そろそろ山々が徐々に色づきはじめ、樫の木たちが一斉に実をつけ始める頃だろうか。
椿山家の兄弟達の深いため息とともに、カレンダーはやっと10月21日の終わりを告げた。実際、この日は彼らにとって、一日が30時間にも40時間にも感じられるほど長かったのだ。椿山家の三男、巧太も、できればこの日の日記は「特記事項なし」と書いてすませたかったのだが、特筆すべき出来事があったので、手抜き日記をあきらめざるを得なかった。
10月21日。
この日は、椿山家の人間にとって、特別な意味を持っている。 祖父はよく、新たなる人生への旅立ちの日だ、と言っていた。しかし、椿山家の兄弟達はどうしても楽天的にはなれなかった。この日は、どんなにカッコいい言葉で言い表してみても、結局は、一族の誰かが永遠の眠りにつかなければならない日なのだ。
なぜ、いつも10月21日なのか。実は巧太にも分からなかった。巧太の2人の兄たちに聞いても分からないと言う。
だが、経験から彼らは知っているのだ。10月21日には、親しい誰かと突然の別れが来るかもしれないことを。
現在15歳の巧太は、当然のことながら今までに15回ほど10月21日を経験している。その中で何人の旅立ちを見送ったことだろう。父、母、叔父…。記憶に刻まれているだけで少なくとも3人はいる。
「多分、オレ達が知らないだけで、他にも探せばいると思うぜ。」
と言ったのは次男の健太だが、本当にその通りかもしれないと巧太も思っていた。
だが、せめてもの救いは、毎年必ず誰かが…というわけでもないことだった。それこそ手抜き日記が堂々と書ける平穏な1日であることもあるのだ。今年も、ぜひそうあってもらいたいものだ、と巧太は心から願っていたのだが…。
どんなに祈っても、どんなに恐れていても、10月21日はやってくる。
そして、朝、いつもと同じように目を覚ますと、兄弟達は、思い知らされるのだ。
10月21日は特別な日であることを。
椿山家の家長にして、5兄弟の保護者でもあった祖父、源五郎の目は、この日の夜明けが来ても決して開かれることはなかった。彼は、朝日の昇りきらぬうちに、独り、黄泉路へと旅立っていたのだ。前日までは老衰ぶりなど微塵も見せなかった祖父。急逝とはまさにこのことで、本当に眠るように逝ってしまったのである。
「じーさま、昨日まで近所のじーさん、ばーさん連中と、ゲートボールの話で盛り上がっていたんだぜ。いくら10月21日が来たからって、突然、前触れもなく逝っちゃうかなぁ。」
次男の健太はリビングのソファに体を沈め、真っ青に染めた長髪を、無造作にかきあげた。
「僕も、今年は何も起きないだろうと思っていたんだけどね。…まさかおじいさんが逝ってしまうとは。」
長男の修太は、今でもまだ信じられないといった顔で天井を仰いだ。
2人の兄には、前日まであれだけ元気だった祖父が…という思いがどうしてもあるのだ。
小学生の2人の弟をベッドに寝かしつけて、リビングに戻ってきた巧太は、黙って2人の兄の話を聞いていた。
「結局残ったのはオレ達5人だけ。…来年死ぬのは誰だろーな。」
半ば、投げやりに呟く健太。
「言うな!」
いつになく厳しい調子でたしなめるのは修太。
兄弟達が皆、抱えている不安。それを軽々しく口にすることは修太には耐えられなかったのだ。巧太も思うところはたくさんあったのだが、今まで、できるだけこの話題には触れないようにしてきたのだ。来年は自分の番かもしれない…。そんな現実にどうして耐えられるだろう。俺には未来がある。今のところ、将来自分が何になっているかなんて分からないけど、きっと幸せに暮らしている自分がいるはずなんだ。
「僕たちは本当に、5人だけになってしまったんだよ。」
修太は沈痛な面もちで、健太と巧太に言った。
「これ以上誰かがいなくなるなんて考えられない。絶対にそんなことはさせるものか。」
「でも…。」
今までだって、そう思ってきた。でも、現実は…。自分たちに降りかかる運命を、変えることすら出来ない。
「もう誰も失いたくない。僕たちはこれから先、ずっと5人で一緒に生きていくんだ。みんなに、それぞれ大切な人ができて、この家を離れるまではね…。」
巧太は、修太の強い決意を感じ、それ以上は口を開かなかった。
どうやったらみんなを守ることになるのかなんて、誰にもわからない。
運命を変える方法があるのかも知らない。
でも、巧太は祈らずにはいられなかった。
