーチにいれていた。
優花ちゃんは、普段あまり片付け物をしないのだけど、どういうわけか高瀬さんとデートする日は、朝はやく起きて部屋を掃除する。
だからって高瀬さんが部屋に来たことはないのだけど、きっとあたしが思うに、高瀬さんとのデートの後の夢見ごこちを、散らかった部屋に戻ることでさっさと覚ましてしまいたくないからなのかなぁと思う。時々高瀬さんが買ってくれる花束だって、やっぱ散らかった部屋には似合わないもの。
会社をでた優花ちゃんは、まず高瀬さんにまるちゃんから電話をいれた。
「ごめんなさい、優花です。すごくお待たせしてごめんなさい。あの、今会社をでたところで・・・・」
半分なきだしそうになりながら、優花ちゃんがあわててそういうのを、電話のむこうで高瀬さんは優しくいなした。
─仕事、お疲れさま。いつも僕が待たせているんだし、待たせている辛さも、よくわかってるよ。だから慌てなくていい、ゆっくりおいで。僕はちゃんと待ってるから。
「・・・・はい。じゃ、なるべくいそぎます。ありがとう・・・・」
そういってまるちゃんをぱたんと閉じた優花ちゃんの目は、涙でいっぱいだった。
声を出して泣いたりはしないけど、下唇をギュッとかみしめて今日の辛い残業をようやっと終えた優花ちゃんが、高瀬さんの優しい声を聞いただけで、泣き出しそうになる気持ち。 あたしにも、それがひしひしと伝わってきた。
家ではあいかわらずペットボトルの水を、立ったまま飲んだり、たまに使うコップをいつまでも洗わないでそのままにしたりする、ちょっと大雑把なとことのある優花ちゃんだけど、高瀬さんの前ではすごく女らしいというか、かわいいんだなぁ。これで俊夫さんのことがなくて、高瀬さんに奥さんがいなきゃ、あたしもふたりの仲を応援してあげたくなっちゃう。
そもそもあたしは俊夫さんに産んでもらって、使命まであたえてもらったけれど、今は優花ちゃんがご主人様で、やっぱ優花ちゃんの幸せを望まずにはいられないもの。
ここ数ヶ月優花ちゃんと過ごしてきて、彼女が一番幸せそうに微笑うのは高瀬さんといるとき。あとはほとんど誰とも話さず、ひとり無表情なことが多い。
職場では上司に怒鳴られ、仲間からはのけものにされて、それでなくてもなにか辛いことがあって故郷を離れて都会に出てきているのに、どこにいっても優花ちゃんが心から安らげる場所なんてないみたい。
高瀬さんとあわない日は、仕事で疲れた重い足取りで電車に乗り込み、駅からマンションまでに一軒だけあるいつものコンビニエンスストアで、夕食を買う。
家に帰って、見もしないテレビをつけて、笑うわけでもないのにバラエティ番組にいつもチャンネルをあわせる。
電子レンジでごはんを暖めている間に、洗濯機をまわして、軽くお風呂を掃除して、お湯をためる。
そしてレンジの音に呼ばれて、夕食をとりながら、また片手でメールチェック。
お風呂にはいるときも、いつでもまるちゃんが着信をお知らせしてもとれるように、お風呂の扉はすこし開いている。
疲れて重い体を、優花ちゃんが窮屈そうにせまいお風呂に沈めて大きなためいきをつくのを、あたしたちは毎晩目にする。
ベッドに入ってからは、必ず毎晩高瀬さんにおやすみなさいのメール。
ときには部屋の電気を落としたあと、まるちゃんを開いて高瀬さんの写真を呼び出し、じっとみつめることもある。
そして、ちょっと季節的には薄いお布団を頭からかぶって、優花ちゃんは眠りにつく。
毎日、毎日、そのくりかえし。
優花ちゃん、俊夫さんのいる北海道へ帰ればいいのに、ってあたしは思うんだけど、やっぱ帰りたくない理由があるんだろうなぁ。
「やぁ、おつかれさま。先に飲ませてもらってるよ」
