時は五十年ほどさかのぼる。
破壊を司る精霊、ディストルとラクシオンが復活した。
かの精霊は、かつて人類をほぼ壊滅状態へとおいやった際の根源とされていた精霊だった。
キーノラントの全土が再び戦火に包まれた。
しかし、6人の戦士たちが精霊の加護をうけた衣を身にまとい、テロカードとシクストーンを使って「時の狭間」にディストルを封印した。
半身を失ったラクシオンは嘆き悲しみ、自らの身を海底の奥深くに沈めた。
ディストルを再び解放させないためには、テロカードとシクストーンを守る場所が必要であった。六人の戦士の一人であった源五郎は、これらを自分の世界へ持ち帰り、これを守護した。時を超えた世界である「地球」ならば、誰にも手は出せないと考えたからだ。
それで全てが終わったはずだった。
しかし、海底から零れだすラクシオンの破壊の衝動は、少しづつ人類を侵食していった。
数十年後。
何者かが海底に眠るラクシオンを覚醒させ、ディストルを解放しようと動きだした。
時の精霊を着けることが出来るのは、ジェレフロークの一族のみ。ならば、その一族を滅亡させればどうなるか? 時の精霊は行き場をなくし、さまようことになる。その時こそ、テロカードとシクストーンを使いディストルを解放することが出来る。そして時の精霊を操ることが出来れば、過去や未来に干渉できる力を持てる、と。
こうしてジェレフロークの一族の殺戮が始まったのだった。
その戦いの中で、源五郎と共に戦った5人の戦士も命を落とした。
多くの一族を失ったジェレフロークの一族は、スワートの女王に保護を求めた。
スワートの女王は、生と死の精霊を使い、ジェレフロークの一族を時の守人として転生させる。
しかし何人もの時の守人が次々に命を失っていった。
転生した椿山香織もその一人だった。
そして、新たな時の守人の転生の儀が行なわれたのである……。
そこは静寂に包まれていた。
ただ巫女装束である白銀の衣に身を包んだ女性が杖を振るうたびに起こる衣ずれの音が微かに聞こえるだけの、静かな空間。
まっすぐに見つめるその視線の先には、美しい青年の姿があった。
青年は六芒星の形をした台座の中央に立っている。
瞳を閉じて、全身の力を抜いている。
これから何が起ころうとも覚悟は出来ている、といったような。
それは、目の前の相手を本当に信頼していないと、とても難しいことだった。
巫女らしき女性が杖を掲げた瞬間、六芒星の台座が輝きを増し、その光の潮流に青年が呑み込まれていった。
それでも青年は一言も声を発しなかった。
シャアアアア……
ガラスの粒子を擦りあわせたような音が響き、次第に勢いを増していく。
光の粒が青年の体に収束し、そして弾けた。
弾け飛んだ光の粒は輝きを失い、闇に溶けていく……。
そして、再び闇と静寂が訪れた。
体から発するオーラというものが見える者なら……、青年のオーラがそれまでものとは別人になっていたことに気がつくだろう。
巫女は青年を見やって、儀が成功したことを確かめ、そして息をついた。
「シーラ様……あなたが……」
かすれた声に顔を上げると、激しい感情を宿した青年の瞳にぶつかった。
「あなたが香織を殺したのかっ!」
「……え?」
スワートの女王シーラは、何を言われたのかわからなかった。だが、すぐにその理由に思い当たった。燃えるような青年の眼差しを受け、シーラの表情が苦しげにゆがんだ。しかし、それも一瞬のことで、感情を殺したかのように、無表情に青年の眼差しを受けとめた。
「キーノラントで転生したのです。時の守人として」
「そんなことは関係ないっ! あなたは、私から……前世の私から、愛する妻を奪ったんだっ!」
「キーノラントにはジェレフロークの一族が必要なのです。あなたにもわかっているでしょう?」
「だったら香織に会わせてくれ」
「それは……」
必死に感情を殺していたシーラの瞳が戸惑いに揺れた。
それを見た青年が吐き捨てるように呟いた。
「わかってるさ。香織が死んだから……次は私の番なのだろう?」
シーラはもはや青年の目を見つめることができなかった。
「そして、私が死ねば、次は息子たちの番か?」
「……そうです」
青年の目が大きく見開いた。
「シーラ様、ご自分が何を言っているのかわかっているのですか?」