この家の不思議な運命が、この先、自分たちの未来までを奪うことがないように…。
勇気を持って迎えなければならない10月21日から数日経ったある日。椿山家は、祖父の葬儀も滞りなく終えて、すっかり「日常」という言葉を取り戻していた。
この日もみんなで夕食をとった後、巧太はリビングで弟たちの宿題を見ながら、自分も受験勉強に精を出す。
「真太の宿題は計算ドリルだな。よし、計算ができたら兄ちゃんに見せるんだぞ。で、裕太の宿題は…音読と作文か。じゃ、がんばって作文書こうな。」
巧太は弟たちにそう言って、自分も社会の参考書をめくる。数年前から両親のいない椿山家の兄弟達は、兄が弟の面倒を見るのは当たり前となっていた。特に年少組の2人、裕太と真太の世話は、修太か巧太の仕事であった。まあ、時には健太も弟たちの世話をすることもあったようだが、それはたいていろくな結果を生まず、兄からも弟からも苦情が殺到するという有様なので、最近では巧太に全てお任せなのだ。
「ボク、作文って苦手なんだよねぇぇぇ。何書いたらいいの、兄ちゃん。」
原稿用紙の上で鉛筆を転がして遊び始めた裕太は、題と自分の名前以外は全く書けていないようだった。
「ぼくのしょうらいのゆめ…ねぇ。」
独創的とはとても言えない作文の題を見て、巧太は唸る。
「1/2成人記念の文集に載せるんだって。4年生になってからの心に残った出来事とか将来の夢とか書くといいって先生にいわれたんだけどさぁぁぁ。なあんにも思い浮かばなくてぇぇ…。」
「おまえ、将来なりたいものはないのか。」
「うーん。別にぃぃぃぃ。」
気の抜けた裕太の返事に、巧太はがっくりと肩を落とす。
「おまえな、もうちょっと夢を持って生きろよな。将来、プロ野球選手になりたいとか、科学者になりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか作家になりたいとか…なんかあるだろ。」
「うーーーーーーーん。」
裕太は唸り、再び鉛筆を握りしめた。だが、その後たっぷり3分はたったけれども硬直したままだった。
その様子を見た巧太は軽くため息をついて、
「じゃあ、他のみんなにも将来何になりたいか聞いてみよう。それを参考に自分の将来を考えてみな。そうしたら何か書けるかもしれん。」
と言った。裕太は鉛筆を握ったままうん、と頷く。
「よし、まず、真太から聞いてみよう。真太、おまえ、将来何になりたい?」
巧太はすぐそばでドリルをやっていた真太の方に向き直って尋ねた。すると彼は、よくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張って、
「正義の味方さっ!」
と答えた。
「正義の味方ぁ?」
「そーだよっ。地球の平和を守る5人組さっ。変身して悪いやつらをやっつけるの。すっごいんだぜ。強いんだぜ。最強なんだぜっ。武器とかも超強力なやつを作ったりしてさっ、そうそう、必殺技もあるんだぞっ。」
目を輝かせ、アクション付きで話し始める真太。 巧太は真太の熱弁をひとしきり聞いたあと、
「えーっと…真太くん。タウンページには、そういう職種は載っていないようだけど…。」
と遠慮がちに言う。
「あったりまえさっ。秘密の組織だもん。電話帳に載ったら、秘密基地の場所がばれちゃうだろっ。」
「そりゃぁ…まあ、そう…かな?」
巧太は、頭を抱えて唸った。小学1年生の真太に聞いたのがそもそもの間違いだったかもしれない。
「ぼく、前からずっと思っていたんだっ。ぼくたちの兄弟は5人だからちょうどいいなって。ま、その時が来たら、兄ちゃんも頼むぜっ。」
「…ひょっとして、兄ちゃん達にも一緒に地球の平和を守れ、と?」
真太は当然というように大きく首を縦に振った。
「あはははは…。そうだなぁ。でも、修太兄ちゃんや健太兄ちゃんがうんって言うかな。おれもちょっとイヤかも…。」
巧太は乾いた笑いでごまかし、立ち上がった。
「じゃ、次いこ、次。次は…。」
部屋の隅に座り込み、ポータブルMDプレイヤーで音楽を聴いている次兄健太に視線を移す。
「おーい、健太ぁ。おまえの夢ってさ…。」
巧太は言いかけて…やめた。
「聞くだけ無駄だよな。最初から修太兄ちゃんに聞いた方がいいや。」
すぐさま方向転換して、長兄の姿を探す巧太。
「こ〜う〜たぁ〜っ。」
背後から響く低い声。そして、問答無用の鉄拳が巧太の頭上に降り注いだ。ヘッドフォンをしていたくせに、しっかり聞こえていたらしい。