待ち合わせの時間に2時間以上遅れて店にはいってきた優花ちゃんをみつけ、高瀬さんは左手でお酒の入ったグラスをかるく持ち上げそう言った。
「本当にごめんなさい。あ、あたしウーロン杯で」
後ろに立っているウエイターに気づいて、優花ちゃんは椅子に腰掛けながら言った。
「高瀬さんは、またバーボンですか?」
「うん、好きだからね」
そう言ってにっこり嬉しそうに微笑む高瀬さん。会社にいるおっさんたちとは全然ちがう、まさに癒しの笑顔。
あたしは優花ちゃんのとなりの椅子に置かれた、高瀬さんプレゼントのカバンの横ポッケから、ぶらーんとぶらさがりながらふたりの様子を見ている。
こうしてみていると、やっぱり高瀬さんって男前。妻がいながら優花ちゃんとどういうつもりでつきあっているのかわからないけど、それさえ知らなきゃ、ホント素敵な人なんだな。
優花ちゃんの飲み物がきて、ふたりはひととおりのオーダーをすませてから、近況報告を兼ねたおしゃべりを楽しんだ。
毎日のように電話で話しているふたりだけど、どうも高瀬さんと優花ちゃんとでは通話時間の満足度に差があるみたいで、いつも優花ちゃんは、電話を切るとき話したりなさそう。
だから週に一度、こうやってデートしているときの優花ちゃんは、いつもよりずっとおしゃべりになる。
「ホント、いやになっちゃう。うちの会社の連中ときたら、ことあるごとに『田舎に帰ればいいのに』っていうの。それができないからここにいるんだっていってやりたいわ」
お酒がはいったせいか、日ごろたまったストレスのせいなのか、優花ちゃんの普段きけない本音がポロポロ。
そんな優花ちゃんの愚痴を、ちっとも嫌な顔せずに、むしろにこにこしながら聞いている高瀬さん、大人なんだなぁ。
と、そんなふたりの元へ、ひとりの女性が近づいてきた。
「あら、高瀬さん、こちらの女性、どなた?」
その女性はいかにも男好きのしそうな人だった。優花ちゃんよりもちょっと若い感じで、胸が大きく開いたカットソーを着ていて、ひときわそこが目立っていた。
あたしとまるちゃんは、そこで同時にヤバイ雰囲気を感じた。
「ねぇはなちゃん、これって高瀬さんの奥さん?」
まるちゃんがおそるおそるあたしに尋ねる。
「奥さんにしちゃ、若くない?なんか高瀬さんのことにらみつけてるけど・・・・怖いねぇ、顔」
「ウン」
あたしたちは、ちょっと身をすくめた。まるちゃんも、カバンの横ポッケにちょびっとだけもぐりこんだ。
「サエちゃん・・・・」
高瀬さんは、面食らった表情で、その女性をそう呼んだまま、黙り込んだ。
「あら、名前は覚えていてくれたのね。別れてまだ2週間ですものね、当然かしら?」
サエと呼ばれたその女性は、軽蔑するような眼差しを高瀬さんに向け、そして今度は優花ちゃんにむかって口を開いた。
「あんたが、次の遊びの女ね。この人はね、自分はちゃっかり奥さんと子供までいるくせに、女の寂しさにつけこんで自分に夢中にさせる遊びが好きな男よ」
「違う!」
サエさんの話を、高瀬さんは制した。
「違うよ、決して浮ついた遊び心じゃない。僕は、真剣に愛し合えると思ったコとしかつきあってはいない。金を貢がせたり、いいように利用したこともない。もちろん妻も愛している。だけど君たちのことだって同じように愛してきたつもりだ」
高瀬さんは真剣な表情で、優花ちゃんとサエさんをかわるがわるに見つめた。
優花ちゃんは、半ば呆然とした顔で、高瀬さんのほうを見たまま、微動だにしなかった。
「ええ、あなたにとってはそれが正しいんでしょうよ。でもね、私だってあなたのこと真剣に愛して、結婚まで考えたわ。あなたは、最後の最後で、つないでいた手を振り払って裏切ったのよ。自分が一番楽になれる方法で、私を切り捨てたのよ」
