落ち込んでいる功太に、ニュイが励ましの言葉――と思いきや、いきなり飛び蹴りをくらわせた。
「しゃんとしてよマスター! あんたがしゃんとしなくて、どーすんのよっ!?」
後頭部をおさえて絶句する功太に、まくしたてる。
「これくらいのことがなきゃ、わざわざあんたみたいなのまで千年前から呼び寄せたりすると思う!? どぉして『雅也』があんなになっちゃったのか、なんであんたが呼ばれたのか、それはあんたが探さなきゃいけないことでしょうが!」
「でも、僕には…どうしたらいいのか…分からないんだ。なにも…」
父は「時の守人」として、このキーノラントへ転生していたはずなのに、それがなぜ「敵」としてあらわれて功太を攻撃するのか。
おじいちゃんが、また呼び戻されたのは、このせいなのか…?
「ほらっまた自分の世界に入ってる! 歩き出さなきゃ、答えは見つからないのよ」
ニュイの言いたいことはよく分かる。頭では分かる。
でも、どうにも気持ちが落ちつかないんだ。
「ニュイ、頼むからっ。すこし、しずかにし――」
言いかけて、エビのように身を屈める。熱風で気管をやられていたのだ。咳きこんで、苦しくて、涙が出る。それに身体中火傷だらけで、風が吹くだけでヒリヒリと痛む。
あ。
でも、それは、ニュイも同じなんじゃ…。
功太の前で仁王立ち(宙に浮いているけど)になっているニュイは、顔は水ぶくれ、翼は焼け焦げている。「デリケート」な女の子なのに…。
「あたしは――、あんたを選んだことを後悔してないわ。なのにあんたがあきらめちゃうなんて、それはないんじゃない? ホワイトだって…ホワイトだって、すごい、必死で、あたしたちを護ってくれていたのに……」
「――え…?」
そういえば、途中からホワイトの声をまったく聞いていない。
ニュイの視線を追う。功太は肩越しに振りかえった。
「ホワイト!」
ガラス質化した地面の上で、落っことしてしまったアイスクリームみたいに、べしゃりと潰れている白いかたまりが見えた。半分以上、溶けている…麦わら帽子の下の、仏頂面も。
あの熱の中でも助かったのは、ホワイトが周りの空気を冷やしてくれていたからだったのだ。
「…ホワイト…」
功太は、彼に触れようとして、しかし、手を引いた。自分の体温でさえ、淡雪のように消えうせてしまいそうだったからだ。
『手当て』という言葉は、母の手を思い出させる。
転んだときでも、頭が痛いときでも、母が撫でてくれると不思議と痛みがひいた。まるで魔法みたいだと思った…。
魔法…。
いま、その魔法が、僕に使えたらよかったのに。
「…『リチェーニエ』…」
するりと、その言葉が口をついた。
清浄な水が優しく胸に染みわたるような。そんなイメージが満ちた。
さらさらと…。
金色の光の粒子が、ホワイトを埋めていく。
「ああ…。『ジェレフローク』の『癒しの呪文』だわ――」
ニュイが、うっとりとつぶやく。
彼女の身体も、その光に包まれていた。光は卵型に集結し、数秒を置いて、また音もなく飛散した。再びニュイの姿が現れたときには、その純白の翼や象牙色の肌には傷ひとつ、しみひとつない状態に復活していたのだ。
「ニュイ、ホワイト…大丈夫、なのか? い、今のは、僕が――?」
彼女は、にっこりと微笑んだ。
「ええ、そうよ。ジェレフロークの一族には、精霊を媒体としなくても使える呪文がいくつか存在しているの――あっ、いや、いまのなし! わっわ忘れてちょうだい!!」
あわてて口をおさえ、もう一方の手をぶんぶんと振る。
「ジェレフロークの一族…って、僕ら――父さんも?」
「あ? ええ…。そうかしら、たぶん、うん、そうかもね」
「ニュイ、ごまかさないで」
まっすぐ、瞳を捕らえる。
「僕には、見えたんだ。ニュイ」
「えっ?」
「炎の中で、ニュイが僕の腕をつかんだときに。――いろんな映像が」
極限状態で、2人が接触した瞬間。ニュイの心が伝わってきたのだ。
正確に言うと映像だけではない。純粋な思考のかたまり、そして記憶の断片が流れ込んできたのだった。
たとえば。
重力・闇・孤独を司る「ニュイ」が『シュラ』で最初にあらわれるのは、無意味なことではなかったということ。あれは、『シュラ』に入った者の『心の闇』をテストするものだったのだ。戦いを続けて行くなかで、ダークサイドに捕らわれる危険な因子を持つか否かを。
それに、「リベルテ」が、使えなかった理由も。
――ジェレフローク。
太古の精霊の血を受け継ぐ、人と精霊を繋ぐ一族。
その一族だけが使える特別な呪文というものが、いくつか存在する。「リベルテ」はそのひとつだが、この一族の攻撃呪文は「現・時の守人」に対してはまったく効果をなさないという。