「仕方のないことなのです」
青年は自分の体を杖にすがりつくように支えているシーラを見やった。
長いまつげの奥の蒼い瞳。幼さを残している整った容貌。足先にかかるような長く美しい黄金色の髪。
しかしそこには、女王の威厳のカケラすら見当たらなかった。
(あれほどまでに、自分がお慕いしていたお方だったはずなのに……)
青年はシーラに背中を向けると、扉の方へ歩きだした。
カツン、カツンと青年の靴音が響く。
その音にハッとしたようにシーラが顔を上げた。
「どこに行くのです!」
扉の前で青年が立ち止まった。
しかし、それも数瞬のことで、もはや何も言うことはないというように、青年は扉を開け部屋から出ていった。
シーラはかける言葉も知らず、黙ってそれを見送ることしか出来なかった。
それが、シーラが見た、青年の最後の姿だった。
レオン・リーシュリッド。前世の雅也の記憶と、自分の記憶を共有する青年の名前だ。
レオンはシーラの住まうハイアイランドから大地へと降り立ち、晴れ渡る空を見上げた。
何かが間違っていた。
ジェレフロークの一族が滅びれば、時の精霊は行き場をなくし、何者の手に渡るかもわからない。その者が時の精霊の力を使い、『時の狭間』に封じられた破壊の精霊『ディストル』を解放するかもしれない。そうなれば、キーノラントは再び滅亡の危機にさらされるだろう。
それはわかる。わかっている。
だが、だからといって、どうしてジェレフロークの一族が前世の自分の全てを失ってまで、キーノラントを守らねばならないのか……。
この忌まわしき輪廻の宿命を絶ち切ることは出来ないのか……。
不意に左腕のブレスレッドが赤く輝き、そこに封入されていた炎の精霊フレアが青年の前に姿をあらわした。
フレアは燃え上がるような紅の髪、赤を基調にした胸元の大きく開いたボディコンスーツに身を纏った妖艶な美女の姿をしていた。
「レオン、これからどうするの?」
艶っぽいフレアの声がレオンの耳をくすぐる。長年つきそってきた者ならば、その声にマスターであるレオンを思いやる優しさを感じることが出来ただろう。
レオンは口元に無理に笑いを浮かべた。
「さあな。お前はどうする?」
「私はいつでもあなたの側にいるわ。そう決めたもの。たとえあなたに何があっても」
目を閉じて、フレアの言葉を受けとめる。
「……ありがとう」
今度は、さっきよりは素直に笑えたような気がした。
レオンの笑顔を見たフレアが、ホッとしたように顔をほころばせた。
が、すぐに表情を引き締め、周囲に瞳を走らせた。
「レオン、何か来るわっ!」
レオンが舌打ちした。
「さっそく私を殺しに来たというわけかっ!」
レオンは気配を感じ後ろを振り向くがすでに遅く、いきなり視界が闇に閉ざされた。
「くっ……!」
― お前が香織を殺したのだ ―
どこからか声が聞こえてきた。
(なんだと?)
五感が急速に失われていくのを感じる。
(バカなっ。この私が相手の正体もわからずにやられるというのか……!)
とり残された意識だけが闇の中にただよう。
― お前が香織を殺したのだ ―
再び声が聞こえる。
(香織を殺したのはシーラ様だ。私ではないっ!)
レオンの意識の中にビジョンが映った。
どこか見覚えがある部屋の様子……。
(これは……香織の部屋なのか……)
そこには雅也の父親である源五郎と香織の姿があった。
(香織っ!)
「私にも、時の守人となるべき資格はあるはずです」
二人は正座したまま向かい合っていた。
「香織さん、どうしてもとおっしゃるのですか?」
「はい。あの人には、時の守人の使命なんて似合わないと思います。だから私があの人の代わりになれるなら、喜んでキーノラントへ旅立ちますわ」
(なにを言ってるんだ、香織?)
「ただ、産まれたばかりの真太や息子たちのことは気にかかりますが、それはお義父さんにお任せしてよろしいのでしょう?」
香織は穏やかな微笑みを浮かべる。それを見た源五郎が一瞬息をつまらせた。
「……それはもちろんだが」
「私、雅也さんと出会えて幸せでした。沢山の子供たちに恵まれて、お義父さんにも優しくして頂いて、とても幸せでした。それで充分なんです」
(香織は……私の代わりに……転生の運命を受け入れたというのか……!)