サエさんはだんだん感情的になって、声が大きくなってきた。店内の人も、何事があったのかと、こちらをちらちら見ている。
それに気づいたサエさんは、優花ちゃんに再び視線をもどして、なるべく平静を装うかのように言った。
「この人はね、結婚さえ望まなきゃ、ずっとこうしてデートしてくれるのよ。一週間に一度だけだけど、優しくだってしてくれる。メールもマメにくれるし、ブランド品もプレゼントしてくれる。だからついだまされちゃうけど、気をつけなさい。決して本気になって結婚を望んだり、独り占めしようとしちゃダメなのよ。あなたも私みたいになりたくなければ、傷の浅いうちに別れたほうが無難よ。決死の覚悟で結婚してほしいって言ったとたん、ごめん僕結婚しているんだなんて、いわれたくないでしょう?」
それだけいうと、サエさんは、また高瀬さんをギッとにらみつけたあと、きびすをかえして店から出て行った。
あとに残された高瀬さんと優花ちゃんは、しばらく黙り込んで、ひとことも口をきかなかった。
あたしとまるちゃんは、とうとう優花ちゃんが事実を知ってしまったことで、どう感じているのか、息を呑んで優花ちゃんの言葉を待った。
重い沈黙のあと、意を決したように口を開いたのは、高瀬さんだった。
「不愉快な思いさせて、ごめん。だけど僕の気持ちは嘘じゃないよ。わかって・・・・」
高瀬さんの言葉に、今までボーッとしていた優花ちゃんが、不意に現実にもどった。
「バカにしないで!」
そういうと優花ちゃんは、テーブルの上にあった大皿を、高瀬さんのほうにむけてひっくりかえした。
皿にのっていたとろみのついた皿うどんが、高瀬さんのネクタイとワイシャツにかかった。
一度そうしてしまうと、歯止めがきかなくなるのか、優花ちゃんはつぎつぎとテーブルのうえの料理を高瀬さんに向かってひっくりかえした。
高瀬さんは鳩がマメデッポウ食らったような顔(みたことないけど)をして、優花ちゃんにされるがまま。
甘海老のからあげも、チーズ盛り合わせも、大根と水菜のサラダも、全部全部高瀬さんの洋服に貼り付いていく。
「あの、お客さま・・・・」
先ほど注文をききにきていたウエイターが、見かねて優花ちゃんにおそるおそる声をかけてきた。
優花ちゃんは、最後にグラスに入った高瀬さんのバーボンを、高瀬さんの頭からぶっかけて、一発平手で高瀬さんの頬をなぐったあと、あたしたちの入ったバッグをつかんで立ち上がり、勢いよく店から飛び出した。
そして、今日もう50回目のメールチェック。ゆうべあんなことがあったからだろう、優花ちゃんは、会社を無断欠勤した。
優花ちゃんは、あのあとタクシーをつかまえて乗り込み、部屋にもどったあと、いつものように冷蔵庫の水を、ペットボトルのままぐいぐいと飲んで、化粧だけ落とした後はお風呂にもはいらないで、そのままベッドに倒れこんでしまった。
「ねぇ、まるちゃん。ほんとに高瀬さんから、メール一通もきてないの?」
「うん、こないねぇ。優花ちゃんがこんなに待ってるんだから、ひとこと詫びメールくらい入れてもよさそうなもんだけどねぇ」
そうなのだ。あんなことがあっても、優花ちゃんは、まだ高瀬さんがひきとめて、言い訳してくれるのを待っているみたい。
ベッドには横たわっているけど、優花ちゃん、きっと一睡もしてないだろうな。何度も何度も、メールチェックしてるし、着信がないか確かめてるし。
と、そこへまるちゃんの待ちに待ったメール着信音。
『高瀬さんだ!』
一瞬だれもがそう思った。優花ちゃんもベッドからとびおきて、まるちゃんを手にとった。
「あ・・・・ちがう」