「オレ様の夢を聞きたいんだろ。そーか、そーか。そこまで言うなら聞かせてやろう。オレ様の夢はズバリ、超人気のロックミュージシャンになることさ。いっつも女の子のファンに囲まれて、きゃーきゃー言われるようになりてーのよ。女、はべらすロックシンガー…。うーん、男のロマンだぜ。」
聞きもしないのに、健太は勝手に夢を語り、胸を張る。
「それが小学生の弟に語って聞かせる夢かっ。」
「まあ、お子さまにはちょっと分かりづらいか。」
健太はそう言って豪快に笑った。
十分予想はしていたものの、全くあてにならない兄の言葉に、巧太は深いため息をつく。だが、それを見た健太は、
「じゃ、おまえはあるのかよ。小学生の弟に語って聞かせられるような夢がさ。」
と逆に尋ねた。
「もちろん…。」
と言って巧太は胸を張るが、その先がどうも続かない。
「えーっと、とりあえずは、進学校の西尾高校の入学試験に合格するだろ。そしたらその後、一流大学を目指して勉強して…それから…えっと…どこかの会社に入るの、かな。」
「はーん。そりゃ、ご立派な夢ですねぇ。」
健太の口元が意地の悪い笑みを浮かべた。
「やりたいことはそのうち見つかるからいいんだよ。」
半分以上負け惜しみと知りつつ、巧太はつっけんどんに言い返した。
「へいへい、そのうち、な。でも、さしあたって裕太の作文の参考にはならねーな。」
悔しいが、巧太もそれは認めざるを得なかった。こうなるとやっぱり頼りは長兄修太である。
「で、修太兄ちゃんは?姿が見えないけど、どこにいるんだろ?」
巧太が振り返って長兄の姿を探したときだった。噂をすれば何とやら…という絶妙のタイミングで、修太が階下に降りてきた。
「あ、兄ちゃん。ちょうどいいところに来た。」
兄弟達はそろって取り囲むように長兄を出迎えた。
「今、みんなで将来の夢の話をしていたんだけどさ…兄ちゃんの夢って何?」
修太は、突然の巧太の問いに驚きつつ、少しばかり考え込む。しかしすぐに、
「世界中を旅することかな。」
と答えた。
「子供の頃は、将来絶対に探検家になろうって思っていたよ。僕は自分がまだ知らないいろんな国に行ってみたいんだ。できれば、どこの本にも紹介されていないような国にね。」
「ふーん。そうなんだ。知らない国を旅する探検家…かぁ。」
普段は穏やかで落ち着いている長兄が、少年のように目を輝かせて話す様子は、巧太にとって意外ではあった。でも、それすらカッコよく映るのだ。それに引き替え自分は…。
「正義の味方に、いかれロックシンガー、見知らぬ国を旅する探検家…。どうだ、裕太。自分のなりたいものが見えてきたか。」
巧太が自分の思いを胸にしまい、裕太の顔をのぞき込んだ。
裕太は明るい笑みを見せ、ゆっくり首を縦に振る。
「そうか。で、結局何になりたいって思ったんだ?」
「んーーーっとねぇぇぇ。ボク、魔法使いになろうかなぁぁって思うんだけど。」
「へ?」
もともと大きな巧太の目は、さらに大きく見開かれた。
「この間、テレビでやっていたんだぁ。呪文唱えたら、爆発したり、怪我を治したりできるんだよ。ボクもあんなふうになりたいなぁぁって思って。」
修太、健太は大爆笑。裕太もなかなかいいアイディアだと思っているのか、満足そうに笑っている。
「ああ、もう!どいつもこいつも、どうしてこう現実離れしているんだ。もっと現実を直視しろ、現実を!…修太兄ちゃんも、何とか言ってくれよ。」
しかし、修太は愉快そうに笑うだけであった。裕太らしくていいじゃないか、というのである。
「それより、みんな、大ニュースだ。」
修太は手に持っていた封筒を弟たちに差し出した。
「書斎でおじいさんの手紙を見つけたんだよ。…多分、遺書だと思うんだけど。みんなで読もうと思って、持ってきたんだ。」
兄弟達は一様に驚いた。そして修太が広げる手紙に、みんなが頭を寄せあう。だが、
「うーん。達筆すぎて読めねー。」
「…漢字がいっぱいで読めないよっ。」
と弟たちから多数の苦情が寄せられたので、結局、修太が代読することになる。
それは「雅也の息子達へ」という書き出しから始まる、短い手紙だった。
『雅也の息子達へ
おまえたちがこの手紙を読む頃、私はもうこの世に存在しないだろう。
前にも言ったとおり、私がこの世を去る日は、新たなる旅立ちの日なのだ。
だから、何も嘆く必要はない。私は私自身の意志でこの旅立ちを決めたのだ。