微笑みを浮かべた香織の瞳から一筋の涙が零れた。
「それだけで、充分なんです。だから……あの人にはこのことは秘密にしてください」
ビジョンが消えうせ、再びレオンの意識が闇に落ちる。
― お前が香織と結ばれなければ、香織は死ぬことはなかったのだ ―
闇の声がレオンの意識を蝕んでいく。
「レオン、闇の声に耳を傾けちゃダメよっ!」
フレアの声が微かに聞こえた気がした。
― お前が香織を殺したのだ ―
(そうじゃなイ……ワタしは……かオリを……かオリヲ……)
― お前が香織を殺したのだ ―
(カオリヲ……コロシタ……ワタシガカオリトムスバレナケレバ……カオリハシナナカッタ……ワタシガ……カオリ……コロシタ……コロシタ……)
― お前が香織を殺したのだ! ―
(……ゥウアアアアアアアァァァッッ……!!!)
レオンの中で、何かがバラバラに砕け散った。
そして、レオンの意識は、闇の底へと沈んでいったのだった……。
「……さま」
誰かに呼ばれた気がしてシーラが振り向いた。
サラサラとした美しい黄金色の髪が涼やかに揺れる。
年の頃は20前後に見える。が、スワートの女王であるシーラの幼い頃を知る者はいない。すでに何十年、いや何百年も前から、彼女はこの姿なのである。
大きな丸い瞳が幼さを感じさせるが、それは決して彼女の美しさを損なうものではなかった。声の主を見つけて、シーラは柔らかに微笑んだ。
その笑顔を見て、「天使の微笑」とはこういうものなのだろうな、と声の主は思う。
ただ……。
「あっ、源ちゃ〜ん、どうしたの?」
……この容姿を裏切りまくった言動さえなければ……。
男がこめかみを押さえる。
「だから、その源ちゃんはやめてくださいって以前から申しているではないですか……」
「ごめん、源ちゃん。もう、やだなぁ、そんな暗い顔しないでよ」
トテトテと男の側までかけてきて、肩をポンポン叩く。
「……はい」
源ちゃんと呼ばれたこの男。名をリゲン・ディックと言う。意志の強そうな太い眉と、豊かな口髭をたくわえた壮年の男……そう、転生した椿山源五郎だ。
「どうしたのはこっちです。なにをしておいでですか?」
「うん……」
シーラが僅かに口篭もった。
「昔のこと、思い出してたの」
シーラが視線を地面に落とした。長いまつげが翳りをおびる。
リゲンはそれを見て息を飲む。
「……そうでしたか」
「いろいろとね」
「あまりお気になさらぬように。あれの息子たちは必ずやキーノラントの力となってくれましょう」
リゲンの暖かい言葉がシーラのわだかまっていた心に染み込んでいく。
シーラは「うん」と頷いた。
それを見てリゲンが自慢の口髭を指先でなでた。
「シーラ様がいくら親の仇とは言っても、黙ってれば大丈夫です」
『ピクッ』とシーラの肩が震えた。
「……今、なんつった?」
シーラの目が半分、すわっている。
リゲンは己の失言に気づき、慌てて言葉を探す。
「え? あ、いや、だから、その、ばれなきゃオッケーかなって……あ、いや、わしは決してシーラ様が殺したとか、そういうことを言っているのではなく……キーノラントにとって必要なことであり……もともとジェレフロークの一族がシーラ様にお願いしたのであって……でも手を下したのはやっぱりシーラ様だったりするわけだから、それを知れば、あいつらもちょっとは怒るかなぁとか、そんなことを考えたりもするわけで……ぐぅっ!」
シーラの拳がリゲンの腹にめり込む。
「もういいわよ!」
「なら、なぜ殴るのですか……」
「むかついたからよ。文句ある?」
「いえ……申し訳ありません」
リゲンが頭を下げる。
シーラは殴った拳を撫でながら、聖壇を見つめた。
そこには、六芒星が掲げられており、それぞれの頂点には6つの石がはめこまれている。全て違う色で、赤、青、黒、緑、黄、白の6種類。それぞれが特別な意味を持つ宝玉だ。
「あなたが『精霊衣』を身にまとってから長い時が過ぎたわ。あの時の戦士たちはみんな死んでしまった」
リゲンは黙って頷いた。目を閉じればあの時の光景が鮮明に蘇る。あの時は破壊の精霊ディストルを6人の力を合わせ『時の狭間』に封じこめることができた。