「父さんは…まだ『時の守人』なんだね。でも、闇に捕らわれているんだ――…そういうことなんでしょう?」
そして、もっとも重大なこと。
『テロカード』と『シクストーン』だけは、なんとしてでも『雅也』の手に渡るのを阻止せねばならない。
たとえ、どんな手段をもちいようとも――。
「ニュイは、黙っていたんだね。女王がそう命じたことを」
「…」
気丈な性格のニュイが、言い返すセリフもなく、黙り込んでいる。
その沈黙が、語るよりも雄弁に、「それ」が事実であるということを証明していた。
「女王は、それでも僕を『臨時の時の守人』として呼んだんだ?」
「ま、マスター…、だって――。だって、女王様はこの世界のすべてのことを考えていらっしゃるのよ!? 人間と精霊が一緒に暮らしてゆける世界のことを。お願い、女王に会って、話を聞いて。きっと分かってもらえると思うの」
なんだか。
ふつふつと怒りが沸いてきた。
大事なことを黙っていたニュイにじゃない。
「うん。女王には会いに行くよ」
功太は、ゆっくりと宣言した。
なぜその城のことを「ハイアイランド」と呼ぶのか、いま、その理由がわかった。
功太は大きな口をあけたまま、天をふり仰ぐ。
島だ。
島が浮いている。
空に、浮いているのだ。
「ら…ラピュタみたい…」
崖の上から見たときは、ちょうど雲の中に隠れていて見えなかったのだ。
高度およそ1500メートル…下から見上げると、遠近感がおかしくなりそうである。
スワートの中心都市は、「ハイアイランド」の真下の土地を残して、ぐるりとドーナツ状に城下町が取り囲んでいるという構成だった。
「あのさぁ、ニュイ、」
呆然と、つぶやく。
「これ、どうやって上まで行くの?」
そう、「ハイアイランド」と地上を結ぶものが何もないのだ。梯子はおろか、ロープ一本でさえ。
「あらぁ、そんなの」
ニュイはえっへん、と腕を組んで、
「飛んでいくのよ♪ 当たり前じゃな〜い」
言って、純白の翼をひるがえす。
ホワイトも冷気の霧の跡を残しながら、飛翔する。
「ちょ、ちょっと待って、待ってったら!! ――僕はどーすんだっ!?」
あわてる功太である。
ニュイは、しまった、という顔で、
「――あのぉ、マスター、もしかして、『飛翔』の呪文を忘れちゃったの?」
「忘れるとかそういうんじゃなくて、さっぱり記憶にないんだ。小さい頃に教えてもらったのかもしれないし、教えてもらう前に二人とも死んじゃったのかもしれない…」
『リベルテ』と『リチェーニエ』だけはなんとか思い出したけれど、「飛翔」の呪文なんて、そんなの記憶のかけらも残っていない。
「他に城まで行く方法はないのかな」
他に使える呪文は。
ニュイは「重力・闇・孤独」
ホワイトは「雪・氷・風」
…。
「風、か…。ホワイト! 風で僕一人くらい、持ち上げられないかな?」
「ほほう、その手がござったか…。よろしい、マスター、『呪文』を」
「よ〜し、じゃぁ単純にいこう! ホワイト、『ウインド』だっ!!」
ビュウウウウウウゥゥッ!!!
砂塵を巻き上げ、突風が吹く。
…が。
「あらあら。ジャック・フロストが二体になったわね」
ニュイがあきれて首をかしげる。
功太は雪に埋もれて、雪だるま状態になっていた。
「ホワイト…『雪』じゃなくて『風』なんだけど。」
「うむぅ。すまぬな。我が輩は『冬』の精ゆえ」
それにどうも、功太の体重にも少々問題アリなようだった。
軟式庭球部を引退してから、急に太ったし…。
重くて持ちあがらないらしい。
重くて…。
あれ、でも「重さ」って。
月の上では地上の六分の一になるんだよな。ってことは、
「そうか!!」
功太は思わず、大声で叫んだ。
「ニュイ! ニュイは「重力・闇・孤独」を司るんだよね? 『重力』だよ!! そうなんだ!」
受験勉強が、こんなところで役に立つなんて。
「いいかい、ニュイ! 『無重力』だよ!」
「えっ!?」
「英語ではなんていうんだろ…、いいや、『ゼロ・グラヴィティ』だ! どう、できる?」
「ええ!!」
ニュイも意味を理解したようだ。
「<大地の制約、重力のくびきよりわがあるじを解き放て!> 『ゼロ・グラヴィティ』――!!」
見た目には、ほとんど変化はなかった。
功太は、芝の上に立ったままだ。
あえて視覚的な変化を挙げるとすると、ごくわずかに、髪の毛がふわふわと漂っているのが見受けられるくらいだ。
そうっと、膝を曲げて、力を溜める。
そして一気に、地面を蹴った。
(うわぁ!)
地表がぐんぐん離れていく。
「マスター!」
ニュイとホワイトが追いかけてくる。
「ホワイト、『風』で軌道修正とブレーキを頼む!」
「了解である」
ホワイトはわずかに目を細めた。たぶん、微笑んだのだ。