「え・・・・」
まるちゃんの言葉にあたしはがっくり。
優花ちゃんも、きっとあたしの何倍もがっくりだろう。
「まぎらわしいメール、また迷惑メールってやつ?」
うんざりしてあたしがいうと、まるちゃんは意外な名前を告げた。
「ううん・・・・これって、俊夫さんからだ」
「なんですって?」
「文章はなんにもない。画像メールだねぇ。ちょっとまってね、今みせてあげる」
そういうとまるちゃんは、心のテレビであたしに映像を送ってきた。
それは一面のラベンダー畑。あたしが俊夫さんのところでみたよりも、ずっとずっとたくさんの、花、花、花。
優花ちゃんはそれをみて、何を感じているのだろう、また画像をみつめたまま、動かなくなってしまった。
と、そこへ、もう一通のメール着信音。
「今度は、どこから?」
「んとね、これも俊夫さんだな。読むね」
もうまるちゃんも慣れたもので、あたしがいわなくてもちゃんとしてほしいことわかってくれる。
「えとね、タイトル『元気か?』。本文『有史が自転車で北海道に帰ってきたので優花のアドレス聞いたのでメールした。ペンションのテラスから撮った画像を送ります。もうあの事故のことは誰も気にしていない、だから、かえっておいで。優花の部屋は、いつもあけてあるから』だって」
うわ・・・・なんか俊夫さんらしい。つたない文章だけど、きっと一生懸命打ったんだろうなぁ。
突然、優花ちゃんは、ベッドに突っ伏して泣き出した。
声をあげて、泣き出した。
あたしもまるちゃんも、こんな優花ちゃんをみるのははじめてで、どうしていいかわかんなかった。
お願い、泣かないで、っていう気持ちと、おもいっきりないでいいよ、っていう気持ちがいりまじって、あたしもまるちゃんも一緒になって泣きべそになっていた。
その後、ひとしきり泣いた優花ちゃんは、あたしとまるちゃんをそっと手にとり、まだ涙のかわかない目で、あたしについているすずらんの飾りを、じっと見つめて優しく撫でてくれた。
そして、何かを決意したかのように、優花ちゃんは立ち上がり、服をぬいでシャワーを浴びにバスルームへと歩いていった。
もう、扉がすこしだけあいているなんてことは、なかった。
今、あたしは空を飛んでいる。いや、厳密にいうと、あたしと、まるちゃん、そして優花ちゃん。
生まれてはじめての飛行機に、あたしはかなり興奮気味。
優花ちゃんのバッグの中で、あたしとまるちゃんは、これからなにが起こるのかを想像して、とても楽しい気分だった。
俊夫さんからのメールが来てからの優花ちゃんは、その日のうちに荷造りを整え、会社に休暇届を出した。
そして翌朝、一番の電車で空港に向かったのだ。
空港から、優花ちゃんは、はじめて俊夫さんに電話をいれた。
「俊?あたし。今から帰るから、空港まで迎えに来て」
「ゆ、優花?なんだお前、どうした、なんかあったか?」
「いいから迎えに来て、話はあとでする」
「わ、わかった。何時に着くんだ?」
しどろもどろになりながらも、俊夫さんは嬉しそうだった。
あたしも久しぶりに俊夫さんの声がきけて、すごく嬉しかった。
まるちゃんにも、あの優しい俊夫さんをみせてあげられるし、なによりも俊夫さんと優花ちゃんの再会は、俊夫さんの願いでもあったから、あたしとしては感無量。
機内では電源をきらないといけないまるちゃんも、優花ちゃんがそのままにしているので、ずっと一緒におしゃべりしていられた。
「ああ、楽しみだなぁ。優花ちゃんが北海道に帰ることにしてくれて、ほんとに嬉しい」
なんどもなんどもあたしがそういうのを、まるちゃんも嬉しそうにきいている、と、そこでまるちゃんが思い出したようにあたしに言った。