「もう一度……伝説は蘇るのでしょうか……」
リゲンはシーラと同じく、聖壇の六芒星に目をやった。
「ええ、あいつらなら必ず」
「私も『精霊衣』を身にまとい出来る限りのことをしたいと思ってます」
リゲンは、シーラの言っている意味がわからず、ほうけた顔をした。
「……今、なんて言いました?」
「だから、源ちゃんの孫が5人いて、それに私を含めた6人が、精霊衣をまとうのよ。だって私の他に適任がいないじゃない」
リゲンは言いにくそうに首を横に振った。
「あの……シーラ様、人数はすでに足りているのですよ」
「なにバカなこと言ってんのよ。……まさか源ちゃん、老体にムチ打って、また精霊衣をまとうつもり? ダメよ! 絶対ダメ! っていうか反則!」
「いえ、そうではありません」
「だったらなんで!」
「お忘れですか? あの者たちを呼び寄せた時に同席していた女性のことを」
「え? そーいえば、そんなのもいたような気がするけど……まさか、一緒についてきちゃったの?」
「ええ、そのようです」
「うっそ!」
シーラが空に向かって手を振るうと、何もない空間からいきなり紫色の玉が現れ、その中央から薄紫の染みが花が開くように広がっていく。やがて、その薄紫の染みの中に5つの人影が写った。
聖地シュラへと辿りついた、修太、健太、裕太、真太、それに京香の5人である。
「……な、なんであの女まで一緒にいるのよ?」
「……ついてきたようですな」
シーラが振りかえり、リゲンをにらんだ。
「源ちゃん!」
「は、はい!」
「『精霊衣』はゆずらないわよ!」
「またそんなわがままを……」
シーラは唇をかみしめた。それから、絞り出すような声をだした。
「私だって……戦いたい……。もう……あんな思いをするのはイヤなのよっ!」
リゲンはハッとなって、シーラをあらためて見つめなおした。
そうだ。このお方は、傷ついていらっしゃるのだ。
キーノラントを守るためとはいえ、前世の生を奪ってまで転生の術を施している自分を責めておいでなのだ。
普段の性格が破綻しているため、ついつい忘れがちになってしまうが。
それは、傷ついた心を隠す偽りの明るさではなかったか。
リゲンは後悔した。
冗談とはいえ、『親の仇』などと口走ってしまったことに。
「あの、シーラ様」
リゲンが何か声をかけようとすると、シーラが悔しげに呟いているのが聞こえた。
「あの時だって、私はここで見てるだけだったのよ。それじゃまるで私が脇役みたいじゃない、この私が! もう絶対、あんな思いはしたくないわっ」
「……」
リゲンは、後悔したことを、後悔した。
「あの女には我慢してもらうわ」
きっぱりとシーラが言い放つ。
リゲンはようやく態勢を立て直した。
「シーラ様。シーラ様にはシーラ様の役目がございます」
「役目?」
「そのお声で新たなる戦士たちを導くのです。それはシーラ様が最も得意とされていることではありませんか」
「だって、それじゃあんまり目立てないし……」
「わかっておりませんな……」
リゲンはそこでいったん間を置くと、シーラをまっすぐに見つめた。
「それが一番オイシイ役なのですぞ!」
シーラは雷に打たれたような衝撃を受けた。しばらくの沈黙の後、シーラの口元からは「んふふふ……」という怪しげな笑い声が漏れた。
「わかったわ。『精霊衣』はあの小娘にゆずります」
白々しく言ったその言葉は充実感と満足感に満ち溢れていた。
「……わかっていただけましたか」
リゲンはもはや全身脱力していた。
ピンポーン!
呼び鈴を鳴らしたような音が不意に響き渡った。
「あ、来たわ」
視線を先ほどの薄紫の染みに移すと、そこには、ニュイとホワイトを着けた巧太が、ハイアイランドの城の正面扉の前に立っている姿が写し出されていた。
「いよいよですな」
リゲンが巧太の姿を見守りながら、感慨深げに呟く。
「……ええ」
シーラの表情からも、ある種の決意の色が見てとれた。
「6人の戦士の伝説が再び蘇るのです。……全てを終わらせるために」
テロカードとシクストーン、そして6人の戦士たち……。
キーノラントに新たなる伝説が生まれようとしていた。