なぜ、この世での生活を捨てることにしたのか。
今までおまえ達に話したことはなかったが、もしかして気づいていただろうか。
椿山家の人間は、時として二つの顔を持って生まれてくることを。
一つはこの世での顔。
もう一つはキーノラントの「時の守人」としての顔…。
私の父もその昔「時の守人」であったし、私自身も、かつて「時の守人」としてキーノラントへ赴いたことがある。
そして、今、キーノラントでは、私の力を引き継いだ雅也が「時の守人」としての責務を果たしている。
おそらく近い将来、おまえ達の誰かが雅也の力を引き継ぎ、
「時の守人」としてキーノラントへやってくる日が来るだろう。
だが、現在かの地は危機的状況にある。 雅也の力だけではどうにもならないことが起こりつつあるのだ。
私の力は微々たるものたが、雅也を少しでも助けるため、この世での生活を捨て、再びかの地へ赴こうと思う。
さんざん悩んだが、それが現時点で最良の選択なのだ。
雅也の息子達よ。
私は、おまえ達をこの地に残したまま、旅立とうとしている。
おまえ達5人だけを残して去らなければならないのは心苦しいが、
おまえ達なら、きっと力を合わせて生きていくことができると信じている。
どうか、私のこの最後のわがままを許して欲しい…。』
修太が読み上げたその手紙の内容は、兄弟達の理解の範囲を遙かに超えていた。
読み終わった後、全員、無言のまま頭をフル回転させている。
「ねえ、兄ちゃん。ときのもりびと…ってなあに?」
しばらくして、真太が巧太を見上げて尋ねた。
「さあ。よくわかんね。時の守人…っていうくらいだから、時間を守る人のこと…かな?」
自分でも違うよなあと思いつつ、そんなことを言ってみる。
「ひょっとして、ときのもりびとって、そのなんとか…ってところを守る、正義の味方じゃないのかなあっ。」
と真太は目を輝かせた。
「違うよぉぉぉ。旅の魔法使いだよぉ、きっと。」
「いやいや、なかなかしぶいバンド名だが、実はストリートミュージシャンなんだぞ。」
放っておけば際限なく脱線を始める兄弟達。巧太は憮然としたまま、彼らを鋭く睨みつけた。人が、一生懸命に論理的に物事を考えようとがんばっているのに〜っ。しかし修太まで、
「世界を旅する探検家の称号…っていうのも有りかもよ。」
といたずらっぽく笑うと、巧太はますますふくれてしまう。
「それにしても、この手紙、よくわからないことが多いなぁ。」
修太は手紙を手にとって、何度も読み返して、呟いた。
「雅也って、父さんのことだよな。確か、6年前に亡くなった…。」
「そうだよ。」
「死んだはずだぜ。…葬式やったの、はっきり覚えてる。」
これははっきりと兄弟達の記憶に刻まれていた。だが、この手紙の文から察するに、キーノラントというところで生きているらしいのだ。
「で、今度はオレ達の誰かがキーノラントとかいうところに行くんだってさ。」
「誰が行くんだよ。」
「さあてね。誰が行くか、今のうちにジャンケンで決めておくか?」
健太が指で「チョキ」を作って、そんな提案をしたときだった。巧太は祖父の手紙が入っていた封筒に、もう一つ何かが入っていることに気がついた。何だろうと思って取り出してみると、けっこう分厚いカードである。いくつかの幾何学的模様の中にびっしりと文字らしき物が書き込まれている、何とも不思議なカードだった。
巧太は何気なくそのカードに触れてみる。
すると頭の中で何か声が響くのが分かった。
「え、何?」
もっとよく聞こうと集中すると、声は次第にはっきりとしてくる。巫女のような女性の声。これは一体…。
時の守人よ、我の元へきたれ!
女性の声が、今度は兄弟達全員に聞こえるほどはっきりと響く。
「え…!」
実際には、兄弟達がお互いに顔を見合わせている暇もなかった。
巧太の周りに眩しい紫色の光が弾け飛ぶ。続いて緑、橙、赤、青の光が、紫の光を次々に追いかけていった。そして、これらの光はうねりを作り、ゆっくりと巧太を包んでいく。
「に、兄ちゃん!」
「巧太っ!!」
兄弟達は皆、巧太をその光から引っぱり出そうとして手を差し出した。
だが、巧太の体はどんどん実体を失っていき、彼の腕をつかむことすらできなかった。
「巧太ぁぁぁっ。」
部屋の中に兄弟達の叫びがむなしく響き渡る。 みんなの見ている前で、巧太の体も徐々に透き通っていき…。
そして。
光の集束と共に、巧太は、完全に消え失せたのだった。