「そうそう、あのね、あたしちょっと調べてみたんだけど、聞きたい?」
「ん?調べてみたって、なにを?」
「優花ちゃんが、東京にでてきた理由」
「な、なに?それまるちゃん知ってるの?」
「ん、ちょっとあちこちアクセスして、大変だったんだけどね。行政やマスコミ関係や行ったりきたりして、たぶんこれが原因だろうなっていうのに突き当たったの」
「聞かせて!」
ずっとずっと不思議だった。なんで優花ちゃんが、俊夫さんを含めて故郷を断ち切ろうとしているのか。
「あのね、去年、BSE騒動があったのよ」
「BSE?」
なんだかきいたことのない言葉。まるちゃんはこっくり頷いて続けた。
「うん、狂牛病っていってね、牛が病気になってしまうんだけど、俊夫さんの家も含めて、当時酪農家たちは大打撃をうけたのよ」
「俊夫さんも?」
「お金をかけて育ててきた牛が、売り物にならなくなって、しかたなく俊夫さんのところも規模を小さくしてペンション経営にきりかえたみたい。ちょうど時期がそのころだし、たぶん間違いないと思う」
「ん・・・・と、それと優花ちゃんがでてきたことと、なんの関係が?」
あたしはまだ、話の要点がつかめないでいた。そんなあたしの言葉に、まるちゃんはこう言った。
「その狂牛病の牛が、俊夫さんちの牧場からもでたの、そして、その病気になった原因だといわれている牛の餌を作っていたのが、優花ちゃんのお父さんが経営する工場だったのよ」
「えっ」
「どんな事情があったのかはわからないけど、そのせいで優花ちゃんのお父さんの工場は閉鎖、もともと丈夫でなかったお母さんは、心労がたたったのか、まもなく自宅で亡くなってるわ」
「そんな・・・・」
「お父さんは、たくさんのひとに責められて、特に古くから親しくつきあっていた俊夫さんのお父さんに申し訳がたたなくてね。工場経営の借金の保証人にまでなってもらっていたから、これ以上迷惑かけたくないという遺書をのこして、自殺したの。もちろん生命保険は、俊夫さんのお父さんを受取人にしてね」
それじゃ、優花ちゃんが、俊夫さんに顔向けできなかった気持ちもわかる。強がりな優花ちゃんだから、そんなことまでは口にしないだろうけど、心の中では俊夫さんや村の人に、申し訳ない気持ちでいっぱいなんだわ。
「そんなとき、優花ちゃんのお父さんが経営していた工場の跡地を視察に来たのが高瀬さんよ」
「視察?」
「うん、そしてそこで優花ちゃんとあって、これは想像だけど、いろいろ励ましてあげたんじゃないかな。それからまもなくして、優花ちゃん、東京に引っ越してるし、きっと高瀬さんを頼って行ったんじゃないかなぁ」
なるほど、そう考えればつじつまはあうわねぇ。
「頼っていったのに、あれじゃねぇ・・・・」
あたしの言葉に、まるちゃんも深いため息をつく。
「だねぇ・・・・」
なんだかちょっとしんみりしてしまった。と、まるちゃんがふいに明るい声をあげた。
「あ、そだ。そういえばさっきね、優花ちゃん、高瀬さんの電話番号、着信拒否にしてたよ。んでね、いままで保存してあったメールもぜんぶ消去したよ」
「え〜そうだったの?なんかやってるなとは思ったけど、あたし、飛行機に乗った興奮であんまり気にも留めてなかったよ」
あたしの答えに、まるちゃんが笑った。
つられて、あたしも笑う。
俊夫さんはきっと、もう到着して、あたしたちを待ってくれているはず。
ひさしぶりにあったら、俊夫さんはなんていうだろう。
優花ちゃんは、ペンションで、あたしによく似た仲間たちをみて、自分のストラップだけが四葉のクローバーだと気づくだろうか。
そんなことを考えている間に、もうすぐ、飛行機は千歳空港に着陸する。
おわり